肆 癸亥山東京府内出張所

 事務所に戻ってきた椚は、事態の顛末を報告書にまとめるべく机に向かった。

 パソコンに向かって格闘すること一時間。報告書を添付して対策室に送ったところで、椚が戻る前から買い出しに出ていたらしい木乃香がビニール袋を手に入ってきた。


「あ、椚様! おかえりなさい」

「おう、ただいま。買い出しか?」

「はい! 今日の晩御飯は焼きそばですよぅ」

「そりゃいい。木乃香の焼きそばは最高だからな」


 国家神秘対策室からの要請を受けて、瀛州えいしゅう癸亥山きがいせんが所管組織として登録され東京府に出張所を設置したのは四年前のことだ。

 十八名の道士と、一人の仙人。組織の至宝である仙人を派遣してきたことは、神秘対策室からは驚きをもって迎え入れられた。

 その一人の仙人であるところの椚は、府内出張所の責任者も務めている。

 専属の秘書である大葉と、専属占儀官である木乃香が傍を固めているが、二人とも椚と同世代だ。占儀官としての実績のある木乃香はともかく、大葉は十八名に数えられてすらいない。彼は修業を始めて十年になるが、まだ道士見習いに過ぎない。

 対策室の中からはまだ二十歳も迎えていない若造を責任者に据えるなどと、という声も聞こえてきてはいるようだが。


「で、木乃香。大葉は?」

「大葉君ですか? 今日は一日オフだから体を鍛えてくるって」

「あいつもまめだねえ」

「そりゃ、大葉君はまだ見習いですもの。椚様のお役に立ちたいって頑張っているんですよ」

「そんなに気負うほどのものじゃねえと思うんだけどなあ」


 椚は天井を仰いで深く息を吐いた。

 癸亥山の道士の子として生まれた椚は、生まれた時から道士や仙人が傍にいる生活が普通だった。

 異界に存在する仙境、瀛州癸亥山の本山に踏み入り、山中に咲く石蘭を摘む。仙人になる為の修行法は有史以来山ほどあるが、仙境に到達することは仙人になることと同義だとされている。本物の癸亥山に辿り着くことが彼らのひとつめのゴールであり、誰もがそれを願って修行を続け、その殆どが出来ずにその生涯を終える。

