伍 鳳鳴亭の古狸

 夜の旧宿フルヤドを人が歩くのは自殺行為に等しい。

 人食いの妖魔は少ないとは言え存在するし、旧宿に流れ着いてきたたちは夜間に出歩くからだ。

 かつては妖魔の時間であった夜は、今の旧宿では妖魔の目を盗む人々の時間となりつつあった。

 そんな夜の旧宿を、可愛らしい女性を連れた少年が平然と歩いていれば、それはそれなりに目立つ。

 だが、旧宿で一月も暮らしていれば椚が何者であるか程度は嫌でも知る機会があるし、危険に敏感な旧宿の住人たちは椚のかもし出す雰囲気にも敏感に反応する。

 椚とその連れに絡むような命知らずは、旧宿に来たばかりのか、人であればなんでも良い悪食の人食い妖魔くらいだ。

 その辺りを理解している椚は平然と歩くし、着いてくる木乃香も慣れたものだ。


「鳳鳴亭はコンクリ櫓の近くなんですよね?」

「ああ。体裁としてはコンクリ櫓の保護下にあることになっているが、旧宿に住んでいる妖魔は鳳鳴亭を中立の場所にしているな。付喪神『コンクリ櫓』と白梨坊天狗、そして鳳鳴亭がコンクリ櫓の三大要素と言っても過言じゃない」

「椚様は旧宿に来る時には、私たちを連れてきてくれませんものね。鳳鳴亭に連れてきてもらえるのって、たぶん私が初めてですよ」

「多人数で動くのは間違いなく危ねえからなあ。骨丸のジジイはともかく、こういう馬鹿が湧くし」


 椚は言いながら、杖を肩に担いだ。

 明かりがほとんどない夜道、目立つ二人、とても強面には見えない顔立ち。

 物陰から五つほどの人影が現れる。


「椚様?」

「最近ここに来た連中かねぇ」


 人影はすべて人間だった。

 椚は杖を肩に担ぎつつ、そちらではなくもう一方から視線を外さない。


「おい、ガキ! 命が惜しかったらこの場でカネ置いてけ、カネ!」

「構わないが、どっちの金だ? この街の通貨レートは乱高下するからいまいち分からなくてな」

「ちょ、ちょっとリョウちゃん⁉ なんか詳しそうだよっ」

「馬鹿、タイト! 動揺するんじゃねえって!」


 中学生時代の身長に固定されている椚が言うのも何だが、まだ若い。高校生くらいだろうか。


「椚様!」

「騒ぐんじゃねえよ、木乃香。そこの世間知らずどもを護ってやんな」

「はいっ!」


 椚の視線の先、ビルの合間を駆ける音と、何かが跳ねる音。

 軽い音を立てて地面に降り立ったのは、生首がひとつ。


「飛頭蛮か」

「ひ、ひいぃっ!? く、くく首ィっ⁉」

「コドモ、美味ソウ! 脳味噌クワセロ!」


 がぱあと口を開いて笑った生首が、ふわふわと浮かび上がった。


「人の味を覚えてやがるか。それにしても脳を好むとはゲテモノ趣味な」

「椚様! そんなしみじみ言ってないで!」


 悲鳴を上げる木乃香にはいはいと軽く応じ、生首に向かって歩を進める。


「お前、体はどうした?」

「体?! 体……カラダァァァァッ!」


 何やら触れられたくないところをピンポイントで突かれたらしく、狂乱した生首は椚に向かってまっすぐ飛び掛かってくる。


「やっぱり失くしたか。寄る辺を失った飛頭蛮は悲しいな」


 椚は生首が間合いに入った瞬間に、銀杖を閃かせた。

 全力かつ最速で振り下ろされた銀杖が、生首の眉間を粉砕する。


「ガッ!?」

「飛頭蛮は、食った相手の首から下を自分のものにすることがあるんだ。こいつの場合、元の体は食われたか焼かれたか。食ったやつの体を一時的に使って生きながらえていたんだろうが」


 頭骨を粉砕された生首は、そのまま地面に叩きつけられて動かなくなった。


「ったく。さて、そこの馬鹿ども」

「ヒッ!? な、何でしょうかっ!」


 直立不動で威勢の良い返事を返してくる少年たち。

 生首の化け物を顔色一つ変えずに撃退した一見少年の椚に対して、恐怖と尊敬が入り混じったような複雑な表情をみせている。


「ついてこい。晩飯くらいは食わせてやるよ」


***


 旧宿の名店、鳳鳴亭。

 店主は妖魔なのだが、人の作る料理に魅了されて、自ら人に化けて古今東西の料理を学んで歩いたという変わり者だ。

 開放の日を経たのち、旧宿に流れ着いて鳳鳴亭を開店。妖魔人間問わずに魅了するその味は『向かうだけで命がけだが一生に一度は食べたい名店』として、人間社会でも有名である。


