参 上古ノ斬妖ハ夢ヲ見ル

 旧宿に戻ってきたのは夜も更けてのことです。

 ミタチがビルに戻ってくると、アザカが部屋を整えているところでした。


「ああ、アザカさん。いつもありがとう」

「いえ」


 感情の喪失した顔で、アザカが答えます。

 彼女が感情を顕わにするのは、いつだってたったひとりがいる時だけのこと。


「依頼人たちは?」

「解放しました。この場所の記憶は消しましたが、神秘対策室の男だけは」

「構わないさ。タイジュが放っておいて大丈夫だと言ったからね」

「そうですか」


 口にした名前にぴくりと反応するアザカ。本当に分かりやすいものです。

 ですがミタチはそこに何を言うこともなく、静かにソファに身を沈めました。


「ではアザカさん。私は少し休憩しようと思う。タイジュ以外は誰も取り次がないでおくれ」

「はい、分かりました」


 彼と過ごした後のミタチは人間のように休養をとります。

 いつものことなので、アザカは特に何も告げずに部屋を出ていきました。


「ふふ」


 思わず口から笑みを漏らして、ミタチは瞳を閉じます。

 休養を取るなど、妖魔であるミタチには本来必要ないのです。しかし、それを敢えてする理由は。

 人のように夢を見るためだとは。

 それを教えてくれた彼以外に、誰ひとりとして知ることのない事実でした。


***


 鎌倉時代中期。

 とある鍛冶師が一振りの刀を鍛えました。

 鍛冶師はその名も、その鍛えた刀も世間に知られることはなく。静かにその生涯を閉じたのです。

 彼は刀匠として名を遺すことを考えておらず、ただ請われるままに包丁を打ち、刀を打ち、人々の役に立つことばかりを考えていたのでした。

 しかし、男は生涯にたった一度、その命の全てを賭けるほどの情熱をもって刀を打ちました。仲間内との戯れの中で、全力を注いで刀を打てばどれ程のものになるかと試したのです。

