陸 骨丸入道仕置始末

 三日後。椚は旧宿に入ろうとする神秘対策室の大部隊に先行して、旧宿を歩いていた。

 探している妖魔がいるのだ。

 コンクリ櫓の住民たちから、どうやらこの辺りにいるらしいと連絡を受けてはいるのだが。


「いた」


 紫色の体色。定まらない焦点。嘴は絶え間なく動き、その端からはだらだらと青緑色の唾液を流して。

 椚としては本気で関わり合いになりたくない相手――奈永ななが池のれ河童である。


「よう、奈永池の」

「あ、椚さん椚のダンナ闘仙さま椚先生」

「相撲の相手を漁っている感じだな?」

「相撲、そう相撲、投げたい投げられたい押し出したい押し出されたい突っ張りたい突っ張られたい組みたい組みたい組みつきたい」


 会話にならない。頭をぐるんぐるんと振りながら言葉を重ねてくる狂れ河童に、椚は眉間を押さえながら続ける。どうやらこちらの言葉を聞く程度の能力は残っているようなので、辛抱強く言葉をかぶせる。


「お前にとびっきりの相手を用意してやる」

「本当に? ならやろういまやろうすぐやろうここでやろうはやくやろう」


 狂れ河童が話も聞かずに組み付いてきた。

 これだから面倒なのだ。

 極彩色に濁った皿を叩き割りたい衝動に駆られるが、我慢して腕を引き剥がす。


「げっ! てめえ、人の服を汚すんじゃねえよ」

「投げる、投げる、投げる!」


 ぼたぼたと垂れていた唾液が服に飛び散る。

 相撲に意識が取られてこちらの言葉も聞こえていないようだ。

 椚は苛立ちを顕わに狂れ河童を放り投げた。


「ふぎゃっ!」

「面倒くせえな、まったく! お前の相手は俺じゃねえ、今から連れていってやるから少し黙ってろ!」


 地面に顔面から突っ込んだ狂れ河童の皿の部分を掴み、引きずる。


「あっあっあっ、皿が皿が割れる砕けるまずいまずいまずい許して許して許して割らないで砕かないで大人しくするからぁっ!」

「少し静かにしてろ」


 みしみしと音を立てる皿から手を放してやり、今度は首根っこを掴む。


「いたっ、いたたたっ! そこも駄目、痛い痛い!」

「静かにしてろと言ったぞ」


 きいきいと上がる耳障りな悲鳴には取り合わず、椚は目的地を目指して歩き出すのだった。


***


 骨丸入道と最も近いと言えば、コンクリ櫓である。

 何やら巨体どうし馬が合うのか、骨丸入道はコンクリ櫓やその住人に喧嘩を売ることはないし、コンクリ櫓も骨丸入道の寝床を引き寄せることはない。

 それはつまり、コンクリ櫓は任意に構造物を引き寄せることが出来ることを指すとも言えるのだが、今回の主題はそこではない。

 今の旧宿は良くも悪くも妖魔たちによって秩序を得ている。そこに人が介入するのはある種の傲慢であると椚は考えていた。

 だが、骨丸入道の高層ビルほどもある巨体がごそごそ動き回る様子を、旧宿の住人ではない周辺の人々が恐ろしく見ているのも分かる。

 神秘対策室の突き上げなどはどうでもよく、ただ人々の心の安寧と、出来る限り穏便な事態の解決が椚の望みだ。

 椚は骨丸入道がねぐらにしている雑木林の中に入り込んだ。

 普段寝転がることのない骨丸入道の下半身が木々に差し込まれて固定されている。

 椚はその中でも最も高い一本の天辺にひょいと飛び乗った。


「よう」

「む、椚どのではないか」

「久しぶりな、骨丸のジジイ。息災か」

「肉は相変わらず生えてくる様子はないがの、無事に生きておるよ」


 眼窩ひとつで椚が入り込めそうな巨大な頭骨。

 どこから声が出ているのか分からないが、何やら渋い声色だ。

 椚としては、この姿の時にもこれくらい渋い声にならないものかと常々思っているのだが、ままならないものである。


「最近は喧嘩を売る相手もおらんでな。どうじゃ、椚どの。久々にひとつ」

