第5話 何を幸せと思うのか

厳格な家の生まれを恨んだことはない。自分の運命を呪ったことはない。人間関係に恵まれなかったことを嘆いたこともない。

ただ、ひとつ。あるのは、『私がこのまま死んで、何を残せるのだろう』という漠然とした不安だけだった。


自分の意志で、この家で生きることを選んだ。書道は相変わらずあまり得意になれないが、弓道と茶道は、たった一人でも楽しい。それら三つの道を歩んできたことは、寧ろ誇りに思っている。


トラブルといえば、目当てに入学した茶道部が落ちぶれてしまい、部の仲間も既にやる気を失ってしまっていたことぐらいだろうか。書道部もあるにはあるが、さして話を聞かない、小さな部活らしい。

やる気をなくした部員たちは、名目上は茶道部員だが、事実なにもしない。ただ、月曜から金曜まで、その日の気分で顔をだし、駄弁るだけだ。

彼女から彼らに注意することはせず、また、彼らから彼女へも何も言わない。

言わない理由などひとつだ。やりたくない、でも部活に来なければ中退になってしまう。そんな彼らを許したからだ。


仄かに蒼みがかった白い髪はさながら雪のようで、白い肌と合い、彼女というものをよく表しているように思える。

月乃空≪つきのそら≫ 雪代≪ゆきしろ≫ 彼女は今日もひとり、茶道部室にて自身の立てた茶を飲みながら、瞳を閉じていた。

自分はどう進むのか。止まれないのか、引き返せないのか、仮に引き返すとしてどこへ戻るのか。栓なきことだが浮かんできてしまった以上しようがない。


家にいることは嫌いではないが、それでも土日にここに通っているのは部員としての義務と、この‘学校‘という空間が好きだからだ。どこかでは誰かが汗を流し、どこかではだれかが話に花を咲かせている。様々な人々の気持ちが漂い合う不思議な場所だと、彼女はいつも言いようのないくすぐったいような感覚を覚える。




静まった和風の部室に、廊下からの足音が届く。1人のものだろう。普段は人の通らないここに、用があるとしたらそれは顧問の教師だろう。


閉じた瞳をのんびりと開き、空になったお椀を片すと、新たに来客用のものを取り出した。

扉が開かれる。

そこにいたのは、予想とはうって変わって、1人の男子生徒がいた。


『『・・・・・・』


やばい。人いた。帰ろう。三つの文言で心情全てを現しつくした彼は、扉を再び閉めようとするが、それより先に、先手を取られてしまう。


「あ、あの・・・」

「は、はい」


「・・・お茶、飲んでいきます?」

「え・・・あ、はい・・・?」





茶会への招待を受けてしまった彼は、準備があるのであろう別の部屋へ向かってしまった彼女の名前すら知らない。なぜ、着物を着ているんだろうという違和感はあったが、とりあえずその場に正座して待つことにした。


茶会への招待をしてしまった彼女は、誘っておきながらもすぐにその場を離れてしまう。これまでの自分からは考えられない行動をとった自分に驚いたからだ。

額に手を置いてみる。熱はどうやら無いらしい。

普段の彼女ならまず事情を聴き、ただの物見客ならばお帰り頂くところだ。それが今回はそうはならなかったのは、違和感、要するに、彼から‘変‘を感じたからに他ならない。


何かが変わるような気がしたとか、運命の出会いだとか、物語ならここがスタート地点、或いは分岐点だろうと感じたから・・・なんていう理由で引き留めたのではない。単に、自分とは‘違う‘人間と話したかったから。人生相談をしようというのではない。ただ、話すことで自分の中にはない何かを垣間見ることができるのではないかと思ったからだ。



必要なものは元々ほぼ揃っており、あとは茶菓子だけだったため、それを持ち再び彼のいる部屋へ。



目の前の少女を見る。茶道部は部活中は着物を着るものなのだろうか・・・いやそんな馬鹿な。ならばどうして?・・・考えるよりも聞いたほうが早いだろう。飲み終わったら、適当に聞いてみよう。


