悟 甘ヤカナ悪夢
俺ことアーティールは、ある日トラックに跳ねられて死んだ。
と思ったら、この世界――ルムラティエに生まれ変わっていたんだ。
まるで中世のようなこのルムラティエは、剣と魔法によって成り上がれる実力主義の世界だったんだ。
瞬く間に過ぎる充実した日々。十五になった年を境に、絶大な魔法と剣の才能を持つ俺は、この世界で順調にのし上がっていた。
「ラン、ミーア、エルア、フィオレ。俺はきっと王になるぜ」
「アーティならなれるよ! 私、応援してる」
「私たちが支えるんだもの、きっと」
今も目の前には、敵の大軍勢がこちらに向かって駆けてくるのが見える。
だが、俺は何の心配もしていない。愛する四人の女性が俺を支えてくれる限り、絶対に負けるはずはないんだ。
この国の王女であるフィオレ。彼女と結婚することで王になる。そのためには何より大きな手柄が必要なんだ。
俺の野望のために、お前たちには一人残らず死んでもらう。
「極大破壊呪文、その威力を見せてやる!」
俺は天に両手をかざし、意識を集中する。
純白の輝きが周囲を照らし、味方の軍勢が感嘆の声を上げる。
「さあ、行くぞ! オールホワイト!」
両手を振り下ろせば、純白の光が大地を埋め尽くして――
「え?」
何かにかき消されて、あっという間に消えた。
「なんだ、あれ」
巨大な刃が、空間を破って突き出している。
敵も味方もなく、誰もが唖然としてそれを見つめている。
城よりも遥かに巨大な刃が、空間を削り取りながら地面に激突した。
「アーティール! あれは貴公が新たに作り出した魔術か!?」
「いえ、違います。俺の魔術は、信じられないことですけど、掻き消されて――」
「馬鹿な! ではあれは、貴公の力すら凌駕しているというのか! 信じられぬ」
悲鳴を上げる将軍。俺も同感だ。
生まれ変わってから今まで、負けたことなどないのだ。天から愛されているのだと信じていた。
「くそ、奴らの仕業か!?」
そんなはずはない。刃はまず敵陣を襲ったのだ。
薙ぎ払われた刃は、まるで蟻を振り払うように敵兵を殲滅していく。
「な、なあアルティール。あれはやはり、貴公が偶然生み出した新種の魔術ではないのか? ああやって、敵を」
「……そう、なのでしょうか」
だが、脳裏には恐怖から来る危機感が満ちている。
あれは絶対的な破滅だ。味方でなどあるはずがない。
「だ、大地がっ!?」
刃が地面に突き立った。そのまま世界を割るかのように、ざくざくと押し当てられては抉られていく。
「あれは、あれは駄目だ。壊さなくちゃ」
「アーティ!?」
「あれはこの世界を滅ぼすものだ! 感じないか、不安を! 感じないか、殺意を!?」
「た、確かに……。あの刃を、あの刃を壊せぇぇーっ!」
誰もが俺の言葉に賛同した。あれは、この世界にあっちゃいけない。
俺も、命を捨てる覚悟でやらなくちゃならない。この世界を護るために。全力で!
「うおおおおおおおおっ!」
生命力をそのまま魔力に変換して、究極の破壊魔術を構成する。
寿命がどれだけ持っていかれてもかまわない、そう覚悟を決めて、練り上げた魔術を、解き放つ。
「斬神の刃、食らえええっ!」
破滅をもたらす刃とよく似た、魔術の刃。
その切っ先を、全力で突き入れる!
