参 鬼多区鈴鹿御殿

 北区――鬼多区とも称されるようになったこの街は、普通の人は住めなくなって久しい。文字通り、妖魔の一種である鬼が棲みついているためだ。

 区の周囲をコンクリートの壁が覆っているが、これは鬼を表に出さないというより、人間が不用意に入り込むことのないように作られた。

 鬼多区は許可のない人間は立ち入り禁止とされている。許可があっても、鬼に食われて死ぬ危険性をあらかじめ了承しているものとして扱われるのだが。


「立烏帽子の御前、実際に会うのは久しぶりだな」

「そうだねえ。今日は呼びつけて悪かったね、椚のボウヤ」


 椚と大葉、ミタチの三名は北区の中央にある屋敷を訪れていた。大きな屋敷であるが、人の気配はない。

 代わりに襖を隔ててこちらを窺う、たくさんの気配。

 鬼だ。椚の前に座る白髪の老女、彼女の世話をする者は老若男女すべてが鬼であるのは、ここが鬼多区と呼ばれる前からの習わしであった。


「ご、御前しゃま。ここ、このたびはおおおお招きにあずかりましましまして」

「はいはい、ボウヤの弟子も元気そうで何よりだね。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」


 立烏帽子の御前。鬼の元締めである。彼女が鬼たちをある程度鬼多区に集めてくれているお陰で、この国では人食いの鬼による被害が他国に比べて非常に少ない。

 それでも被害がゼロではないのは、人々が負の感情を激発させることで鬼に成り果ててしまうという事例が後を絶たないからだ。

 北区から鬼が解き放たれてしまえば、人々は更なる苦境に立たされることは明白だ。彼女は妖魔でありながら、国からも第一級の要人として扱われている。

 老女――御前はがちがちに緊張して落ち着かない大葉の様子に小さく笑みを浮かべたが、視線をミタチの方にずらすと、今度は深く溜息をついた。


「それにしても、今日はずいぶんと物騒なやつを連れてきたね」

「済まないね、御前。屋敷の皆さんを無用に警戒させちまっているようだ」

「ああ、構わないよ。都合も聞かずにあんたを呼びつけたのはこっちだからね。しかし、上古の斬妖に懐かれるなんてボウヤも難儀だねえ」

「なっちまったものは仕方ないさ。俺の目が光ってるうちは、こいつにここで暴れるようなことはさせないから、安心してくれ」

「何だいタイジュといい波旬の娘といい、私を危険物のように。私にだって分別はあるのだよ」


 自分についての評価と察したミタチが憤慨する。

 しかし椚も御前も冷ややかなものだった。


「何を言ってるんだ。十分危険じゃねえか、自覚しろよ」

「自分以外に対する評価の基準が『斬った時の感触の良し悪し』とか何とか言っていたあんたが分別ねえ」


 どちらからも賛同を得られずに、だがミタチは暴れるでもなく拗ねた顔で二人から視線を外すだけに留まる。

 部屋の周囲に潜む鬼たちがざわめく気配。

 御前はその様子に成程と感じ入ったように頷くと、椚との会話に戻る。


「ま、人間社会での生き方を模索する程度には社会性を獲得したみたいだし、あんたは別に構わないさね。ほら、あんた達も散った散った! あたしのことはこちらの闘仙様が護ってくださるってさ!」


 まあそれならと、部屋の表の気配が次々に遠ざかっていく。

 中にはそれでもと残っている気配があるが、それについてはもう気にしないこととする。


「本題に入ろうか、御前。御用の向きってのはこの前の事だろ?」

「そう、四熊しぐまの件さ」


 穏やかな表情の御前は、天女であると同時に稀代の鬼女でもある。

 随分と昔にこの世での寿命を終えて冥府に去ったはずだったが、開放の日を境に再び現世に姿を現したのだ。

 現世に舞い戻った彼女がこの国のためにと行った事績は、間違いなく多くの人々を救うものだった。

 そういう意味で、椚は彼女が自分たちに対して無体な難癖をつけてくるとは思っていなかった。


「何か俺たちが下手を打ったかね? 段取りにはそれなりに気を使ったつもりなんだが」

「『協定』を無視して外に出たのは奴らの独断で、あんたが気にする必要はない。それはこないだ話した通り、なんだけどね」

「奴?」

「あいつらのことだ、どうせ大熊のやつを『四熊の兄貴』とおだてていたのだろうけど、厳密にはちょっと違う。四熊童子とは、四匹の鬼のことを指すのさ」


 椚は少し前の仕事のことを思い出した。たしか、四熊童子と呼ばれていた大柄な鬼と、小熊の兄いと呼ばれていた鬼と。ほかには取り巻きの鬼どもが数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどいたが、その中に目立つ鬼はいなかったような気がするが。