「おや、椚のダンナ! 久しぶリ」

「おう大将。今日はちょっと大所帯でな。七人いるんだ。こっちの悪ガキ五人には、適当に美味いものを。俺とこいつは麻婆定食で」

「あいヨ! 空いてる座敷を使ってネ!」

「りょーかい」


 微妙なアクセントの店主――メインは中華料理の店だが、店主は日本由来の妖魔である――が笑顔で椚を迎えた。

 注文を済ませ、木乃香と少年たちを連れて空いている座敷に上がる。

 テーブルを挟んで五人を正座させると、椚はどっかりとあぐらをかいて五人を睨みつけた。


「見たところ高校生ぐらいだよな、お前ら。府内では二十時以降の人間の外出は条例で禁止されているし、そもそも一般人は旧宿に入ること自体が違法なんだが、その辺り分かってるのか」

「そ、その。わかってます」


 ぷるぷると震えながらも答えたのは、リーダー格らしい金髪の少年だった。リョウちゃんとか言われていたか。

 一方で、タイトと呼ばれていたふくよかな少年はこちらを見て首を傾げた。じろりと視線を向けるとぴくりと反応して、早口でまくし立てる。


「で、でも君だって出歩いてるじゃないか! そんなことを言われる筋合いなんてないよ!」

「ふむ。なあ木乃香、やっぱりこのナリじゃ説得力がなくていけねぇ」

「それはそうですけど、仕事でもないのに解呪したら御師様から大目玉ですよぅ」


 隣に座る木乃香に言えば、木乃香もそれを察しているのか視線を逸らして答える。


「まあいいや。俺は許可されている側、つまり一般人じゃないってことだ。お前らそもそもなんでここに来たんだ?」

「そんなこと言う必要ない」


 何やら頑なになった様子のタイト少年。再びリョウの方に視線を向けると、こちらの目をちらちらと見ながら話し始める。


「実は、コイツが先輩に脅されてて。許して欲しかったらユウゲンカをコウカで百枚用意しろって」

「幽幻貨を? 何に使うんだ、そんなモン」


 幽幻貨は、妖魔社会で流通している貨幣だ。基本的に貨幣を必要としない妖魔たちではあるが、開放の日を境に、人との商売や鳳鳴亭などの店で使い始めるようになったという。

 妖魔の社会であれば世界中で使えるという便利な代物だが、反面レートなどあってないようなものだ。種類は骨貨、鋼貨、肉貨の三種類があり、貨幣としての価値に差はない。

 しかし、妖魔が趣味で作る品というのは異様な神通力を持つものがあるのが常だ。

 骨貨と肉貨は見た目の不気味さもあるが、呪術師が好んで使うため買い占めるし、鋼貨は一部の好事家や細工師などが高値で欲しがるのだ。貨幣としての価値よりも別の用途として、一般社会では価値が高い。


