05.話が違うぞ

「話が違うぞ、ルーキー」


 僅かに批難の混じるプロメテウスの声には、色濃く疲労が滲んでいた。

 声ばかりではない。その身に纏うスーツは擦り切れ、煤に塗れ、腰掛けるその姿は身体を動かすことすら億劫だと告げるかのようだ。


「申し訳ありません。その、私も状況については理解しかねているところで……すみません、プロメテウスさん。怪我は?」」


「たいしたことはないとも。まあ――」


 言いながら、その顔にやっと笑みを浮かべたプロメテウスは足下のオブジェを踵で蹴りつけた。


「巨人殺しは、少々手を焼いたがね」


 硬質で耳障りな音が響いた。倒壊したビルの根元、破砕された瓦礫の中に横たわり、今やプロメテウスのトロフィーになっているのは頭部のない20mを超える巨体だ。

 未だ燻るその肉体には鋼と肉と幾何学的な結晶とが食い合った痕跡が残り、ネオンサインで構成された偽りの光背が虚しく火花を散らしている。


 その前を横切り誰かを運ぶ担架を見送って、フューリアスは肩をすくめた。


「それで、何があったプロメテウス。電話を受けて慌てて駆けつけたが、俺達はまだ細かい話が分かってなくてな」


◆◆◆


 フューリアスの端末を鳴らしたのは緊急の救援要請だった。

 使、それが同時に出現との報を受けフューリアスは車を走らせた。

 結局のところ、到着時には一足違いで事態は収束していたのだが――。


「何があったのかは私が聞きたいくらいなんだがね。ともあれ、私と平蔵は黒蓮ブラックロータスの調査でここに来ることになった。昨日のサイバーサイコから辿ったというわけだが」


 既に跡形も無い玄関をくぐる仕草を見せて、プロメテウスは捜査の記録ログを二人に送る。

 平蔵はああ見えてマメな男でね、とプロメテウスが既に場所を移した相棒バディについて語る通り、中には二人の足跡が克明に記されていた。

 記録によれば、ここにあったビルには天の高炉を名乗る集団が居を構えていたことになっている。ここ最近勢力を伸ばす新興の魔術禅カルトだ。黒蓮ブラックロータスについては疑われていたが、サイバーサイコの一件からバラ撒いていることがほぼ確定となっている。


 元ビルの瓦礫を踏み越えながら、プロメテウスは語りはじめた。


「侵入は簡単だった。平蔵の腕は確かでね。私は後をついて行くばかり。計画通りに速やかに鎮圧できるかと思ったんだが、それが悪かった」


 運悪くカルティストの一人と行き会ってしまったのだという。更に運が悪かったのはそのカルティストがまだ正気で、やむを得ず戦闘になった。


「私は兎も角平蔵は腕利きだ。すぐに取り押さえたんだが、他の連中に気付かれた。仕方なく別動隊を呼び寄せたところが」


 溜息を一つ。


「M型異能者だよ、フューリアス。それも七人、恐らく教団の幹部クラスだろう。どいつもこいつも黒蓮ブラックロータスで夢見心地のまま襲撃してくる。悪夢だったよ、あれは」


 顔を覆ったプロメテウスはその記憶を振り払おうとするかのように首を振る。


「それだけじゃなかった、そうだな?」

「ああ」


 思索に割り込むフューリアスの言葉に、プロメテウスはのろのろと頷いた。


「連中はすぐに暴走状態に入った。一人残らずだ。一人くらいまともなヤツがいても良いと思わないか? ともあれ、私と平蔵が例のツールを起動しようとしたところで」


 プロメテウスは言葉を探すように唸る。


「なんというか、連中は弾けた。別物になったのだよ。フューリアス、恐らく君たちが遭遇した疑似神格化と同じものだろう。平蔵も同意見だった。私のような門外漢の判断よりは信頼できるだろう」

「……なるほど」


 ルーキーが重々しく頷いた。その表情は深い思案を物語っている。即ち、何故疑似神格化が再発生したか、だ。ボンドが語り、ルーキーが課員の前で所見を述べたとおり疑似神格化の再発生の可能性は極小さかったはずだ。たとえカルトが関わったとはいえ、そこで神に近付けるほどの覚者などそう転がっているわけもない。


「プロメテウス、続きを頼む。神モドキになったのは分かったが、こいつはなんだ」


 先を促してフューリアスが指し示したのは地に伏せる無頭の巨人だ。プロメテウスは頷き、片眉をあげて巨人を見た。


「連中の行動様式はメギンギョルズとは異なるものだった。宙空に浮かんだ連中はそれぞれに結跏趺坐して、口々に何かを語りはじめた。何が起こったのかはすぐに分かったよ。連中はカルトの教義を説きはじめたんだ」