「うおおおおおおおおおおおっ!」
***
「さて、これでひとつは潰せたね」
ミタチは壁に埋め込まれていた肉塊をひとつ、無数の肉片にまで分解しました。
血と、灰色と、わずかの肌色。
しかし弓削は動じることもなく微笑むばかりです。
「かわいそうに。彼らは自分たちの幸せな世界を、あなたという破壊者によって滅ぼされてしまったのです。その絶望はどれ程のものか」
「二十八。この塊を構成している命は、二十八個あったよ」
「ほう?」
「ひどく薄いね。まるで命の濃密さを感じない。私がタイジュから名を与えられてから今まで、代行して殺した相手も、代価として命をもらった相手も。もっともっと濃密な『生きている』という実感があった」
「彼らはこの世界の理不尽に絶望していた。胡蝶之夢。言ったでしょう? 彼らはきっと、この理不尽な世界から解き放たれ、新しい世界で新しい人生を始めていたはずなのに」
弓削の言葉には心底からの憐れみがありました。
ミタチは左手に持っている、弓削のひとつめの首を放り投げました。
切った場所から生えてきた新しい首は、何事もなかったかのように語るのです。
「つよいものとして生まれたあなたには分からないでしょうね。先ほど小生の横を通り抜けていった闘仙殿も、あの先におわす神には勝てません」
「神、だって?」
「ええ。あの御方はまさしく神。程なくこのなかの命のひとつになられることでしょう」
その言葉に、ミタチは心の奥から湧き上がる感情を抑えることができませんでした。
衝動の赴くままに、両手の指を刃に変じて弓削の体を斬り刻みます。
「ふ。あは、ははは、あはははははははははは!」
飛び散る肉片、溢れる鮮血。
弓削はやはり痛みを感じている様子はありませんでしたが、ミタチの様子に困惑しているのか、どういう態度を取るべきか悩んでいるようでした。
「ああ、可笑しい。タイジュが負けるだって? 笑わずにはいられないね」
「どの辺りがおかしいのか、分からないのですがね」
ミタチはその疑問には答えませんでした。後ろをちらりと振り返ると、大葉と呼ばれた男が銀色の杖を振るって押し寄せる怪物たちを打ち払っています。
「やあ、タイジュの部下君! 手助けは要るかい?」
「必要ありません!」
雑ともいえる動きの中に洗練の極致がある上司の技術と比べて、部下の動きはまだまだ鈍いものです。一振りで複数を打ち据えながら相手の攻撃の軌道を逸らす、などの芸当は彼にはまだできないようで。
幾度となく殴られ、体当たりされていますが、その肉体は怪我ひとつないように見えました。
守るべき僧侶に向けて伸ばされた怪物の手を、優先して叩くと、その合間に彼の体には爪や牙が突き立てられます。
僧侶に怪我がないことを確認してから、大葉は自分に群がる怪物を撃破していくのです。
すでに上半身を包む服や破り取られ、鎧のような筋肉が露わになっていました。そして、それだけの攻撃を受けながらも見る限りその身に傷はひとつもないのです。
「タイジュと同門というだけのことはある、ということかな」
そして、それよりも驚くべきは護られている僧侶の集中力でした。
床に座禅を組み、法力を集中させている様子も圧巻ですが、自らに触れるか触れないかといったところで大葉がどうにか防いでいることに、一切動じていない様子なのです。
「ふむ。何をするつもりかは知らないが」
ミタチは体をわずかに前に傾けました。そのまま左足を刃に変え、後ろに立っていた弓削の体を斜めに斬り上げます。
二つのパーツに泣き別れした弓削の体でしたが、地面に足をつけていた方が元気に再生しました。大葉とは違い、服までもが再生しているのが不思議です。
「無駄なことですよ」
言葉が二重に聞こえます。再生しなかった上の方も、平然と声を上げたからです。
いい加減、ミタチは面倒になってきました。このまま放置すれば、おそらく大葉と僧侶に悪さをするでしょうし、斬っても効果がない理由には大体見当がついていたからです。
「やれやれ。こういうのはあまり好きではないのだけど」
ミタチは髪を一本、ぷちりと斬ると弓削の体に投げつけました。
刀の付喪神であるミタチの髪は、その喉元に綺麗に突き刺さります。
が、それだけでした。弓削が怪訝な顔をします。
「それで、このようなことに何か意味があるのですか?」
「あるんだよ、これがね」
