03.相応の対応

 冷え切ったコーヒーに意識を向け、フューリアスは務めて目の前のエージェントを意識から追い出そうとした。

 A.C.W.のエージェントは寂しい頭を何度もフューリアスに見えるように頭を下げ、美辞麗句阿諛追従立て板に水と流れるが如き褒め殺しを垂れ流してご機嫌を伺おうとする。


 二言目にはフューリアスの過去の過去の功績を持ち出して褒めそやし、かと思えば自らの窮状を滔々と語る。五十も過ぎたような男が汗を拭きながらなんとか厚情を乞おうとする様は、醜悪であると感じるよりも前に憐憫の情を覚えずにはいられない。


 フューリアスは溜息を吐き、そっと時計を確認した。会合は既に三十分を数える。今ここにいないルーキーの帰還をフューリアスは待っていた。


「お連れの方、随分掛かっているようですね」


 時計を覗ったのを悟って、痩せた――やつれているようにすら見える男がそう口にした。最初に手渡された名刺には、資材管理部の鈴木とあった。下がった口角と目尻がどこか愛嬌すら漂わせ、それがまたどうしようもなく悲哀を帯びたように見える男である。


「……ええ、まあ。どうやら」

 引き結んだ口を緩め、フューリアスはそれだけ応えた。鈴木はしみじみと頷き、ようやく目の前のコーヒーを手に取った。一口すすり、すっかり冷めてしまっていますねと口にしたその顔はどこか泣き出しそうにも見える。


 その顔がふと上を見上げ、人好きのする笑顔を作った。

「ああ、どうやらもう戻られたようですよ」

 その言葉と前後して、扉を叩く音が響く。入れと一言、それに応えてドアが開く。

 新たに部屋に入ったのはルーキーだ。足早にフューリアスに駆け寄って小声で耳打ちする。


「確認したところ、レオナルドは既知のM型との差異が見られませんでした。それから胸部に型番の分からないA.C.W.のサイバーウェアが。恐らくこれが話にあった試作品かと」

「分かった。座れ」


 促して、フューリアスは鈴木に目を向けた。愛想良く振る舞おうと努めて笑顔を浮かべた様子で、鈴木はルーキーに頭を下げる。


「お話にあったルーキーさんですね。昨夜の活躍に関しては聞き及んでおります。いやはやお若い方の活躍を聞くと我が身が情けなくなってしまうものですね。お陰様で弊社の方でも情報がつかめまして、何とか解決の糸口をつかめないかと尽力している次第です。ご活躍の段、お聞かせ願えれば幸いです」


 振り向いたルーキーの形相は曰く言いがたいモノに変わっている。フューリアスは肩をすくめ、首を振る。返事をしろと小さく告げると、ルーキーは恐る恐る鈴木を振り返った。


「……ええと、お褒めいただきありがとうございます」


 賞賛に対する喜びと、A.C.W.のエージェントに対する不信感が綯い交ぜになった奇妙な表情でルーキーは頭を下げる。


 鈴木はその表情に一切気付いた様子も見せず、頭を何度か下げてなおも褒めちぎろうと言葉を続けた。


「鈴木さん。悪いが引き取りの話に戻ろうか」

 それを打ち切ったのはフューリアスの言葉だ。鈴木は汗を拭いながらなんとか笑顔を形作った。

「そのためにお呼び立ていたしましたわけですから、勿論。ああ、申し訳ありません。どうにもお喋りなものでして、つい脇にそれてしまいまして。本当にありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ありません」


 言い終わる頃にはルーキーはそっと隠れるようにフューリアスを盾にしている。その顔に薄く侮蔑を浮かべかけたルーキーを、フューリアスは小さく首を振って諫めた。

 それを見ても鈴木の表情に変化はない。どこか情けなさの残る笑顔を浮かべたままだ。


 フューリアスは眉間を揉んで溜息を一つ。

「最初に言ったとおり、申し訳ないが鈴木さん。今回の一件について、暴走した人工異能者は一律銀弾機関うちが預かることになってる」


 何か言いかけたルーキーを、フューリアスは一睨みで黙らせた。A.C.W.とのやりとりはルーキーにはまだ荷が勝つ。余計なことは言うなと、フューリアスは事前に告げていた。