「……そりゃまた」

「笑い事ではないぞフューリアス。連中が語る言葉に応じて小規模な現実改変が発生しはじめた。んだよ。しかも垂れ流される言葉を聞いてるうちにそれが正しいと思えてくるんだ。七重の輪唱だぞ、フューリアス。これがどれだけ苦痛かなど分かるまい」


 プロメテウスは崩れ落ちた壁に手をついた。見れば焼け焦げたビルの瓦礫の中には奇妙な文様が刻まれ、そのまま蠢く肉塊と化し、或いは趣味の悪い金色をさらけ出しているものもある。

 だがビルを離れてみれば、外はただのコンクリートに過ぎない。周囲は平常時そのもの、ビルが崩壊し巨人が横たわっているという以外、狂気は欠片もありはしない。


「挙げ句の果てには連中の本尊らしいこの巨人が構成されるに至ったわけだ。連中はケートゥと呼んでいたが」

「ケートゥ……計都ですね」


 一人頷くルーキーに一瞥、フューリアスはプロメテウスを更に促した。


「それで、どう対処した?」

「よく聞いてくれたフューリアス。我々の勇猛果敢な活躍を君たちにも見せたかったものだよ! 極僅かにカルトの信者達もいたが、彼らは連中に陶酔していた。無害と見て、まず別動隊が建物を封鎖して外に円を描いた。無論平蔵の発案だ。境界をつくる、のだったかな? おかげで見ての通り、外に被害は無い。……すまない、嘘を吐いた。少なくとも現実改変の影響は無いはずだ」


 無論、崩れたビルと斃れた巨人の与えた被害はある。プロメテウスの表情に束の間悔恨が表れた。


「よし。不知火たちの活躍を語るのはやめよう。ともあれ我々は奮戦した。吹き抜けを活用し高度を取る七人に対し、私も平蔵もおいそれとは近付けない。説法は続くし姿を現した巨人は暴れはじめる。恐らく連中がパワーソースになっていたのだろう。我々が何をしてもびくともしない。ついには平蔵が機転を利かせ、私に巨人を任せて平蔵が連中に挑むことになった。私は見事巨人から逃げそびれ、ヤツの手中に収まることで平蔵に時間を作ったというわけだ。見事なチームプレイと言えるだろう」


「つまらん冗談はいい。それで?」


「……うむ。平蔵は連中に声を投げかけた。というのはこうだ。『どなた様も素晴らしい説法をなされておりますが、よくよく聞いてみますと少しずつ語ることが違っておるご様子。一つ伺いますが、一体どなた様が最も正しいことを仰っておりますのでしょうや』。見事な機転だった。その言葉を発したとほぼ同時に現実改変の速度が急速に低下し、脳裏に響く声も小さくなった。目の前では巨人がみるみるうちにいくつかの要素に蝕まれはじめ、私を取り落とした。……あとは言うまでもないな」


「古典的な手だな」


 呆れたように呟いたフューリアスに、プロメテウスは深く頷いて同意を示す。


「うむ、あそこまで覿面に効果を発揮するとは思いもしなかった。黒蓮ブラックロータスの中毒者だ、会話などなんの役にも立つまいと思っていたが」


「いえ、それは恐らく彼らがその言葉を理解していたというのではなく、平蔵さんが相応のプロトコルを利用してパターン化した彼らに働きかけたと考えるほうがいいでしょうね。メギンギョルズと同様であれば個人の人格は喪失しています。疑似神格として単純化した状態だから簡単に物語パターンを通した原始的な呪術でコントロールできたんじゃないでしょうか」


 プロトコル、物語パターン、プロメテウスはルーキーの言葉を二度三度と繰り返し、そして諦めたように笑みを浮かべて頷いた。


「ふむ、そういうものか。ともあれ、結論だけを言えば彼らは呆気なく無力化できた」

 しかしながら、とプロメテウスは世俗の痛苦を思う至賢の顔で謎の金属結晶と化した瓦礫片を拾い上げ、それをまだ肉の質感を残す支柱に向けて擲った。

「それで連中の危険性が軽減されるわけではない。フューリアス、今後もあの疑似神格デミゴッドが溢れるようなら、M型レオナルドの脅威度を上方修正すべきだ」

「ルーキー、どう思う」


 フューリアスに向けられたプロメテウスの視線が、そのままルーキーに流れた。二人分の視線に晒されてルーキーは小さく咳払い。視線を束の間周囲の瓦礫とその中に斃れた巨人へと向けて、一つ二つ思案する。