ミタチは嫣然と微笑むと、両腕両足を刃に変えました。
弓削の体をこれまで以上に切り刻み、それぞれを肉片へと変えていきます。
「これ程動いて、一切の疲れがないというのは羨ましいかぎりですね。あなたほどに強い存在には、やはり我々の考えは理解できないことでしょう」
「理解はできないし、するつもりもないよ」
ずたずたに引き裂かれても、それ以上の速度で弓削の体は再生していくのです。
喉笛を斬られた時には一瞬声が途絶えるのですが、それにも痛痒を感じている様子はまったくありません。
「このように斬り続ければ、どうにかなると思っているのであれば、無駄だと言わざるを得ません。ふふふ」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」
「無駄ですよ。先ほど行ってしまった闘仙どのもそろそろこの屋敷の一部になっていることでしょう。あなたのような存在は仕方ないにしても、人はここではあまりにも無力です」
「人、ねえ?」
「ええ。小生が手を出さないでいるから、あなたの後ろのふたりは今も無事ですね。何をしようとしているかは知りませんが、何をしたところで意味のないこと。あなたがいなければ、彼らも今頃この屋敷の一部」
弓削は疑うそぶりもなくそう言い切りました。
ですがミタチにもまた、譲れないものがあるのです。
「君がタイジュをどう思ってもかまわない」
手も足もとめずに、ミタチは笑みを浮かべます。あの日のことを思い返すと、どんな時どんな場所でも笑顔になってしまうのですから。
「だけど、私もまた人を殺すことにかけては永くながく時間をかけた。人を相手に負けることはないし、斬った時の感触以外の違いを感じることも出来なかった」
「恐ろしい妖魔ですね。なぜ彼らがあなたを連れ歩くのか理解できない」
「教えてもらったからさ。私はタイジュに、人という生き物がどういうものかを教えてもらった。そして、人の持つ心がどういったものであるのかも」
「それで丸くなったということですか」
「丸く? さあね。私は人食いの妖魔さ。それは今も昔も変わらない。だけど、昔より斬る相手にこだわりをもつようにはなったかな」
弓削は先ほどからしゃべりながら、無数の呪詛をミタチに投げつけてきます。しかし、ミタチの体はその呪詛を受けてもまったく痛痒を感じることはないのです。
弓削がこちらの攻撃に痛痒を感じないのと同じように。
「君の呪詛が効かないのは当たり前だ。私は人を相手に負けないように出来ている。どのような術も、技も、私を害することは出来ないし、それは人のかたちをした妖魔であっても変わらないのさ」
「それは厄介ですね。で、それがどうかしましたか?」
察しの悪い男です。いや、人というのはいつだってそういうものでした。
ミタチはその不明を鷹揚に許し、わざわざ説明するのです。
「人では私に勝てない。人の形をした妖魔でも私に勝てない。だが、私は確かにタイジュに敗れた。恐れ、畏み、敬い、今の私はタイジュを愛してさえいる」
「惚気話ですか。楽しそうですねえ」
「ふふ、それほどでもない。君はさっき、人である限り奥の神とやらには勝てないと言った。それはきっと、真実なのだろう。だけどね」
ミタチはそこで手を止めました。大きく両手を広げ、断言します。
「私を負かしたタイジュもきっと、もはや君の言う人ではない。残念だが、君たちの企みは今日ここで潰える」
背後で、満ち満ちた法力が膨れ上がるのを感じます。
僧侶の準備が整ったようです。
「――――」
僧侶の口から、人の耳には聞き取れない音で言葉が放たれます。
背を向けている、ミタチにも声は聞き取れませんでした。しかし、確かに感じられるのです。
法力が光となって視界を埋め尽くします。
同時に、肉の塊から魂が抜けていくのを感じます。
「ああ、勿体ない」
人の魂を主食とするミタチにとっては、食料が虚空に消えていくようなものです。
仕事以外では口にしないと定めていたのですが、思わず言葉が口を出ます。
「な、なにが。何が起きたぁっ!?」
弓削が余裕を失いました。
ちらりと斜め前を見ると、肉塊の脈動と呼吸は止まっており、そこに命が存在しないことがすぐにわかります。
大葉の戦う音もなくなりました。怪物たちも命を解き放たれ、涅槃へと向かったのでしょう。
