第4話 太陽の薫る風

 夏休み最終日まで、未来は俺を完全に無視した。

 当然電話には出ないし、メッセージを飛ばしても俺の独り言が羅列されるばかりだった。




 未来からの連絡(返信とは言い難い何かだった)が届いたのは、最後にあのモールで会った1週間後の夜だった。

 届いた文面はたったの一言、それだけ。


『明日、私の家に来て』


 その文字を見つめ、『分かった』とだけ返す。

 携帯を手にしたまま、反応がくるのを待つ。

 数分経って「既読」の文字が浮かんだのを確認し、俺は画面を消した。




 幼馴染の住む白亜の家が、今日に限って見慣れない別の家のように思えた。

 心なしか気温は昨日と大して変わらないのに、それ以上に暑い。

 1度家の前で深呼吸をすると、インターホンのボタンを押す。

 チャイム音の余韻が途切れてから、応答があるまでの時間がとてつもなく長かったのは天気のせいだけではないだろう。


『……はい』

「……未来か?」


 一呼吸分くらいの間があった。


『入って。鍵は開けたから』


 いつもの未来とは思えない平坦なトーン。

 否応(いやおう)なしに背筋が伸びる。


 重苦しい雰囲気が流れ出ている玄関に入ると、ピンクのパーカーを目深に被った未来が経ていた。

 インターホンも未来が出たあたり、今日は1人なのだろうか。


「よ、よう」

「……来て」


 それだけ言うと、未来は2階へ上がっていく。

 俺は黙ってその背中を追いかけた。




 最後に未来の部屋に入ったのはいつだろう。

 俺の記憶からは随分と変わっていた。


「座って」


 床に置かれた座布団を示され、奥側で正座する。

 未来も座ると、ようやくフードを脱ぐ。

 その下、肩まで伸びていたはずの黒髪は物差し1本分、耳たぶのあたりでバッサリと無くなっていた。


「……!」


 言葉が、出ない。

 喉元まで出かかってはいるものの、果たしてそれが正しいのか自信がなかった。

 結局、先に言葉を発したのは未来の方だった。


「……ねぇ、どうして」


 俺を貫く未来の視線が痛い。


「どうしてあの時、嘘なんかついたの」


 それがいつか、即座に思い出した。

 先輩と出かける前の夜、未来からも誘われ。

 俺が先輩と付き合っているのだろうと変な勘繰りをしていたのがうっとうしくて、答えをはぐらかした。

 その日に本人と出かけていたのだから、誰しもが同じ結論にたどり着くだろう。


「あたし、さ……ホントはあの日に、告白しようと思ってた」


 相手が誰かなんていうのは愚問でしかない。


「でも、出来なかった。――ううん、違う。する気も起きなかった」


 俺はただ黙って、未来の叫びを聞いていた。


「どうして嘘なんかついたの……? どうしてそんなに隠したかったの、あの人と付き合ってるってこと!? ――もし言ってくれてたら、ちゃんとこの気持ちに整理がつけられた……なのにひどいよ、こんな恋の終わり方なんて絶対したくなかった!!」