「今日は俺じゃなくてな、飽きずに付き合ってくれそうな相手を連れてきた」


 そう言って、椚はここまで引きずってきた簀巻きの荷物をぽいと骨丸入道に向けて投げた。


「ほう、それは良いのう。む、この悪趣味な色の皿」

「御明察。奈永池の狂れ河童だよ」


 骨丸入道が低い唸り声を上げる。決して歓迎していない様子だ。

 強ければ相手を選ばない骨丸入道にしては珍しい対応である。


「どうした?」

「こやつ、相撲ばかり取りたがってのう。この体とでは勝負にならんじゃろ?」

「そこだ。そこさえ何とかすれば何とかなるだろ。すぐそばに水場もあるしな」

「ふむ」


 椚は骨丸入道に神秘対策室や人々の話をするつもりはなかった。

 いるだけで疎まれるというのは、やはり間違っている。

 椚は銀杖を取り出すと、ちょっと失礼と言いながら骨丸入道の肋骨の一本を半ばから叩き折った。


「ふおっ!?」

「済まねえな。これを砕いて、と」


 地面に飛び降りて銀杖で何度も叩くと、骨はばらばらの破片に砕ける。

 骨ばかりなのに痛覚はあるのか、どことなく骨丸入道がこちらを見る視線が恨みがましい。


「せめてやるなら言って欲しいんじゃがな」

「ああ、悪い悪い。その姿で痛みを感じるって不思議だよな」


 言いながら、椚はポケットからメモを取り出す。鳳鳴亭の店主から教えて貰った妖魔向けの術について書いてあるのだ。


「ええと? ここをこうして、こっちはこう」


 地面と骨を混ぜるように杖でこねくり回しながら、ぶつぶつと呪文を唱える。


「骨人形の術」


 と、骨片が寄り集まってずるずると塊になっていく。

 砕けた骨片はある程度ヒビの入った人型となり、椚が銀杖を振り上げれば引っ張られるようにして立ち上がった。


「おお?」


 身長は今の椚よりも少し大きいくらいだろうか。決して大柄ではないが、狂れ河童を相手にするにはちょうど良いだろうか。


「なんじゃね、それは」

「見た通り、ジジイの骨で作った人型さ。これにジジイの意識を移せば、この河童と存分に喧嘩なり相撲なりがやれるぜ」

「ほほう、成程」


 どうやらずいぶんと相手に苦慮していたらしく、こちらの提案に満更でもなさそうな様子を見せる。


「ならばしばしの暇つぶしに、ちょっとやってみるとするかのう」

「そいつは良かった。なら取り敢えず横になってくれるかね」

「何故だね?」

「意識を移すからな。ジジイも自分の体が倒れてきて潰されるのは嫌だろ?」

「おお、それもそうじゃな」


 言うが早いか、骨丸入道が体を地面に横たえてくる。一瞬、山が倒れてきたのかと錯覚するような勢いだ。

 何本かの木を道連れにしたようで、ミシミシとあちらこちらで不吉な音が聞こえてくる。


「よしよし。あとは、出来れば体を丸めてくれ」

「うむうむ」


 更に雑木林に壊滅的な音が響く中、巨大な骨が動き回る。

 椚は骨人形が跳ね飛ばされないように気をつけつつ、骨丸入道の体が見えなくなる程度に沈んだのを確認する。

 簀巻きにした狂れ河童は、最初の木の天辺に放置だ。


「良いぞぉ」

「はいよっ、鋭ッ!」


 杖をごん、と頭骨に叩きつけ、すぐさま骨人形に叩きつける。

 程なく骨人形が頭をさすりながらむくりと起き上がった。


「あのだな、椚どの。ありがたいのだが、頼むから力加減というものをだな」

「そっちでも痛みを感じるなら問題ねえな。と言うか、あんたどういう仕組みで痛みを感じているんだ実際?」


 謎は深まるばかりだ。

 ともあれ、新しい体との相性も良好なようだ。

 椚は安心して簀巻きにかけていた術を解いた。


「うわぁ!?」


 ひどくオーソドックスな悲鳴を上げて、狂れ河童が落ちてくる。

