04.活用できるか

「納得いきません! たとえデータが欲しかったんだとしても、他にいくらでも手はあったじゃないですか!」


 憤然と噛みつくルーキーを横目に、フューリアスはエンジンを掛けた。すぐに唸るような振動が全身を包み込む。

「シートベルト」

 溜息を一つ。ルーキーはおとなしくシートベルトを締める。湿ったコンクリートの駐車場から、車は緩やかに抜けだそうとしていた。


 暗い坂を登って道に向かう。二人の目の前を並んだ自転車が通り過ぎる。それを見送って、セダンはようやく車の流れに紛れ込んだ。


「……それで」


 かなりの速度で三台ほどが追い抜いていったのを見送って、ルーキーは口を開いた。


「どうして引き渡したりしたんですか。相手はA.C.W.ですよ?」

「そんなことは分かってる」

「M型の一件で一番怪しいのはA.C.W.なんですよ! そうでなくとも横からこの事件に手を出そうとしてるんです。本当に分かってますか?」


 尚も鋭く言いつのるルーキーを眇に見て、フューリアスは短く舌打ちを一度。


「勿論分かってる。だが、A.C.W.の線は薄い。さっきので分かったが」

「なんですかそれ。開発資料を寄越したからですか。結局M型は持って行かれたのに」

 ルーキーの目はダッシュボード上に置かれたフォルダに向けられている。同様のデータは既にルーキーの手持ちの情報端末の中にもある。データ内は検査済みで危険性がないことだけは確かだ。


「さっきも言いましたが、これを手に入れたかったというだけならまだ手はありました」

「だろうな」


 A.C.W.の開発資料は厳重に保護されている。法に触れずにそれを手に入れようと思えば困難だろう。しかし銀弾機関であれば法を超越した手段を許されている。相応の時間と労力を払えば、実物を手に入れるにしても情報を盗み出すにしてもいくらでも手はある。深井戸の目に適い、機捜にやってくるような超人ならば。


「それに、正確なデータかどうかも分からないんですよ! 一部隠蔽されたデータならまだマシで、最悪な場合木馬です」

「危険性はなかった。だろう?」

「そうですが」

 結果論です、とルーキーの鋭い視線がフューリアスを刺す。だが、フューリアスに言わせれば取り越し苦労も良いところだ。

 例えばストリートの荒事屋ランナーを相手ならば偽装データを渡して攻撃すると言った手も有効だろうが、銀弾機関シルバーバレットを相手にそんな小細工を弄しても意味は無い。素性の知れたメガコーポがそんな手を使えば却って疑惑を深めるだけだ。銀弾機関が一人二人の犠牲を前に足を止めることはない。


 不正確な情報を渡すというのも、この場合は同じようにして考えにくい。どんな手段を講じてもいいなら内部から情報を手に入れる手段はある。何より現物を確保するのも不可能では無い製品だ。既に提出された各種申請を追いかければ、時間は掛かるが解析もできる。そんな状態で不正確な情報を寄越せばそこに隠したいものがあると勘繰られるだけ。時間を稼げるというくらいだが、そこにどれだけの意味があるか――今は考えても仕方ない。


「……ま、A.C.W.の情報を自分の手で掴みたいなら好きにしろ」


 可能性は薄いが、と付け加える。無論悪い手ではない。情報の確度を高める役には立つ。A.C.W.を100%信頼しているわけではないと、それを見せるにもいいだろう。

 お出しされた情報を頭から信じる間抜けだと思われては困る。、精々タフな捜査員であるところを見せなければならない。


 鈴木曰くの期待のルーキーを横目で見れば、腕のふるい所を見つけてやる気に満ちているのが分かる。

 しかし独断専行を許すわけにもいかない。釘を刺しておく必要があるのは明らかだった。

「だが、どんなルートで手に入れたとしても情報は情報だ」


 フューリアスは肩をすくめた。


「お前にとっては違うらしいが」


「……なんですか」

 水を差されて、ルーキーの顔に不満が宿った。理解したかは兎も角、これ以上つついても意味は無い。

「それがお前のやり方ならこれ以上は必要ない。それよりもA.C.W.の話だ」

「……続けてください」


「俺の疑惑が薄れたのはな、ルーキー。理由としてはいくつかあるが、まずはあのエージェント、鈴木が俺達に協力しようとしていたからだ」

 フューリアスの言葉に、ルーキーは目を見開いて抗議した。

「やっぱりデータの話じゃないですか」

 ただ渡したからじゃない、とフューリアスは首を振る。


「甘いと言うなら俺より向こうだ。あからさますぎる」

「……あからさま?」

 ルーキーの反応に、フューリアスは束の間額を押さえた。


「あれは向こうの所信表明と情報収集を兼ねたこちらへの支援だ。どれが軸かは分からん、お前が警戒するなら好きにしろ」

「勿論、警戒はしますが……」

 不満げな顔に、フューリアスは何から説明するべきかを考えた。


 ルーキーはA.C.W.を疑わしいものとと見做している。それは確かだ。今回のM型レオナルドに、A.C.W.が何一つ関わっていないということはないだろう。しかしそれを以てA.C.W.が敵だと断定できるわけではない。

