第3話 夕立

 あと数日で夏休みが終わるというのに、なぜうちの部は活動をするのだろうと無駄な思考をしつつ学校のプールに腰かけ、青空を見上げた。

 天気予報もあと1、2週間は気温が下がる気配もないし、今日も陽射しはかきいれ時とばかりに仕事をしている。


「やあ」

「うわっ!?」


 目の前にぬっと先輩の顔が現れて、俺は思わず水に飛び込む。


「何なんですかいきなり」


 顔だけ水面上に出してみると、先輩が腕を組みながら苦笑いをしていた。


「そんなに驚かなくてもいいのに。キミに少し用があるだけだよ」

「用って……」

「この前のことなんだけどね」


 この前……ああ、未来とプールに行ったら先輩がいたときの話か。


「それで、お礼がしたくてね」

「……」

「明日、私とデートしてくれないかな?」

「えっ!?」


 勢いあまって鼻と口から水を飲み、激しい頭痛に耐えながらむせる。


「せ……先輩……じょ、冗談は……」

「だ、大丈夫?」


 そんな心配そうな顔するくらいなら、最初から爆弾を投げ込まないで欲しかった。

 落ち着いてからプールサイドへ上がる。


「それで、いいかな?」

「いいですよ。どうせ暇なんで」

「じゃあ、よろしくね。場所と時間は後で送るから」


 全く、本当に勝手なことをしてくれる先輩だ。




 その夜、未来から電話があった。


「ねぇ、明日ちょっと付き合ってよ」

「えっ」


 明日は先輩との予定がある。

 ただ、それを馬鹿正直に言うつもりはなかった。


「悪い、明日は無理なんだ」

「なんで?」


 暇なのが前提なのかよ。


「何だっていいだろう、こっちの勝手だ」

「あっ、そう」


 さっさと通話が切れる。

 思えば、この時の台詞が間違っていたのかもしれない。




 翌日、俺は駅前のショッピングモールで呼び出し主である先輩を待っていた。


「やあ、お待たせ。遅れちゃったかな?」

「いえ、そんなことないです」


 目の前のエレベーターに置かれた時計は、まだ集合時間まで10分ほどを残している。


「じゃあ、早速行こうか」

「どこに行くんですか?」

「い・い・と・こ・ろ」


 唇に右手の人差し指を当て、軽くウインクをする先輩。

 そのポーズに、俺の心臓は少し跳ね上がった。




 エスカレーターで4階に上がり、店の奥まで進むと、色々なBGMが混じった騒がしい音がする。


「はいはい、こっちこっち」


 あっけにとられる俺の腕を引き、1台の筐体の前へ。

 それは、音楽に合わせて太鼓を演奏する、日本ではもっとも有名な「音ゲー」だった。


「選曲はどうしようか?」

「お任せします」


 何回か太鼓の右端を叩き、選択したのはまさかの女児向けアニメのオープニングテーマだった。


「昔から好きでね、ブラックはいつも譲らなかったなぁ」


 高校生が2人でキッズアニメを叩く。

 どう考えても周囲には男側(彼氏側、とは絶対に認めない)の趣味がソッチ系に見えている事だろう。だが事実は小説よりも奇なり、女側である。


 難易度は上級を選んだが、先輩はさらに叩いてその上の最上級を選んだ。


「私の実力、見せてあげよう」


 右隣でにやりと笑うと、プールのレーンに立っているときと同じような目つきになった。


 本編を全く見たことのない俺でも知っているフレーズが、音楽に合わせて流れる。

 画面の下の方を見てみると、音符が恐ろしい勢いで動いていた。しかもその全てがパーフェクトの評価だ。


「夢原君、キミの方はどうかな?」


 余裕綽々といった先輩の声。それでも顔は画面から一切動かさない。

 一体どれほどやりこんでいるのだろうと、自分のプレイ画面を見続けながら心の中で目を見張った。

 結果は言うまでもないだろう。




「次はどうしようか? 自分からデートに誘っておいてワガママを言うのは申し訳ないから」

「いえ、別に……ワガママを言われるのは、慣れてますから」

「それはもしかして、例の彼女のことかな?」

「……」


 何と答えればいいか分からず、一瞬口をつぐむ。

 だがその選択も正解ではなかった。


「黙ってる、ということは、つまり図星かな?」

「ええ、まあ……はい」


 いたずらっぽく笑う先輩とは違って、俺は首をかきながら苦笑いをした。


「そうか……君たちはずいぶんと仲が良いみたいだね。いや、嫌味の類いではないよ。何というのかな、少し羨ましいんだ」

「そう、ですか……」

「うん」


 再び空気が俺たちの間を通り抜けた。