「俺が見ためぼしいのはその、四熊と呼ばれていたでかいのと、小熊と呼ばれたやつだけだな。他にも二匹いるのかい」

「そういうことさ。そのうちのひとりはここにいてね。メグ、入っておいで!」


 御前の声に、襖が静かに開けられる。

 立ち去らなかった気配のひとつだ。元々部屋の外に控えているように指示されていたのだろう。


愛熊めぐま童女。この屋敷の使用人のひとりで、困ったことに四熊童子の一角なんだね、これが」

「めぐまです。……初めまして、闘仙さま」


 鈴の鳴るような声で名乗る、若く見える鬼女。小熊と大熊を見た後だと、四熊童子という鬼のイメージが覆されるが。


「四熊童子は、ひとつの大きな命を共有した四匹の熊鬼だ。このメグ以外の連中は人食いが何より好きという困った連中でね。誰かが生き残っていれば暫くしたら蘇るというまじないをかけているんだ。これは四熊の親である山姥やまんばの仕業なんだが」

「ほう、山姥」


 それまで会話に不参加を決め込んでいたミタチが、山姥と聞いた途端に興味を示す。

 御前はそれには特に反応を示さずに、続ける。


「あたしとしても、この街で暮らす限りにおいては、メグ以外の三匹をどうこうしようというつもりはなかったんだ。けど、協定を破った以上は話は別さ。蘇ったあとはもう、あたしの言うことなんざ聞きゃしないだろ。この際だから、蘇りの呪いを解いてしまいたいんだ」

「それに協力しろって話かい」

「ああ。本来ボウヤには義理もなにもない話だがね、乗りかかった船と思って、ひとつ手を貸しちゃあくれないかい」


 そう言って頭を下げてくる御前と、メグこと愛熊童女。


「俺は別に構わないが――」


 椚は苦い顔で顎を撫でた。そろそろ髭が生えてきて欲しいと願うダンディー志向の彼ではあるが、一向に上に向かって成長しない体と童顔は、困ったことにそちら方面が致命的に似合わない風貌だ。


「つまりはそこの姐さんの兄弟を皆殺しにしろって話だろ? 御前はいいかもしれないが、姐さんの気持ちってやつを確認しておかないとな」

「ほらな、メグ。言った通りだったろう? このボウヤはこういう奴なんだよ」


 誇らしいような、呆れたような口調で、御前が愛熊童女に問いかける。

 愛熊童女も驚いたように口を開く。


「人というのは、鬼と見たら皆殺しにしなくては気が済まないものだとばかり思っていました」

「恨み辛みに怒り憎しみ。人が鬼になるのが随分と当たり前になったご時世だぜ、姐さんよ。人を食わずに鬼多区でのんびり過ごしてくれる分には、俺はあんた達をどうこうしようってつもりはないね」

「そう、ですか」

「で、どうなんだい。大熊と小熊については事後なもんでな。もう一匹を殺してしまってもいいもんかい」


 椚は鋭い視線で愛熊童女を睨む。と、愛熊童女は愛らしい瞳を潤ませ、すっと下を向いた。


「……痛いんです」

「なに?」

「兄さまたちは、蘇るときに、私の胎から生まれなおしてくるんです。大熊の兄さまなんて、通り抜けられないからって、私のお腹を食い破って出てくるんです。痛くて痛くて、苦しむ私を、どの兄さまもわらうんです。私はもうあんな思いをするのは嫌、です」

「そうかい」


 ぽたりぽたりと滴る涙。

 椚は深く息を吐いた。女の涙は苦手だ。


「御前、その呪ってのは、奴らが生きている時には解けないものなんだな?」

「ああ、何度か試したが無理だった。三匹を殺して、メグの胎に宿りなおす時じゃないと呪は解けないらしい。今回も大熊と小熊の分だけでもと試したがね、もう一匹をどうにかしないと無理そうだ」