「確かに銀弾機関そちらの決まり事に関しましては事前にご連絡頂きました通り、深く理解しているつもりです。ですが弊社としましても開発中の製品に関して、情報流出が発生するのは大きな問題がありまして。どうかそこを曲げてお願いできないでしょうか? もちろん引き渡していただけるのでしたら、謝礼の方は出させていただきます」


 悪いが、とフューリアスは肩をすくめた。


「謝礼をいくら積まれても事件は解決してくれないんでな。それともA.C.W.としては金を積んででも証拠を持って行きたいと?」

「そんな、滅相もありません!」


 慌てて声が裏返る。その後自らの不作法さに気付いたように、数度謝罪を口にしながら鈴木は汗を拭った。


「弊社と致しましては無論銀弾機関の皆様の捜査を妨害する意図などありません。今回の事件に関しましては一刻も早い解決を望んでいるというのは先ほども申しました通りで、かねがねお名前を伺っていたフューリアスさんと、所属から日が浅いながらも既に危険な義体不正使用者を2件捕縛したルーキーさんのお二方の邪魔をしようなどと、とんでもない話です」


 そう言って深く深く頭を下げる。傍らでルーキーが身動ぎした。


「その言葉はありがたいが……」


 見えてはいないと知りながらも、フューリアスはゆるゆると首を振った。


「どうあれ引き渡しには同意できない。問題のサイバネだけ抜き出して回収してもらうわけには?」


 ふう、と溜息を一つ。ゆっくりと身体を起こした鈴木はこめかみの汗を拭う。僅かな思案がその表情に浮かんでいる。


「生憎ですが、こちらの試作品はクライアントの生命活動の一部を代替しておりまして。ただ抜去するというわけにはいかない事情がありまして」


 フューリアスは横目でルーキーを確認する。鈴木の言葉に、ルーキーもまた僅かな動揺を見せた。


「……待ってくれ。サイバネティクスは停止してるはずだ。今回確保された暴行犯はただ意識を失っているだけで、それ以上の報告はない」


 その言葉に、鈴木は我が意を得たりというように頷いてその通りですと口にした。

「弊社製品の一部では生命維持に必要な機能をブロック化し、情報的には完全な閉鎖系としておりまして。外部からのアクセスは不可能な状態になっております。勿論それ以外の機器に関しましてもセキュリティは厳重を期しておりますが、それを突破された事実には目を見張るばかりです」

「……ああ」


 フューリアスは口元を隠し、その下で苦虫を噛み潰した。その言からすれば、どうやってM型レオナルドを停止させているのかをA.C.W.が掴んでいるのは確実だ。そしてそれが命に関わりうることだということも滲ませている。

 続く言葉を待って束の間フューリアスは鈴木を見つめた。しかし焦燥を漂わせる困った表情以外に鈴木が持ち出してくるものはない。人命を盾にゴリ押ししてくるようであれば相応の対応を取るつもりだったが――フューリアスは深く息を吐いて力を抜いた。


「そうなると試作品とやらを抜いてもらうわけにはいかないな」

「申し訳ありませんが、そのようになりますかと。折角のご提案に対し良い返答ができず、誠に申し訳ありません」


 心底残念そうなその顔は、ともすればできるだけのことをしてやりたくなるような哀愁を漂わせている。

 その顔を無言で眺め、数秒。それ以上を鈴木から要求してくることはない。

 なるほどと胸中で呟いて、フューリアスは額を叩いた。


「こちらとしては現状、少しでも情報が欲しい。M型レオナルドを使用した異能者は少しでも多く確保したい。悪いが、試作品周りを確認しないよう書面を取り交わす形で済ませられないか? 銀弾機関絡みで情報の漏洩が発生した場合には賠償もする。金額はそっちで決めてもらいたい」

「ちょ、フューリアスさん、そんぐっ」


 何か言いかけたルーキーの口を物理的に塞いで、フューリアスは鈴木に笑いかけた。悪くない条件ではあろう。力任せに持って行くこともできるが、そうしないということが誠意だという提案だ。

 もし賠償が発生する場合、生中な数字では収まるまい。銀弾機関が傾くということだって充分あり得る。リスク込みの提案だ。

 そして無論、


「ありがたいご提案です。しかし、心苦しい話ですがフューリアスさん。こういった開発に関しましては弊社の技術部門は繊細でして、外部で試作品が調査される可能性があると言うだけで――ああ、勿論銀弾機関の皆様を疑うというわけではありません。つまり、管理下を離れるだけで問題視する方が大勢おりまして。弊社内部のことで誠に申し訳ありませんが」