「さすがは高僧。鬼が生き胆を貪りたいと願うのも分かるというものだね」
「いったい、何が起きたのだ!?」
「造り替えられた器に囚われていた命が、解き放たれたのさ。この形では生きているはずのない命が、ひしめきあって生きていた。それをね」
弓削の表情が絶望に、そして次に憤怒に染まりました。
「何ということを――」
「彼らの言葉を借りるならば、苦痛多い世界から解き放たれ、極楽へと向かうのだろうさ。
ミタチは弓削の怒りを受け入れませんでしたた。
弓削は明らかに余裕を失っていましたが、自分の命についてだけは自信があるようで、自分を奮い立たせるように叫びます。
「だが、だがお前たちに小生を殺すことなどできない! 小生は!」
「向こうのほうに本体があるのだろう? いま私の目の前にいる君は、そこから生えているごく一部に過ぎない」
「その通りだ! よく看破した! だが、それがどこにあるかなど分かるまい!」
「そんなことはないよ」
ミタチは左腕を刃に変えました。
大きく後ろに引き、全力でそれを伸ばします。壁に当たっても床に当たっても委細かまわず、ひたすらに伸ばしていきます。
「がッ!?」
「君の血管を通って、私の髪が一本、君の心臓に到達したところさ。あとはそこにめがけて指を伸ばせばいい」
「まっまっまさか、さっきの動きは」
「ほら、体が再生したときに中に取り込むだろ?」
「貴様! 貴様ぁぁぁぁぁっ!」
強い痛みに身をよじらせながら、弓削が掴みかかってきました。口蓋の中に見える黒ずんだなにか。
呪いでしょうか。御太刀は焦らずに左手を引き抜きました。髪と一緒に引きずり出したものが、物凄い勢いで手元に戻ってきます。
ミタチがかざした左手に、弓削の呪いが浴びせかけられたのは次の瞬間でした。呪いは左手に掴まれていたもの――引きずり出した弓削の魂に直撃して、その色を赤紫に染め上げます。
「あうっ! ひっ、ひぎぎいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
効果はてきめんでした。
見る間に弓削の体は錆色に染まり、ぼこぼこと腫れ上がります。弓削が痛みと苦しみに身をよじると、割れて強い腐臭が漏れ出ました。
屋敷が揺れます。弓削の本体とやらは、果たしてどれほど大きいのやら。
「痛い! 痛い! 助けて、助けてくれっ!」
悲鳴を上げる弓削ですが、そもそもミタチはこれほどの呪いを解く方法など知りません。
みしりみしりと屋敷が異音を立て始めました。このままでは屋敷が崩れるのも時間の問題です。
ミタチは意を決して、赤紫に染まった魂を口に含みました。
「まずっ!」
強い臭みとえぐみ。口の中に広がる刺激は酸味と苦みでしょうか。
ミタチは思わず、思い切り吐き出してしまいました。
強く床に叩きつけられた魂は、ぐしゃりと潰れて四散します。
「――――⁉」
弓削の断末魔は、とても人のものとは思えない絶叫でした。
先ほどの僧侶のものとは違い、安らぎなど微塵も感じられません。
「ぺっ! ぺっぺっ! ああ、ひどい目にあった」
口の中に広がる刺激に涙目になりながら、ミタチは口を拭って頭を振りました。
まずさに苦しんでいる間に、絶叫が耳に直撃したのです。
ある意味、最も効いた攻撃だったかもしれません。
「うう、何かで口直ししないと」
ちらりと後ろを見ると、力を使い果たして眠る僧侶を大葉が背負っていました。
魂の味は最上でしょうが、彼らの魂を食らうのは矜持に反しますし、何より彼らは大切なひとの大事な友人です。
「そうだ、タイジュに口直ししてもらおう」
と、天井からすさまじい音が響いてきました。致命的な音です。
弓削の死によるものか、奥での戦いの影響でしょうか。
ミタチは大葉に向けて声を上げました。
「私はここでタイジュを待つよ。君たちは先に出ているといい」
「そんな! 椚様を待つなら一緒に――」
「ここは崩れるかもしれない。君はともかく、そうなったらそこの僧侶を護り切るのは難しいだろうね」
「……椚様を頼みます」
「言われなくても」
頼まれなくても、彼がどうにかなるはずもありませんが。
屋敷を後にする二人から興味をなくしたミタチは、壁によりかかって目を閉じるのでした。
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