 頭から落ちていたのに、着地の時には両足でしっかりと地面を踏みしめている辺り、その過剰な身体能力にはやはり侮れないものがある。


「さて、お互いに相手が見つかったわけだ。思う存分やるといいさ」

「感謝するぞ椚どの。さあ、やろうか奈永池の!」

「相撲!?」

「喧嘩じゃ!」


 言いつつ、蹴りつけにかかる骨丸入道。

 喜色を露わにした狂れ河童がその足を止めて、組み付きにかかる。


「肉がない掴めない骨握る動かない!」

「甘いわ若造ッ!」


 腰を落として投げを防いだ骨丸入道は、そのまま河童の体を抱え上げた。頭から地面に落とし、首と頭、そして皿にダメージを与えようと試みる。


「キエッ!」


 しかし狂れ河童の方も慣れているようで、ぐりんと首を異様な曲げ方をして急所だけは守る。


「ああ、ジジイ。もとに戻りたくなったらコンクリ櫓か鳳鳴亭に声をかけてくれよ」

「心得た!」


 水を得た魚とばかりに暴れまわる骨丸入道と狂れ河童。

 椚は巻き込まれるのは御免と、伝えておくべきことだけ伝えてその場を後にした。


***


 人間が旧宿に侵入するうえで、推奨されているルートは多くない。

 放棄された地下鉄ルートはそのひとつとされているが、暗闇を好む妖魔が棲みついているため、決して安全ではない。

 今回、神秘対策室が選んだのは、コンクリ櫓の縄張りギリギリをなぞるように歩くコースだった。

 百人を超える集団が、旧宿の入り口――といっても明確な境界線があるわけではないのだが――に居る様子は、壮観であると同時になんとも胡散臭い。


阿賀谷あがや室長。どうするのだこの状況を」


 ぽつりとそんな問いを口にしたのは、対策室の一員である川崎女史である。黒魔術の使い手でもある彼女は、祓い師というよりは呪術関係のアドバイザーとしての一面が強い。

 今回は戦闘よりも骨丸入道という巨大妖魔への対策とそこに至るまでのルートの保全のために同行している。


「どうと言いましてもねえ。椚先生が見事にやってくださったということなのでしょうが」


 しばらく前に、視線の先にいた骨丸入道が自ら倒れ込むのが見えた。立ち上る土煙と、揺れる地面。

 今日こそはと決意を固めていた面々が騒然とするのも無理はない。


「問題は、あれが再び起き上がることかな」

「まあ、しばらくは大丈夫でしょ」


 声をかけたのは椚だった。少し前から様子を窺っていたのだが、解散する様子もないので阿賀谷を探していたのだ。


「椚先生、何があったのですか」

「あのジジイの肋骨から作った骨人形に、本人の意識を宿らせました。本体の方は倒れてしまったら危ないよと、横になるように伝えてあります。当面の相手として例の奈永池の狂れ河童を宛がっていますので、河童が音を上げるか皿を砕かれて死ぬまでは大丈夫かなと」

「ほ、ほほう」

「喧嘩が大好きなジジイですから、相手がいる間はもとに戻せとはごねないでしょうし。戻るときにはコンクリ櫓を通じて連絡してこいと言ってありますので、状況はこちらでコントロールできますよ」

「それは助かりますね」


 椚が伝えたプランに、阿賀谷が呻く。

 隣にいた川崎女史は腕組みをして何やら頷いている。妙齢の美女なのだが、彼女はどことなく言動の端々が男らしいのだ。


「流石は当代の仙人殿だな。誰も損をしない見事な手際だ」

「――認められるかっ!」


 と、二人の背後からでっぷりと太った僧形の男が歩いてきた。

 何やら金をかけたと分かる豪華な袈裟を身に着け、傲然と椚に食ってかかる。


「あのような怪物を横たわらせたまま放置するなど、根本的な解決にはなっていないではないか!」

「何言ってんだ。骨丸のジジイは不快害虫と一緒さ。見た目は恐ろしいが、近づかない限りは害なんてねえよ。むしろ旧宿の治安に一役買ってるんだ、こっちの都合で討伐するとか寝ぼけてんのかてめえ」