 おそろしいほどの切れ味と、見た者すべてを魅了する美しさ。

 刀は、生まれながらの妖刀でありました。

 鍛冶師はそれを知ることなく、出来上がった刀を神社に奉納しました。

 以後百年。刀は静かに天地自然の気を受け、静寂の中で付喪神となったのです。

 神社に賊が入り、盗み出されるまで。

 賊徒は盗んだ刀を手に、よく襲い、よく斬りました。妖刀が自身を人斬りの道具と理解したのもこの頃です。

 賊徒は捕らえられ、あまりの兇状に凄惨に処刑されました。

 その原因が妖刀であろうなどとは誰も思わず、刀は他の賊徒の持ち物と一緒に接収され、いずこともなく売り捌かれたのです。

 賊徒は盗んだ場所の足がつくことを恐れ、刀の銘を削っておりました。

 かくして、どこで生まれたかも知れぬ無銘の妖刀が生まれたのでした。


***


 妖刀の付喪神が世間を徘徊し、人を斬るようになったのは室町時代に入ってからでした。

 付喪神はとうとう人の姿を取り、戦場でどちらともつかず人斬りを繰り返したのです。相争う場であれば目立たず、騒がれないからでした。

 『いくさ場に人斬りのあやかしが出る』と噂されるようになったのは程なくのことです。

 純白の着流し姿でふらりと現れたその妖魔は、戦場で縦横無尽に斬殺を行うのです。その顔に喜びはなく、怒りも、憐れみも、楽しんでいる様子もありません。

 時には居合わせた同じ妖魔をも斬り捨てるさまに、妖魔たちから斬妖と呼ばれるようになりました。のちに同じような人斬りばたらきをするようになる妖魔が現れます。

 斬妖はいつしか人斬りの妖魔を指す呼び名となり、最初の妖刀の付喪神は、それらと区別するために『上古の斬妖』と呼ばれるようになったのです。

 戦がなくなれば住処を移し、ゆらゆらと放浪する上古の斬妖。人の世と妖魔の世界が分かたれることになる日まで、人を斬り殺し続けるのでした。


***


 一気に夢が彩りを得ます。

 これは上古の斬妖が御太刀という名を得るときのことでしょう。

 白と黒だけで描かれていた記憶が突如、鮮やかな色彩をもつのです。

 その中心にいたのは、自分の身の丈ほどもある棒を持ったひとりの男でした。


「ずいぶんと楽しんだようだな」


 男の言葉は、一言一句たがわず全て覚えています。

 旧宿という街の、コンクリ櫓と呼ばれる地域だと知ったのは、だいぶ後になってからのことです。


「楽シイ?」

「斬りも斬ったり七十六名。一瞬の躊躇もなく、わずかほどの遅滞もなく、計ったように最良の動きで斬り伏せる。永い永い研鑽がないとこうは出来ない」

「刀ハ、人ヲ斬ルモノ」

「ほう、だからこそのその動きか。そいつは剣呑だ」


 男は、なにひとつ怯えていない様子で告げると、棒を構えて言うのです。

 ああ、思い返すだけでいつも心が震えます。

 そう、ただの妖刀の付喪神だった己が、まさに斬妖『ミタチ』となったのはきっとその瞬間だったからです。


「俺は泰樹たいじゅ。あと三日もすりゃあ仙人となるが、手続きが遅れていてな、まだ何者でもない道士の泰樹だ。さあて、本当に斬りたいのか本当は斬りたくねえのか、今から俺を相手に試してみるといい」