「辛気臭い話になってしまったね、すまない。それで、どうしようか?」

「……じゃあ、エアホッケーでもしましょう」

「うん」




 先輩がゲーム盤の反対側に立ち、パックを左手で静かに構える。

 相変わらずにこにことしているが、目だけはやはり本気だった。


「夢原君、用意はいいかい?」

「はい」


 固い音と共に放たれた円盤は、一直線にゴールへ向かってくる。

 手の届くゾーンに入った瞬間、バックハンドの要領で右手のスナップを利かせ、壁に向かって打ち返す。

 再び反射し、今度は先輩の手がぎりぎり届かないところで三度壁と衝突。

 それを予測できなかったのか、反応が遅れていた。だがもう遅い。


「えっ…!?」


 先輩が目を丸くする。

 そのままパックを捕捉することも叶わず、ゴールへと吸い込まれていった。


「……残念ですけど、先輩のワンサイドゲームにはなりませんよ」




 ゲームはほぼ一方的に進み、残り1分で7対2。

 先輩が下手というわけではないが、明らかに分が悪い。


「どうしてそんなに……」

「昔、未来としょっちゅうこれで遊んでたんです。あいつもあいつで強いから、おかげさまで」

「なるほどねぇ……」


 その説明だけで納得したようだ。


「ところで、夢原君」

「はい?」

「そんなに気を抜いて、いいのかな?」


 足元のあたりから、くぐもった固い音がした。

 先輩のスコアが入ると同時に、ゲーム終了のBGMが鳴る。

 最後だけ先輩は得意そうにしていたが、それでも負けは負けだ。




 もうひとつくらいゲームしてからお昼にしようと思ったが、他にお目当てのものもなかったので早めに食べてしまい、午後の買い物に付き合うことになった。

 そこまでは良かったのだが……。




「あのー、先輩、ここって……」

「せっかく夢原君と来ているし、男の子の意見もほしいなと思って」


 連れてこられたのはレディースファッションの専門店。

 入り口から見える範囲に男の客はいない。


「そんなに固くならなくても大丈夫だから」

「無理です、こんなところに入るなんて……」

「いいからいいから」


 為すすべもなく、問答無用で店内に引きずり込まれてしまう。

 気が付けば出入り口からかなり奥まったところまで来てしまっていた。

 逃げようにも腕を拘束(あえてこう表現する)されており、振りほどいても男1人でこんなところにいると知られれば、店員はともかく周囲の客から不審者扱いされるのは免れないだろう。


「大丈夫、新しい服をいくつか見繕ってもらうだけだから」

「だからそういうのは俺には無理です……!」


 最後の抵抗をしようとしたとき、1人の客が俺の視界に映った。

 顔でわかる、午前中の話に上がった俺の幼馴染、海藤未来その人。

 頼むから気づかないでくれ、と願わずにはいられない。だがそんな祈りも空しく、視線が合ってしまう。


「か、翔……?」

「よ、よう、未来……」


 来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな。

 そんな心の叫びは後の祭り。むしろ滑稽とも言えるだろう。


「あんた、こんな所で何し、て……」


 先輩の姿に気づいてしまった。

 もう終わりだ。


「おや、そちらは夢原君の彼女さん、だったかな。1人でお買い物?」

「いえ、本当は翔を誘っていたんですけど、断られちゃって」


 冷気が含まれているのがよく分かる未来の声は、俺を凍り付かせるのに十分な威力を持っていた。


「それに、あたしは翔の彼女じゃないですから」


 未来の放ったその言葉に、先輩の顔がこわばる。


「あ、いや、別に私は、彼と付き合っているわけじゃ……」

「お2人のデート中に割り込んじゃってすいません。あたしはここで失礼しますね」


 先輩に頭を下げ、そそくさとその場から立ち去る。


「未来!」


 店を飛び出し、未来の姿を捜す。タイミングが良かったのか、ちょうど入り口目の前にいた。


「未来!」


 振り返るそぶりはなく、未来も駆け足になっていた。


「なあ、待てって!」


 ようやく追いつき未来の腕を掴もうとしたが、手1つ分距離が足りない。

 その直後、未来が振り向いた。


「あんた、デートの途中なんでしょ? だったら彼女を放置して、あたしなんかに構わないで」


 突き放す未来の目じりはうっすらと、だが確かに濡れていた。

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