「……そう、ですね」


 ルーキーはそっと眼鏡を取り出し、そのレンズにほうと息を吹きかけてから掛けた。そうして周囲を見回して、静かに首を振る。


「正直なところ、断言できることはありません。ただ、私とボンドさんの想定を超える何かがあるのは確かです」


 ボンドはメギンギョルズの変成を不自然なモノと呼んだ。ルーキーも同じく、故に疑似神格化の可能性は極小さなものと判断した。


 だがそれが同時に七体と来れば、その判断が正しかったと言うことはできはすまい。間違いを認めるか否か、逡巡にその顔を歪め、敗北感を滲ませてルーキーは言葉を続けた。


「少なくとも、こんなに簡単に疑似神格化の二例目以降が出現するとは思ってもいませんでした。脅威度の上方修正でしたか。私は賛成します。それから、M型レオナルドの早急な解明を」

「だ、そうだ」


「是非そうしてもらいたいところだな。この調子で即席疑似神格インスタントデミゴッドに暴れられてはたまったものではない」

 世を憂う沈痛な面持ちで、プロメテウスは破砕痕を顧みた。極僅かな範囲の破壊に食い止められたとはいえ、その危険性は明白だ。

「私は肉体労働が苦手でね。次に同じ目にあったなら、その時はもっと早く駆けつけてもらいたいものだなフューリアス」


「ああ、次はお前が巨人の手から見事逃げ出すところを見届けてやる」


 フューリアスの言葉に、プロメテウスは静かに肩を揺らす。そしてひとしきり声も無く笑い、プロメテウスはその表情に罪悪感めいたものを浮かべた。


「フューリアス。わざわざ呼び出したにもかかわらずつまらない話を聞かせるばかりとなってしまって、本当に申し訳ない」

「本当にそう思ってんのか?」

 そう口にして、フューリアスはプロメテウスを見上げた。プロメテウスの目を覗き込むと、肩をすくめて小さく笑い飛ばした。


「ま、ルーキー辺りは巨人退治の一つもしたかったかもしれないがな」

 その一言にルーキーは柳眉を逆立てた。しかし素知らぬ顔をして、フューリアスは辺りを見回し満足げに唇を歪めて見せた。


「プロメテウス。天の高炉とやらの連中からは何か引き出せたか?」

「無論多少はな。大立ち回りをやらかして何の成果も無いでは深井戸殿にも見放されるだろう」

 一区切りして、プロメテウスの智慧深い目がフューリアスを眺めた。

「データは平蔵に任せてある。送らせよう」

「ああ」


 呼び出された埋め合わせには充分すぎる。フューリアスは笑みを深め、ルーキーを振り返った。


「戻るぞ」

「はい。……なんですか、随分機嫌がよさそうですが」

「たいしたことじゃない」


 そう口にして歩きかけ、フューリアスはもう一度ルーキーに視線を向けた。


「ルーキー、平蔵のデータを受けとったら人捜しだ」

「人捜しですか。……何故です?」

「M型だ」


 とぼけた疑問を投げかけてきたルーキーに、フューリアスはただ一言で応えた。

 無論、それだけ言えば充分だ。

 これまで単体での出現が精々だったM型レオナルド使用者が七人。それも同一の集団に属する者だ。

 それぞれが個別にM型を埋め込んだ、などと考えるのには無理がある。彼らの共通点がM型の施術者に繋がっていると考えるのが順当だ。即ち魔術禅カルト、天の高炉。そこに出入りする者の中にM型レオナルドの開発者、あるいはそこに繋がる者がいる可能性は高い。

 意識不明のM型使用者の生活を辿り、その共通点からM型を扱う者を探すよりは遙かに早いだろう。


 ルーキーの理解は早かった。M型だと告げるや否や目を見開き、勢い込んではいと頷いた。


「急ぎましょう。平蔵さんは既に本部に戻っているはずです」

「焦るな」

 ルーキーは急ぎ足でフューリアスの前を行き、早くと急かす。

 その二人を満足げに見送りかけて、プロメテウスは声を張り上げた。


「待ってくれ!」


 ルーキーが立ち止まり、どうしたとフューリアスが振り返る。

 プロメテウスは疲弊した身体を引きずり、瓦礫を取り巻く路地に目を向けた。張られた黄と黒のロープを境に、中にいるのはプロメテウス達のみ。時折何があったのかと目を向ける者はいても、立ち止まって近付く者はない。

 最後にプロメテウスの目が巨人に向けられた。

 途端、轟と爆ぜる音が響く。巨人の中で燻り続けていた炎が突然に膨れ上がり、そのまま金属と肉の混ざる肉体を薪としたのだ。

 炎が辺りを赤く染める。不思議と火の粉の一つも無く、ただその巨体を崩していく。


 猛火に照らされて、プロメテウスの顔に影が落ちた。だがそれも束の間のこと、炎を背にしたプロメテウスは照れたような表情を浮かべて禿頭を撫でた。


「その、すまないが平蔵において行かれてしまっていてな。私も乗せていって貰えないだろうか」

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対異能犯罪機関SilverBullet 竹中有哉 @take_b

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