「ちっ、これだから道理の分からんガキは! ちょっと才能があるからと増長しおって!」


 どうやら今回の仏僧の手配をした人物であるようだ。喚き散らしている間に僧侶たちが気付いたようで、こちらに不躾な視線を向けてくる。


「なるほど。碧川助教とは似ても似つかねえ俗物だな。府議会の連中とずぶずぶだって噂の例の生臭坊主か」

「なっ、何を貴様――!」


 たしか名前は金山だったか。キンザンにしてもカナヤマにしても、見た目も相まって何とも金と権威に汚そうではある。


「今回の責任者は阿賀谷室長であって、てめえじゃなかろうが。文句があるなら止めねえから、今から仏門だけで骨丸のジジイのところに向かうといいさ」

「なんだとっ!?」

「行ける実力もねえのに対策室の威を借りて、いざ到着して失敗したら徳が足りねえだのもっと数があればだのと言い訳がましく責任逃れをするんだろ? 癸亥山はてめえらのお守りなぞ御免でね。ほら、道を開けてやるから早く行けよ」

「こっ、この――!」


 額に青筋をいくつも浮かべた金山が怒号を上げようとするが、背後で上がる悲鳴じみた声にその先は続かなかった。


「な、なんだあの数は――!」


 椚がちらりと振り返ると、ビルの上や隙間、道に至るまで、無数の妖魔がこちらを見ている。

 殺意や殺気は感じられないが、何とも威圧感のある光景だ。

 その中心近くに、少し前に見知った土蜘蛛の姿を見かけたことで、彼らが何者であるかを察する。


「コンクリ櫓の妖魔たちか」

「ひ、ヒィッ!?」


 椚が呟くと、その数に肝を潰したらしい金山が腰を抜かす。


「お、おい阿賀谷室長! 我々を守れ! あの妖魔の大群から我々を――」

「心配せずとも、そのような無粋はせんよ」


 声は金山の後ろから放たれた。

 椚も気づかないほどの隠形である。驚きに目を見開くと、その人物――白い髪を雑に束ねた天狗はにやりと楽しそうに笑う。


「お初にお目にかかるな闘仙殿。貴殿のことは、我らは一方的に見知っている」

「旧宿に名高き櫓山やぐらやま白梨坊はくりぼう殿とお見受けする。御太刀との一件をご覧だったとは五十井から聞いた。それにしても、大天狗どのは鼻が高くないのだな」

「我はもともと烏天狗であるからな。しかるに、櫓の盟友である骨丸の御老を気にかけていただき、感謝に堪えぬ」

「なに、ジジイはあれで話の分からないやつじゃない。こいつらが百人揃って経を唱えたところでジジイに効かねえのも分かってはいるんだが」

「ふ、さすがに闘仙殿は我らの道理をわきまえておられるな。さて、このまま櫓に戻っても良いのだが」


 と、白梨坊がじろりと周囲を見回した。

 恐怖を顔に貼り付けて、一心不乱に経を唱える僧侶たち。

 呆れたことだが、百人そろってその法力は天狗はおろか、コンクリ櫓の妖魔たちにさえ何の痛痒も与えていない。


「この念仏じみた音声で、どうにかしようとしていたのかね? あの御老を」

「こんなのをジジイのところまで連れていくのに、仲間たちに要らん怪我をさせるのも悪くてな。ジジイにとっては傍迷惑なだけかもしれなかったが、人の方の事情も察してもらえると助かる」

「それは構わんとも。御老は狂れ河童を相手に楽しそうにしておられるからな。ならば少しばかり御礼替わりに」


 と、白梨坊は腰に差していた羽団扇を手に取った。


「櫓山白梨坊が舞、とくと見られい!」


 ふわりと空に浮かぶ白梨坊。誰もが経を上げることも忘れてその姿を見上げる。

 羽団扇がさあっと振られ、白梨坊を見ていた僧侶たちがぱたぱたと倒れ伏す。


「気を絶しただけなのでな、連れ帰って休ませてやるとよかろう。なに、夕暮れまでには目覚めるだろうよ」


 楽しそうに笑いながら空中で舞い踊る大天狗の姿を、椚は表情を崩して眺める。


「いやあ、一生モノだぜ。いいもの見せてもらったよ」


 川崎女史や阿賀谷など、対策室の面々もまた、心からの感動をその顔に浮かべるのだった。

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