「ヨク分カラナイ。デモ」


 前に立った人の姿をしたものは、斬るためにあるもの。

 上古の斬妖はそう学び、そう定められ、そうしてきました。

 ゆえに。


「オマエハ斬ル」

「そうかい」


 その本能の命じるままに、斬りかかったのです。

 首を刎ね、血しぶきを周囲に振り撒くさまを見る。いつものことです。


「出来るもんなら、やってみるといい」


 が、刃と化した右腕が、何の変哲もないように見える棒に受け止められていました。

 それでも、防がれたのは初めてというわけではありません。今までに斬り捨ててきた者たちの中には腕の立つものも数多くいました。

 空いている左手を刃に変えて突き込みますが、泰樹はさも当然とばかりにそれを避けます。

 視界が揺れました。見えるのは空の青。

 右手の刃を防ぎながら、泰樹が棒で顎を打ち上げたのです。

 たたらを踏んで、数歩後ずさります。

 泰樹が踏み込んできました。毛髪のように見せている極細の刃を、頭を振って振り下ろします。


「両手に髪。この分だと足も胴体も刃物なんだろ?」

「ソウダ」

「だよなあ。でもまあ、それだけと言えばそれだけか」


 髪はくるくると棒に絡めとられました。

 何の変哲もない棒であるのは間違いないのに、何故斬れないのか。

 引いても押しても離れない棒を手放させようと、蹴りつけますが泰樹には届きません。

 泰樹が棒を振り回せば、髪を絡められた五体は軽々と宙を舞い、地面に叩きつけられます。


「さすがに丈夫だ。鋼の五体ってか」


 黒塗りの石造りの地面が砕けましたが、こちらに傷みはありません。

 泰樹はしかし、落胆した様子もなく楽しそうに言うのです。


「速いし上手い、力もあれば体は刃物。死角がなくて結構なことだ」

「ナゼ、当タラナイ?」


 跳ね上がるように起き上がり、とにかく薙ぎ、突き、振り下ろしますが、泰樹はそのことごとくを防ぎ、避け、あるいはこちらを打ち据えて逸らし。

 明らかに届く距離にいるのに、どのようにしても届かないのです。

 理解の出来ない存在が目の前にいました。


「簡単な道理さ。より速ければ、より上手ければ、より力があれば、刃物を通さない得物であれば。当たることはないだろう?」


 斬りつけます。不発。突きかかります。不発。

 組みつこうとして、地面に叩きつけられました。


「人ハスグ死ヌ」

「そうだな」

「人ガ私ヨリ速イハズガナイ。私ヨリ上手イハズガナイ。私ヨリ力ガアルハズガナイ。私ヨリ……」

「強いはずがない、か?」


 頷きます。泰樹はその通りだと言いました。

 その間も互いの動きは止まりません。至近距離で続く攻防は、しかし明確に差が出てきました。


「妖魔が人にそういった能力で後れを取ることは確かにない。だが、人はその差を埋めるために色々工夫してるのさ」

「工夫?」

「ああ。お前が俺に勝てない最大の理由はな」


 泰樹が棒を振るうと、どのように避けても避けきれずに打ち据えられます。


「楽しんでないから工夫が足りねえってことだな。何でもかんでも最短距離を最速で攻める以外に手段がないから、手を打つのは簡単だ」


 ぞわりと、今までに感じたことのない何かを泰樹に対して感じます。

 全身が強張り、近くにいたくないと。まだ斬っていないのに、距離をとるべきだと自分の中にある自分ではない何かが囁くような。


「近くにいたくないと感じるか? それが恐怖だ」

「恐怖」

「お前が斬った連中に、お前が与えていた感情だよ」

「ウゥ」


 大きく距離をとります。まだ斬ってもいないのに自ら距離をとるなど、初めての経験でした。

 内から湧き上がる何かは、さらに下がれと命じます。


「うあ、うああああっ!」


 泰樹に背を向けて、走り出します。

 とにかく見えない場所へ行かなくては。

 得体の知れない恐怖と呼ばれるものが、体をひたすらに動かすのです。


「そうはいかねえ」


 速度を緩めた覚えはありません。

 しかし何故か、目の前に泰樹が待っていました。

 再び背を向け、走ります。


「残念」


 信じられなくて、一度後ろを振り返ります。当然、いません。

 目の前に立つ泰樹は笑みを浮かべるでもなく、棒で肩を叩きながら当然のように言いました。


「お前は、逃げようとした奴を逃がさなかったんだろう?」


 声にならない叫びを上げて、振り抜いた右手の刃。

 泰樹は避けようとしませんでした。

 がきりと、鈍い音が響いて。


「痛えな」


 血の一滴すら流すことなく、左頬に刃の当たったまま。

 泰樹の右手が霞み、側頭部に走った衝撃。

 視界が即座に暗転し、それを最後に意識が途絶したのでした。


***


 次に目を開いたとき。視界の端に、大きめの石に座ってこちらを見ている泰樹の姿がありました。


「おう、起きたか」

「死んで、ない」


 先ほどまで感じていた恐怖はありませんが、ただ体を起こすと視界がぐにゃぐにゃと歪むのです。


「痛みが取れるまで横になってた方がいいな」

「痛み? これが」


 全身に広がる熱と、刺激。

 痛い痛いと泣き叫んだ、最初のころに斬った男。ふとそれを思い出して、自分が人について何も知らないことを知るのでした。


「人は、弱い」

「ああ」

「痛みは、つらい」

「そうだな」

「私は」

「お前は人斬りで、みたまぐらいだ。そう生まれたわけじゃないのだろうが、永い間をかけてそうなっちまった。その生き方は今更変えられねえだろう」

「うう」


 泰樹の存在が自分に感じさせた恐怖と、絶望、そして痛み。

 これと同じものを自分が人に与えていたとするのならば、それはきっと良くないことなのだ。


「さて。で、これからどうするね?」

「こわ、い。人がこんな思いをすることを、私は」

「人を斬らなければ食えない。食えなければ死ぬ。人を斬ることが怖くなったのなら、お前には心が芽生えたってことだ。心というものががどういうものか、まずは知るんだな」

「どうすれば、いい?」

「まずは人を学ぶことから始めてみたらどうだね」

「人を、学ぶ」

「言葉が通じて、同じく心がある。生きるために何かを殺して食うところまで、実は一緒だからな」


 泰樹が手を差し伸べてきました。


「学びたいなら、手伝ってやるよ」

「なぜ」

「心を最後まで知らないままなら、叩き殺していたがね。知ったならまあ、見込みがあるんじゃあねえかい」

「見込み?」

「ああ。人斬りでも魂食いでも、人の世間でひっそりと生きていく見込みさ」


 泰樹は手を引っ込めません。

 のろのろと手を伸ばし、その手を掴みます。


「そういやお前、名前は?」

「名前?」

「おう。確か刀の付喪神だったよな? 銘とかさ、ないのか」

「ない」

「おや。そうか、ならば何と呼ぶか決めないとなあ」


 ふむ、と泰樹が呻きます。眉間に皺を寄せて悩むさまは、戦っているときよりも辛そうでした。


「俺はあまり名付けは得意じゃないんだ。取り敢えず刀の付喪神なんだから、御太刀ミタチとでも呼ぶことにするか。何か気に入った名前があったら、後で名乗り直せばいい」

「御太刀……うん、それでいい」


 ミタチは与えられた名に満足していました。

 誰よりも恐ろしかった男は、永くただ斬るだけの妖魔だった自分に生きる目的と名前まで与えてくれたのです。

 その日、上古の斬妖はその姿を消し。妖魔ミタチとして生まれ変わったのでした。

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