花形の最中?のようなものが差し出され、続いては椀に入ったお茶が。手順も何も解らないまま、そっと椀を両手で持ち上げ、少し飲んでみる。

・・・あまり美味しくない。そもそも、抹茶自体苦手だ。なんとか表情に出さないように半分ほど飲み干し、一旦畳の上へ置く。


「抹茶は、苦手でしたか・・・?」

「・・・まぁ」


そう尋ねられてしまい、彼は表情をうまく誤魔化せなかったことを知る。


「ええと・・・作法とか全然解らないんだけど」

「大丈夫ですよ。気にしませんから」


作法とは、要するに礼儀だ。それを知らないということは、相手への敬う心がないということだ、が。

『そんなこと知らん。作法なんて誰が決めた。敬語なんて誰が決めた。敬う心は、その人と関わっていく中で生まれるもので、関わっていく中でこそ、その心は見えていくはずである』

いやまて落ち着け。それでも社会はそういう風にできていて、それがマナーとされている。敬語の存在によって、確かに生まれたものもある。君はそれによって多くを失ったとしても。


「・・・聞きたいことがあるんだけど」

「はい・・・?なんでしょうか」


「・・・なんで着物なんですか?」


質問があると言われキョトンとしていた彼女だったが、内容を聞くと嗚呼成る程・・・とすぐに納得した。


「ああ・・・成る程。私の家は歴史ある家系でして、普段からこういった服装で・・・制服よりも此方の方が落ち着くのです」


「なるほど・・・」


そんな家本当にあるんだ・・・以上の感想は出てこなかった。

それ以外思ったことといえば、和服の似合う綺麗な人だなとか、浴衣の上からも胸の膨らみが解るな・・・ぐらい。しょうがない。緊張してたのだから。


「私からも聞いて構いませんか?」


彼がなにも言わずどうしようかと考えていると、彼女の方がこちらをジッと見つめながらそう尋ねる。


「本来は最初に聞くべきことだったかもしれませんが・・・本日はどういったご用件で?」


・・・素直に言うべきか、迷うのは一瞬で、彼の口はそのまま思った通りのことを述べる。


「なんとなくここに来てみたくなったから・・・なんですけど・・・申し訳ない」


「なぜ謝るんですか?」


「いや、適当な理由で邪魔してお茶まで貰ったから」


「大丈夫ですよ。1人でただ、座っていただけですから」


・・・無趣味?


「・・・ああ、なるほど・・・?」




・・・意外とよくあることなんだろうか?彼はそんなことを考えたが実際そんなことはない。彼女にとって初めての事態だ。


「三年生・・・ですよね?」


「いえ、二年生です。・・・あなたは・・・?」


自分よりも、色々なものを背負っているような雰囲気からの予測だったが、彼の予想は外れる。

顔つきなどは別にそんなことはないのだが、彼でも解る。彼女は普通からは離れていると。


「二年A組、北河 秦 です」


「私は二年C組、月乃空 雪代です。好きなように呼んでください」


つきのそらゆきしろ・・・名前だけでも人物が解るいい名前だと彼は思った。



来客が来る前にとお菓子を一口で食べ終え、良く味わい飲み込み、茶を啜る。


・・・同時に、もう話すネタがないことにも気づいた。


気にしていないとは言ってくれたが・・・帰りたい。女子と一対一とか今までなかったのではないか?肩身狭い。・・・足痺れてきた。


静かなその部屋では、自分の呼吸音すら相手に聞こえてしまうのではないかと思う。

昼間の日差しが僅かな隙間から入り込み、それがなんとなく外目から見て絵になるのではないかという想像に逃避していたが、そんなときに廊下からの足音が、微かに聞こえてきたのは、神の救いかと思った。来客が来たなら、それは帰る口実になる。



「はぁ~疲れたーずっとバスケできてないと、やっぱり体力減ってた」

「でも楽しかったろ?」

「まぁね~でも男子と女子合同にするとかよくやるよ。しかも私茶道部だし」

「知り合いいたんだしお前も楽しんでたじゃん。監督どっちもいないなんて滅多にないからな。良いだろ、他の男子も女子も楽しくやれたんだし」

「・・・まぁ、そうだけど。それを提案した部長が一番に抜けるってどうなの」


救いの手などでは無かった。


「・・・」


月乃空を見ると、その声に覚えがあるのだろう。スッと一度瞳を閉じ、彼らが扉を開けるのを待つ。


なんとなく、覚悟を決めているかのような風貌。それは、彼にも言えることだ。


妄想の中の彼は和室の窓をすぐさま開け雪代を、お姫様を連れ去る王子の如く抱えそこから外へ飛びだすということをやってのけていたが、現実は悲しい哉、そのまま待機という結果に収まった。


・・・ただ、彼は直感的にスマートフォンの録音機能をオンにする。


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