 その疑心はフューリアスにも覚えのあるものだ。要するにこう。敵がこちらに利することをするわけがない。そして敵だと思えばバイアスがかかる。


 だがそれを指摘したところで、物の見方や考え方をおいそれと変えることができるわけではない。


「鈴木の目的は試作品を口実にしたM型レオナルドの回収だ」

 であれば、A.C.W.の目的から語るべきだ。


 フューリアスの言葉に、ミラーの向こうのルーキーが頷いた。反発は無い。ルーキーも愚かなわけではない。A.C.W.てきへの不信が先に立つだけで、状況は理解している。そのはずだ。


「これは試作品の切除を申し出たときの反応で明白だな」


 フューリアスが試作品の抜去を申し出た際に、鈴木はただそれを拒否するのみだった。目的が分かっている以上、試作品のみを取り戻したいのであればM型レオナルドを抜去するように要請すれば良いのだ。


 だが敢えて、鈴木は何も言わなかった。そうすることでM型が必要なのだとアピールしていた。


「A.C.W.にはM型が必要だと考えるのが妥当だろう。今更一つや二つ俺達から取り上げたところで捜査が遅れるわけじゃない。それもお前が確認した上で、だ」

 差はなかったんだろう? 口にはせずにそう問いかける。少し考え、ルーキーは一度首肯した。


「今のところM型の人工異能者は俺達が押さえてる。向こうはレオナルドの開発元だという圧倒的に有利な状況にも関わらず、まだM型の情報を禄に掴めていない。少なくともそう推測できる」

 M型の性能はこれ以上無いほど見事にデモンストレーションが行われている。M型類似の商品を望む者は少なくないだろう。

 そのマーケットをA.C.W.が見過ごす理由もない。そのためにはM型の解析が急務。

 鈴木がアピールしていたのは、そういうことだ。


 それはつまり――。

「つまり、A.C.W.の手元にはM型の情報がないと考えられる」

「今回の事件の中心である疑いは晴れた、と?」

「そうだな。少なくとも俺の方針はそうだ」


 少なくともわざわざ警察に圧力を掛け、鈴木を使わし、レオナルドの情報を自由にできる程度には主流にある連中がM型の情報とは切り離されていると言うのがフューリアスの判断だ。社内政治やA.C.W.内部の派閥争いについてフューリアスが知るところを基にすると、やはりM型をA.C.W.のプロダクトと考えるのには違和感がある。

 フューリアスの思案を余所に、ですがとルーキーは不機嫌な声をあげた。


「そう思わせるための偽装である可能性は?」

「無いと断言はできない。だからこれはあくまで俺の方針だ。お前が疑う分には自由だとも。だが、ただアピールするだけなら交渉にまで話を下ろす必要はなかった」


 無論そればかりではない。鈴木の渡したレオナルドの開発情報。A.C.W.の目的はおそらくそれだとフューリアスは考えている。

 一刻も早い解決を求めている、と鈴木は口にした。その言葉に嘘はあるまい。


 M型を取り上げるだけが目的であれば、敢えて開発情報を渡す必要はなかった。M型の異能者とその被害者を殺傷しうる手段での鎮圧を行っている事実はデリケートな問題だ。そこをつつけば多少の譲歩は必要になっただろう。

 働きかけるにしても、直接的に銀弾機関に働きかける手もある。もっと前の段階で強権を振るうこともできただろう。


 だが、それは無かった。A.C.W.のエージェントが、自ら選んだ流れの中で最初に切ったのが開発情報だ。

 敢えて口にはしないが、A.C.W.の思惑はそれで分かった。対立するメガコーポやストリートの犯罪者達への体面もある。最初から銀弾機関に縋ればA.C.W.は軽視され、狙い目とも思われる可能性がある。強気の姿勢(鈴木のやり方とは正反対のものだ)を見せることには意味もある。社の意向として銀弾機関にべったりと言うわけにも行かないだろう。