「で、残りの一匹ってのは?」

「紫の熊と書いて、読みは同じく紫熊しぐま童子。最も悪辣で、最も強いやつさ。四熊童子といえばだいたいこいつのことだね」

「紫熊童子、ねえ。成程、拝み屋連中が怖がっていたのはそっちか」


 同じ『しぐまどうじ』でも、恐れられていたのは紫熊童子の方だったのだ。四熊童子でも間違いではないから、頭が回る様子だった小熊が悪知恵を働かせたのだろう。

 と、ミタチが名案を閃いたとばかりに手を叩いた。

 目を輝かせてこちらの肩を揺すってくる。


「ねえねえタイジュ。閃いたよ」

「なんだよ、俺の仕事なんだから黙ってろって」


 こういう時のミタチは、大体ロクなことを思いつきはしないのだ。


「そこの熊娘をここで斬り殺してしまえば、もうそんなことを気にする必要はないと思うんだ」

「ここにきて何を言い出すかね、この馬鹿斬妖」


 当然ながら御前の怒りに触れたらしく、空気がちりりと熱を持つ。

 怒気を向けられたミタチも一気に臨戦態勢に入り、腰を軽く上げてにたりと笑みを浮かべる。殺意が濃厚な液体のように部屋に広がり始める。


「止めんかバカタレ」


 椚はミタチの後頭部を平手で軽くはたいた。

 ミタチの頭がかくんと揺れて、御前が怒気を霧散させる。


「何するんだいタイジュ」

「これは俺の仕事だって言ったろうが。横から混ぜっかえすんじゃねえよ」


 椚はひとつ咳ばらいをすると、臨戦態勢を解くようミタチを睨みつけた。


「御太刀。俺が御前の仕事を受ける場合、この姐さんは護る相手だ。お前、俺の敵に回ることになるぜ」

「そ、それは困る!」


 狼狽するミタチに、いよいよ御前が目を丸くした。


「分かったよタイジュ、撤回するよ! だいたい、私は仕事にならない限り刃を使わないと君に誓ったじゃないか!」

「そういや、そうだったな。それで御前? 俺の仕事は紫熊童子を探し出して捻り潰すことでいいんだな?」

「あ? ああ。済まないね、ボウヤ」


 椚の問いに頷く御前。やるべきことは定まった。

 ミタチという歓迎されない輩が一緒である以上、長居しても迷惑をかけるだけだ。

 腰を浮かせかけたところで、ふと思い出して懐に手を突っ込む。


「そうだ、俺からも頼みがあるんだ。時間のある時で構わないから、こいつを調べておいてくれないか」


 取り出したのは、ラーメン屋でミタチから預かった呪物だ。

 蛇の道は蛇。呪の類に関してならば御前に聞けばおよそ分からないことはない。


「こりゃまた、ひどいね。どこでこれを?」

「御太刀が持ち込んだ。この次の仕事になるかな。出所と作った馬鹿を特定したいんだ」

「持っているだけで心を損なう品だよこれは。斬妖? あんた、これを持ち込んだ人に祓いのひとつも指示したのかい?」

「いいや、まださ。どうせ暫くしたら私の食事となるのだから、別にいいだろう?」

「まったく、これだから人食いってやつは」


 御前は憤慨するが、この辺りのこだわりのなさはミタチに限った話ではない。人を餌のひとつくらいにしか考えていない妖魔は、その扱いに関しては非常に雑だ。

 御前は前の生涯で人間の夫との間に娘がいるからか、その辺りへの配慮が実に細やかで助かる。


「ボウヤ、こんな厄介なのと付き合いを持つのは考え直したほうがいいよ」

「こいつを野放しにするってのかい、御前?」

「ああ、それもそうか。本当に難儀なのに懐かれたねえ」


 深く深く、諦めの詰まった溜息をつく御前と、苦笑いで返す椚。


「まあ、了解したよ。紫熊のやつを仕留めてもらう礼ってわけじゃあないが、これについては調べておくさ」

「頼むよ」


 椚は頭を下げて、今度こそ立ち上がった。


「そしたらお暇させてもらうとしよう。大葉ぁ、寝てんじゃねえ」


 御前の怒気とミタチの殺気に中てられて軽く失神していた大葉の頭をすぱんと叩く。椚とは逆に、図体の割に気が小さいのだ。

 気付けの法力が込められた一撃に、大葉がびくりと体を起こした。


「え? あ、すいません椚様! あれ? ここ、あれ?」

「ほれ、帰るぞ」

「えっと、あの。はっ⁉ はいぃ!」


 何があったのかを思い出したらしく、目を白黒させてきょろきょろと辺りを見回して。

 その様子に、御前とミタチも毒気を抜かれたようだった。

 ふたりそろって苦笑いを浮かべている。たぶん椚自身もにたような表情を浮かべているのだろう。


「それじゃあ、ボウヤ。またいつでもおいで」

「ああ。吉報を待っていてくれよな」

「し、失礼いたしましひゃぁっ⁉」


 椚に続いて立ち上がろうとした大葉が、足のしびれか腰がぬけたのか、前のめりに畳に突っ伏す。

 つくづく締まらない。椚は頭を抱えて溜息をひとつついたのだった。

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