 椚は、自分が十五の若さでそれを成し遂げられたのはあくまで育った環境のお陰だと思っていた。

 周囲は椚を天才だと褒め、妬み、羨み、憎んだ。しかし椚が仙人となった時を境に、それらはほぼすべて敬意へと昇華したのだった。


「あいつはそもそも入山が遅かったんだから、見習いなのは仕方ないと思うんだ」

「それはそうなんですけど。大葉君だって気にしてるんですから」


 開放の日を境に、入門者は増える一途だ。癸亥山に入門した時点で入門者は姓を捨て、家族とのそれまでの縁を断つ。

 大葉が十年前に癸亥山に来たのは、入門を志した両親に連れられてだ。小学生だった彼は両親と一方的に縁を切られ、仕方なく自身も癸亥山に入門した。


「大葉君は椚様をお兄さんだと思ってますからね」

「年齢的にはあいつの方がひとつ上なんだけどな」


 当時、子供の年齢で癸亥山で修行をしていたのは十人程度だった。

 今でこそ子供の道士や見習いも増えてきてはいるが、その出世頭が椚であり、次いで実績を残しているのが木乃香だ。


「大葉はあれで天才だぞ」

「椚様がそれを言ったら嫌味ですから!」


 道士見習いになるだけでも、才能の多寡によっては十年や二十年の修行を必要とするのが仙人の修行だ。生涯かけて芽が出ないことなどざらにある。

 大葉は椚という比較対象がなければ、当代きっての天才と呼ばれていたのは間違いない。


「まあ、こっちに来た連中は大葉に限らず粒揃いだけどな」


 そして、府内出張所に派遣された道士たちもまた、才能に溢れた者たちである。

 椚ら三名を除く道士たちの平均年齢は三十七歳。最高齢の道士も六十八歳とはいえ道士を務めるだけあって若々しく、派遣を決定した陸杉大将の本気が窺えるというものだ。


「椚様」


 と、声をかけてきたのはその道士のうちの一人だった。


「どうしました、柚恵ゆえさん」

「はい。また対策室から打診です。骨丸入道の討伐に参加して欲しいと」


 柚恵と呼ばれた女性が手にしていたのは、一通の封書だ。中身を確認します? と首を傾げる彼女に、手の動きだけで拒否を示す。


「アレは旧宿から出ないんだから放っておけばいいだろうに、何でいちいち怪我人を増やしたがるかなあ」

「そうは言いましてもねえ、椚先生。あの巨体は旧宿の外からでも見えてしまいますから。不安から来る苦情が」


 と、柚恵の後ろから現れたのは、白髪の老人だった。背筋は伸びているが、生来の身長が低いので一見すると老人には見えない。

 だが、顔貌のしわと醸し出す雰囲気は老人そのものだ。ぱっと見るとそういう妖魔のようにも見えてくるから不思議だ。

 断りもせず、客用のソファに腰を下ろす。


阿賀谷あがや室長」

「いやあ、立て込んでおられるところ申し訳ありません、椚先生。今回ばかりはお知恵とお力を借りませんと対策室の存亡にかかわりましてなあ」


 国家神秘対策室の室長、阿賀谷十五朗左衛門じゅうごろうざえもん。七十八歳。

 陰陽師の一族に生まれ将来を嘱望されていたが、その道を自ら蹴って渡欧。西洋の退魔術を学んだと言う変わり種だ。

 国内外の組織に太いパイプを持ちつつ、そのどれともしがらみがないという稀有な人物でもある。癸亥山の現在の首魁である樟大老師ともどのようなルートからか分からないが付き合いがあるというから凄まじい。大老師は基本的に癸亥山を出ないのだが。

 開放の日よりはるかに前から神秘に傾倒した真正の変人であり、超一流の祓い師であり、貪欲な研究者である。


「旧宿は北区と一緒で妖魔の自治特区になってるはずでしょ? 骨丸入道は少なくとも決まりを破っているわけじゃない。俺としてはそれよりも奈永ななが池のイカれ河童をどうにかすべきだと思いますがね?」

「我々祓い師の基準で言えばその通りなんですがね。府内のセンセエ方は旧宿を掃除して首都機能を復活させるという妄想ユメにとり憑かれていますからなあ」


 センセエ、に妙なイントネーションをつけて椚のことではないとアピールする阿賀谷に、椚は苦笑で返した。

 年齢と立場からすると逆に見えても不思議ではないふたりだが、ふたりは当初から互いに対するスタンスを変えていない。

 この辺りも外部が椚に対して苦々しい顔をする原因であったりするのだが、椚も阿賀谷も意に介してはいない。


「で、それにうちの大事な道士を参加させろって? 怪我をさせたくねえから遠慮するって言ってたと思いますけどね」

「それもセンセエがたは気に入らないということで。あんな若造に代表を任せるなど常識がないのかと」


 阿賀谷がその言葉を言った瞬間、出張所の空気が凍り付いた。

 原因は椚ではない。所内に詰めていた周囲の道士たち――木乃香も含まれている――が鋭い視線を阿賀谷に向けたためだ。


「阿賀谷室長? そのような言葉を聞かせるためにあなたを通したわけではないのですけど」


 最初に口を開いたのは柚恵だ。封書を持ち込んだのは本人だろうから、応対したのは彼女なのだろう。刺し殺すような視線で阿賀谷を見つめている。


「ほらほら、室長を睨んだって仕方ない。言ってる連中は何も知らないんだから、いちいち気にする必要もね」


 珍しく椚が取り成すが、誰もその空気を緩和させようとはしなかった。

 椚の傍に立っていた木乃香さえも、冷たい目で阿賀谷を見ている。


「……あのねえ」

「や、椚先生。今のはこちらが悪かった。ご容赦ください」

「ほら、謝罪も出たし、いい加減に!」


 ようやく視線が外れ、殺気じみた空気も少しだけ柔らかくなる。

 厳しい表情のままの柚恵が、椚に声をかけてきた。


「椚様。私たちを大事に思ってくれるのは嬉しいんですが、外部に椚様を侮られるのは私たちも悔しいです」

「言いたい連中には言わせておけばいいんですよ。必要ないと言うならさっさと解散して帰ればいいんですから」


 癸亥山としては要請を受けた側である。どうしても東京府に残らなければならない理由などどこにもないのだ。


「参ったなあ。椚先生、それなら教えていただけませんかね? どの辺りが問題なのか」

「そもそも骨丸入道を討伐する意味がないことです。あいつは近くにいるやつにしか喧嘩を売りませんから」

「そこで奈永池の話になるのは分かります。それはそれとして、我々の計画で問題があるところについて」

「ああ、そっちですか。まず浄化要員。これがズレてます」


 乗せられた気がしないでもないが、仕方なく柚恵から封書を受け取る。いちど目を通した時から内容はそう変わっていないはずなので、気になる点はすぐに見つかった。


「ズレていますか」

「ええ。骨丸入道はああいう形の生物なのであって、何かの呪いでああなったわけではありませんから」

「ああいう生物!?」

「本人から聞いた限りでは、腹が減らなくなって気付いたら肉と皮が腐って落ちたとか言ってましたねえ。飯も食わないし骨がどうくっついて動いているのかも分かりませんが、あれは呪いや恨みを原動力にしてませんし」