 現場の判断で情報のやりとりをした、という状況を望んでいるのだ。事件の解決のために。

 それが分かれば難しく考える必要はない。A.C.W.の目的は明白だ。

「A.C.W.の目的は営利だ。そこに必要以上の悪意を読み取ることに意味はない」

 故に、事件の継続がA.C.W.の不利益になるならば躊躇いなく事件の解決を求めるだろう。

 渡された名刺はそのための窓口だ。どうあれ、鈴木は情報源になり得る。あとはそれをどう活用できるかだ。


「……肝に銘じます」

 不承不承、納得などしていないことをありありと表したままルーキーは頷いた。

 この手合いは自信の納得を前提として行動する。口出ししようとしたが、フューリアスは結局ハンドルを強く握りしめて黙り込んだ。

 余計な口出しをすれば反発する。そこにばかりかまけていられても困るが、調査の一部としてそこに振り分ける分には問題ない。


「ルーキー。レオナルドのデータはどうだ」

「……データとして瑕疵はありません。技術的な部分に関しては専門家に任せる必要はありますが、M型と突き合わせればもう少し何か分かると思います」

「悪くない」

 上出来だ。このデータの真偽は置くとしても、状況は必ず進展する。


「よし。データを捜査資料に加えておいてくれ。あとはこいつだけ届ければ技術屋連中には充分だろう」

 手書きを含めたマニラフォルダ。示されて、ルーキーも頷く。


「一度戻る。すぐに持って行くと伝えてくれ」

「分かりました」

 端末を操作して少し。メールを送ったルーキーは力を抜いて椅子に寄りかかった。疲労感がその顔に浮かんでいるように見えるのは間違いでは無いだろう。

 それにしても、とルーキーは唸る。


「良かったんですか、フューリアスさん。朝は情報は渡さないなんて啖呵を切ってたのに、勝手にM型を引き渡すなんて」

「俺達の掴んだ情報ってわけじゃないだろう」


 肩をすくめたフューリアスに、ルーキーは胡乱げな目を向けた。


「それに、この件に関しては俺達が責任者だ。事件解決のためにどうするかは俺達に任されてる」

「……私、賛同してませんよ」

「俺はお前の教育係だ。悪いがやり方には慣れてもらう」

 応えず、ルーキーは窓の外に目を向けた。そして目を落とし、話を変えるように眼を瞑って呻く。


「フューリアスさん、煙草吸うんですか?」

 フューリアスは顔をしかめ、眉を寄せる。

「生憎だが。それにこの車も禁煙だ。吸いたいなら降りてもらう」

「え、でも」


 するりと伸ばしたルーキーの手が、ドアポケットから銀のジッポを拾い上げた。

「ほら、これ。フューリアスさんのじゃないんですか?」


 ジッポを見て、フューリアスの顔が一瞬悔悟に歪んだ。それを気取られないよう、すぐに渋面を作る。


「俺のじゃない。……スワロウだ」

 やれやれ、と殊更何でも無いように肩をすくめ、フューリアスはジッポから目を逸らす。


「何度禁煙だと言ってもアイツは……いや、まあ良い。スワロウの愛用だ。折を見て返す」

 貸せ、と差し出した手に、ポンとジッポが載せられる。それを乱暴にコートのポケットに押し込んで、それきりフューリアスは黙り込んだ。


 訝しげなルーキーの不躾な視線がフューリアスに投げかけられる。溜息。フューリアスはその視線に気付かないような顔をして運転に集中した振りをする。

 息詰まる沈黙が十分も続いた頃、ついにルーキーが口を開いた。


「フューリアスさん」

「なんだ」


 ぶっきらぼうな応えに臆さず、ルーキーはそのまま問いかける。

「スワロウさんはどういう人なんですか?」

 今向けられるとは思っていなかった問いに、フューリアスは怪訝な顔をした。

「どう……と言ってもな」


 逡巡し、フューリアスの指先がハンドルを叩く。

「……優秀なシルバーバレットだ。何度も助けられた」

「それだけですか?」

 三分の好奇心を表情に載せて、ルーキーがそう問いかけた。


 一瞥向けたフューリアスは苦り切った顔になる。信頼できる相棒、だがそれ以上は。

 スワロウが如何に優れた相棒だったかを語る気にはなれない。何故病院送りになってしまったかについては尚更だ。だが、フューリアスがスワロウについて語るとなればその二つに触れることになる。


「少なくとも、たんなる凡人の相棒になっても気を悪くすることは無かったな」


 ぐ、と声にならない声を漏らしてルーキーは言葉に詰まる。


「……ま、お前だけじゃない」

 言葉通り、何もそれはルーキーばかりではない。それなりに多く、フューリアスはバディを組んできた。上手くいくときもあればそうで無いときもある。勿論、たんなる凡人と軽視する相手にはそれなり以上に力量を見せてきたが。


「悪いな。スワロウについてはまた余裕があるときに聞いてくれ。今はそういう気分じゃない」

「……はい」


 今度は後味の悪い沈黙が車中に降りた。

 フューリアスの運転するセダンは、その腹中に抱えた空気を余所に陽光の中を銀弾機関へと走る。


 その距離が残り僅かとなり、どれだけもしないうちに銀弾機関に帰り着く、というその時。


 沈黙を破って、端末が震えた。

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