 未来の服に、点々と染みがつく。

 その1つ1つが放つ熱は、俺をじりじりと焼いていった。


「なんであの時、本当のことを言ってくれなかったの!! そんなにあたしのことを避けたいなら、どうしていつもあたしのワガママに付き合うの!!」


 いきり立った未来は、全身から放つすべての感情を俺にぶつけた。


「……違う」

「何が!? 今更付き合っていませんとか、下手な言い訳でもするつもり!?」

「そうじゃない」


 立ち上がり、未来の顔を見据える。


「俺は未来に嘘なんてつくつもりはこれっぽっちもない。避けたいとも思ってない。あのときはただ、言いたくなかったんだ。それはごめん」

「……」

「でも言わせてくれ。俺は藤村先輩とは付き合ってないし、そういう気持ちもない。……ただ、好きな人はいる」

「……誰」

「未来だよ」


 未来が固まる。

 思考を巡らせているのだろうか、口がパクパクと開閉を繰り返す。


「……嘘だ」

「嘘じゃない」

「嘘だ」

「嘘じゃない」

「嘘だ!」

「違う。それに俺は、こんな時に冗談が言えるほど道化じゃないぞ」

「そんなこと言われても、信じられないよ」

「そうか」


 俺は一度言葉を切ると、思い切り未来を抱き締めた。


「これでもまだ信じられないか?」

「……」


 未来は答えない。

 俺は思いのままに言葉を紡いだ。


「俺と未来が初めて会ったのは、いつぐらいだろうな。物心ついたときにはもうお互いそばにいるのが当たり前でさ、ずっとこんな調子なのかなって小さいころから思ってた。気がついたら、未来のことが好きになってた。だから一緒にいるのは楽しかったし、学校が別々になったときは寂しかった。時々言ってくるワガママはちょっと鬱陶しいとは思ったけどな」


 突然、未来の体が俺にのしかかってくる。

 勢いに驚きそのまま座り込む。


「おい、大丈夫か!?」

「ねぇどうしよう、力が入らなくなっちゃった」


 へなへなと笑う未来。

 そして遠い目をしながら呟いた。


「そっかぁ……」

「まぁ、お前が変な勘違いして俺に怒るなんて、昔はよくあったけどな。久々だから驚いたけど」

「え、そうだっけ……?」

「そうだよ」


 一度溜息をつくと、未来は俺にさっきまでとは打って変わった、穏やかな笑みを向けた。


「ねぇ、翔」

「どうした?」

「あたしも、翔のことが昔から好きだよ」

「それはさっき十分に理解した」

「真面目に話してるんだから、ちゃんと聞いてよ」

「はいはい」


 身体を離し、元の位置に座る。


「『好き』っていう言葉1つとっても、小さい時に言うのと今言うのとじゃ、全然意味が違うよね。でも、昔と同じ言葉は使いたくないな」


 そこで1度、未来は深呼吸をした。


「翔」

「はい」

「あたしの恋人になってください」

「……はい!」


 再び未来と抱き合う。


「こんな時にあれなんだけどさ、いいかな?」

「まだ言い足りないことがあるなら幾らでも聞くよ」

「違うの、あのさ……明日からどうしようかなって。あたし、髪切っちゃった」

「そんなことかよ、なんて言っちゃいけないな」

「考えていたことは認めるのね」

「……ごめん。でも、ショートヘアの未来も可愛いよ」

「ありがとう。大好き」

「好きって言葉、使いたくなかったんじゃないのか」

「別にいいの」

「全く都合がいいやつだな」

「そういう性分ですから」

「はいはい」




 翌日も、俺は未来の家に来ていた。

 自分の恋人を出迎えるために。

 玄関前で待っていると、鍵の開く音が聞こえた。


「いってきます」


 セーラー服を着た未来が姿を見せる。


「おはよう、翔」

「おはよう、未来」


 今までとは違い、お互いの指を絡めるように手をつなぐ。


「翔の学校は今日早いの?」

「いや、始業式の後は普通に授業」

「そっか。じゃあ、校門の前で待ってるね」

「別にそんなことしなくてもいいよ」

「いいと言われてもするもん、あたしの勝手だから」

「……まあ、いいか」


 放課後、俺のクラスメイト共が黙っちゃいないだろうな、特に男。念のため護身用具でも持っておいた方が良いのだろうか。


「翔、聞いてる?」

「何が?」

「もう……今度の日曜日、どこ行きたいって聞いたのに」

「しばらく休日は家に居たいな。出かけた先でまた未来がやきもち焼くと後が面倒だし」

「なにそれひどーい!」

「半分くらいは事実だろう」

「絶対に違うっ!」

「なんでもいいけどさ、家でゆっくり過ごしたいかな」


 未来はまだ言い足りないようで、ふくれっ面をしていた。


「じゃあ、翔の家に行くね。部屋も掃除させてもらうから」

「お前なぁ!?」

「どうせ男子の部屋なんて散らかってるだろうし、片付けもあまりしないでしょ。手伝ってあげるから、ね?」

「いいけど、捨てるなって言ったものは絶対捨てるなよ」

「しないしない。翔があたしを捨てたりしないうちは」

「じゃあ安心だな」

「……ありがと」

「何が?」


 分かってはいるが、すっとぼけてみた。


「ううん、別に。何でもなーい」


 駅で未来を見送るまでの時間は、今までで1番楽しい時間だった。

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夏色の空 並木坂奈菜海 @0013

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