「つまりこの、仏僧百人という部分は」

「どれだけありがたくても御経じゃ効きませんよ。死に損ないなのは確かですが、現世で迷っているわけでもないですし。おおかた、効かなかったのは徳が足りなかったとか言い訳したんでしょ」

「ええ、まあ」


 視線を軽く逸らす阿賀谷。図星らしい。この辺り、鬼と僧侶で出てくる結論が同じというのも何と言うか。

 仏門とはいえ、俗惚けした連中では実質よりもメンツを優先してもおかしくはない。碧川あたりがアドバイザーにいればすぐに分かるだろうに。


「あと、この『重機部隊』? 俺も何度か喧嘩を売られたことがあるので、そのつどどこかの骨を叩き砕いているんですけど、いつの間にか治ってるんですよね。骨をどれくらいの大きさに粉砕するつもりです?」

「えっ。あれ、治るんですか⁉」

「どこかから調達できる大きさじゃないでしょう、ビルよりでかいんですから。頭骨は試したことありませんけど、肋骨は興味本位で一回粉になるまですり潰したことあるんで。頭骨含めて、全面的に粉砕してみます? 時間と燃料、どれくらい使うか知りませんけど」


 ついでに、その間に骨丸入道の治癒の秘密も調べてみるかと笑いかければ、阿賀谷の笑みが引きつりはじめた。


「つまりその。椚先生が時間の無駄だとおっしゃる理由は」

「そもそもあれ、どうやったら倒せるんでしょうね」


 身も蓋もない言葉で締めると、阿賀谷はがっくりと肩を落とした。

 どうにも落ち込みようが激しい。見たところ五十台にしか見えない阿賀谷が、そうしていると何やら年相応に見えてくる。


「もしかして」

「ええ。困ったことにすでに人の手配が進んでいまして」

「もしかして、近々?」

「はい、三日後に」

「三日後ねえ」


 溜息交じりに声を上げると、阿賀谷がしょんぼりと俯いた。


「俺がもし受けたら、どうするつもりだったんですか」

「私の権限で、椚先生の策を最初にごり押しするつもりでした」

「ふむ」


 何も考えていないという訳ではないらしい。

 椚としても少しばかり同情が湧いてきたので、一緒に頭をひねることにする。


「骨丸のジジイを完全にやっつけるのは無理なんだよなあ。どこにあるか分からない急所でも探さない限り」

「やはりそうですか」


 おそらく頭骨の中にでもあるのではないかと思うのだが、仮にそうではなかった場合には大きすぎて手の打ちようがなくなるプランだ。

 しかし、阿賀谷の様子を見るに、何の実績も出せないとなると相当にまずい状況であるようだ。

 顎に手を当てて考えていると、隣で同じように考えていた木乃香が何やら思いついたらしく、ポンと手を叩いた。


「木乃香、何か思いついたか?」

「椚様、要するに骨丸入道が見えるのが不安だって話ですよね」

「そだな」

「見えないようにすればいいんですよね。しばらく屈んでてもらうとか?」

「あのジジイにそれを言って、三日保つかな」


 悪くない案ではあるが、骨丸入道が意志を持っていることが問題だ。

 ただ屈ませるだけではすぐに飽きるのは目に見えていた。


「でもその案は悪くないな。ううむ」


 と、椚の脳裏にふと浮かぶアイデアがあった。


「ああ、それなら一石二鳥かもしれない」

「椚先生!?」


 立ち上がり、ふらりと出口に向かう。

 慌てた様子の阿賀谷に振り返り、にやりと笑みをひとつ。


「何か思いつかれましたか!」

「ええまあ。取り敢えずちょっと飯食いに鳳鳴亭へ。木乃香、いいアイデアを出してくれた礼だ。良ければご馳走してやるぞ」

「え? あの、椚様」

「焼きそばは明日の昼でどうだ? 鳳鳴亭の大将に相談したいこともあるしな、お前麻婆好きだったろ。あそこのは絶品だぜ」

「いいんですか?」

「もちろんだ」


 旧宿にある伝説の名店、鳳鳴亭。

 妖魔が溢れる旧宿で、店に気軽に通える人間は数少ない。

 今出張所に居る者の中では、少なくとも椚しかいない。


「室長、段取りが上手く行ったら連絡しますよ。それでいいですか?」

「あ、椚先生。私も鳳鳴亭に興味が。……いえはい、分かりました。それで大丈夫です」


 満面の笑みを浮かべる木乃香と椚を交互に見て、阿賀谷は力なく頷いたのだった。

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