「ここならレートが安いって聞いたんだ。でも昼の間はあのでかいのに見つかるから危ないって」

「あの骨ジジイ、目玉があるわけじゃないから昼も夜も関係ねえぞ」

「えっ」


 骨丸入道は骨だけの妖魔なので、眼球も存在しない。夜間に騒ぐなと、とある武闘派の妖怪だか仙人だかに徹底的に躾けられたとかで、夜間にはあまり動き回らないだけだ。


「それに、お前たち程度に喧嘩を売るほどあのジジイも見境のないタイプじゃない。どちらかというと、紫色の肌をした河童の方があぶねえ」

「あ、それ知ってます!」


 名前は分からないが、後ろに座っているうちの一人が声を上げた。


「通り魔みたいな河童だって、聞いてます。この辺りに住んでいるんですか?」

「ああ。れ河童ともイカれ河童とも呼ばれてる。見たらすぐ逃げるんだな。で、お前らの手持ちで幽幻貨は集まらなかったのか?」

「それが……」


 五人は顔を見合わせると、おずおずと切り出した。


「ほかの街のレートだと、一枚五十万円とかするんですよね」

「へえ」

「ここだと確かに安いんですけど、一枚十万円からだって言われて」

「おいおい」


 そんな馬鹿な。

 椚と木乃香は顔を見合わせた。


「ここの飯が一回で幽幻貨一枚だぜ。どう考えたってそんなに高くねえよ」

「足元見られたか、学生だからってからかわれたかですね。交換をお願いした店はどんな店員でした?」

「えっと、スキンヘッドのオッサンが」

「あ、そりゃ駄目だ」


 ばっさりと切り捨てる椚。


「この街なら人より妖魔相手の方が親切だぞ。たまに危ないのがいるから素人にはお勧めできねえけどな」

「でも」

「しょうがねえな、ちょっと待ってろ」


 ちらりと視線を厨房に向けると、店主がお盆を手にこちらに向かってくるところだった。相変わらず手際がいい。


「ダンナ! ダンナと奥様の分はこれから心を込めて作るから待っててネ! そこの坊主たちの分はこれでいいカナ!?」

「十分だ。それでな、大将」

「何だいダンナ?」

「こいつら、鋼貨に両替して欲しいらしいんだ。鋼貨百枚だと俺たちの金でいくらくらいだ?」

「そうネ。私は人を相手の商売は趣味だカラ。五万円くらいでいいヨ」

「ご、五万!?」


 驚愕するリョウたち。

 椚は苦笑を浮かべるが、店主は顔つきを厳しいものに変えて言った。


「あ、でもそれ、ダンナのお連れだからヨ。普通に来たらそんなことしないからネ」

「そっか、それはありがとな大将。じゃあ、帰りに飯代と別に五万置いてくから、百枚用意しといてくれるか」

「ダンナからはお代取らないって言ったヨ」

「俺はいいけど、こいつらは駄目だろ」

「ダンナのお連れならいいんだケド。分かっタ、ここはダンナの顔を立てるネ」

「助かる」


 厨房へと戻っていく店主を、呆然と見送る学生たち。


「取り敢えず食え」

「あ、はい」


 箸を手に取り、学生たちが料理に群がる。


「うめえ! 何だこれ!」

「すごい、こんなの食べたことない!」


 がつがつと片っ端から片づけていく様子を見つつ、椚は木乃香が何の反応も示さないことに気付いて視線をそちらに向けた。


「奥様。おくさま……私が椚様の」


 真っ赤な顔で何やらぶつぶつと呟いている彼女に、椚は取り敢えず触れないことにしておいた。


***


「さて、大将。ちょっと知恵を借りたいんだけどよ」

『なんだい、ダンナ。私はもう料理以外はしないつもりなんだけどね』


 椚は食べながら、言葉だけを厨房に投げる。

 店主の方からも声だけが戻ってくる。聞こえているのは椚だけのようで、高校生たちは元より木乃香も食事に集中している。店主は口調にアクセントもなくなり、老成した雰囲気を漂わせる。


「骨丸のジジイをどうにかしたい」

『どうにかって、何度かダンナが教育してるじゃないか。あれで爺さん聞き分けがいいから、ダンナに言われたことは律儀に守ってるぞ』

「それは分かってるんだがな。外の連中がジジイを見て怖がっているようなんだ。できれば屈ませるなり、見えないように隠すなりしたいんだが」

『屈みっぱなしにさせるのは、さすがに爺さんがかわいそうだ』


 店主の言いたいことも分かる。椚としてもそれを望んではいないのだ。


「刑部狸の七代目殿は、何かいい知恵ないかね」

『だからだね、ダンナ。私はもう呪術はこりごりなんだよ』

「別に大将に呪術を使ってくれと言う訳じゃないさ。ジジイのあの巨体をどうにかする知恵さえ貸してくれれば、後は俺がどうにかする」

『ふむ。爺さんが横になっていても退屈じゃないようにしてやれば問題はないかもしれない』

「そうだな」

『それならひとつ、心当たりがあるさ』


 店主は四国で神と崇められた化け狸の子孫を自称している。料理修行と呪術修行で世界を回っているうちに、極めた呪術を使うのを止めたと言うのだが。椚は店主の素性については疑っていない。

 厨房で店主が新しい料理にとりかかったようだ。心地よい焼ける音が聞こえてくる。


「そいつは助かるよ。三日後には祓い師が大挙してジジイをどうにかしようと集まる予定でな。その前に何とかしておいてやりたい」

『ああ、それで。昔の人間は爺さんほどの巨体だったら、それだけで神様として崇めたと聞くがねえ』

「今の連中は自然や世界に対する畏敬の念が足りねえからな。まあ、ジジイの場合は、あの落ち着きのなさを見ていてそう思えないのは仕方ないと思う」

『そこに関しては論評を避ける』


 と、店主の声が向こうから聞こえてくる。

 来客があったらしい。そのまま会話が途絶える。

 大体聞きたいことは聞けた。椚もまた店主に迷惑をかけないように、食事に集中するのだった。

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