「そうか。そいつは困ったな」

 渋い顔をして、フューリアスはコーヒーを一口啜る。

「申し訳ないがこれ以上は難しい。そちらの事情も汲んで、ある程度は希望に沿いたかったが」


 一瞥、視線をルーキーに向ける。もう切り上げると見てルーキーの表情には安堵が浮かんでいた。

 だが、ルーキーの望むとおりとはいかないのは明白だ。


 立ち上がろうとしたフューリアスのに向かって鈴木の手が伸びる。お待ちくださいと絞り出すような声。眉間に皺を寄せ、堅く目を瞑り、苦渋をその顔に浮かべてみせる。待ったなしとは言い難い。


「申し訳ありません。そちらの事情は分かった上でこちらの都合ばかり並べ立てておりました。誠に申し訳ありませんが、あと少しばかり話を聞いていただけないでしょうか」

 もう切り上げたいと言いつのるようなルーキーの眼差しを無視し、フューリアスは腰掛け直した。

「少しだけなら」

 鈴木の顔が輝いた。まさに地獄に仏、と言いたげなその表情。鋼の自制心でも無ければつられて笑顔を返すだろう。


「ありがとうございます。これ以上のお時間は取らせません。単刀直入に申し上げます。フューリアスさん、今回のクライアントに関しまして、弊社の保有するレオナルドの開発資料との引き換えというわけにはいかないでしょうか?」


 眉を上げ、フューリアスはコツコツと二度額を叩いた。


「そちらの捜査状況に関しまして、クライアントに搭載された類似品よりも役立つかと存じます。いかがでしょうか、こちらなら銀弾機関の捜査について邪魔立てすることもないかと思うのですが」


「ルーキー」

 意見を伺うような声にルーキーが口を開く前に、フューリアスの鋭い視線が黙っていろと告げていた。


 ほうと息を吐き、肩の力を抜く。身体をソファに身をもたせかけ、フューリアスは一度頷いた。


「分かった。条件を呑もう」

「フューリアスさん! 本当にありがとうございます」


 立ち上がり、感極まったと言わんばかりに声を上げ、鈴木は何度も頭を下げた。

 すぐさま端末を取り出してどこかに連絡を繋ぐと、ものの十分もしないうちにA.C.W.の社員が数名姿を現した。クライアントの引き取りと、そしてレオナルドの資料のためだ。


「突然に無理を言いましたにもかかわらずこのような対応誠にありがとうございます。お陰様で弊社技術部門も安心しております」


 既に何度繰り返されたかも分からない感謝の言葉を述べながら、鈴木は社員から受け取ったマニラフォルダをフューリアスに手渡した。書類とは別に小型のディスクに収められたデータもある。ディスクをルーキーに投げ渡し、フューリアスは軽く書類を確認した。


「持ち帰って確認させてもらう」

「資料は何卒調査にのみご利用ください。お役に立てば何よりです」


 頷き、フューリアスはフォルダを閉じた。

 二人の脇をストレッチャーに載せられたサイボーグが運ばれていく。傍目にも分かる重改造義体使用者サイボーグだ。身動きもしないが、生存は確かだ。


「それでは、私はこれで。もし何かありました場合は先に渡しました名刺に連絡先がありますので、そちらにどうぞ」


 一礼、鈴木はストレッチャーを追って踵を返す。それを見送って、フューリアスは振り返った。

 ルーキーは憤懣やるかたないという風情で遠ざかる鈴木の背を見送っていた。いいや、睨みつけていると言ったほうが正確だろう。

 そのまま、感情を露わにした視線がフューリアスに向けられる。


「……何故引き渡したんですか」


 気に入らないと滲ませるその声に、フューリアスはフォルダを振ってみせた。


「必要だからだ」


 分かっているだろう、と鋭い視線を投げ返す。

 だがルーキーは納得しない。


「相手はメガコーポですよ。信用できません! 本気で正確なデータを渡してきたと思ってるんですか?」

「確証はないが、下手なデータを渡してくることはないだろう」


 くだらないことを聞くな、とフューリアスは歩き始める。それを慌てて追いかけながら、ルーキーは言葉を続けた。


「いくらなんでも甘過ぎです! 暴行犯を引き渡すなんて、いくら相手がああでも……!」

「……甘い?」

 冗談じゃない、とフューリアスは肩をすくめた。

 呆れかえったその視線に、ルーキーは僅かに身を竦ませた。

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