「タイトル未定」
椎名 花恋
第1話
「はぁ……はぁ……!!」
突然だが、ある人から俺は校内の中を逃げていた。
なぜ逃げているのかと聞かれればただ一つ。カッターをもった女の子というのが迫って来ているからだ。
「やっと、追いついた…」
俺の目の前は一階の階段の裏にある四方が壁に囲まれ逃げられない空間。
完全に万事休す。これまでだ。
絶対的な恐怖の前に体が立ち竦む。
「いったいなんで、俺を追い回すんだ!」
女子とはこれまで一切縁が無かった筈だが、今日に限っていえばいきなり、15センチ程のカッターを後ろから女子に突きつけられるという珍しい体験をしていた。
恐怖のあまり、すぐに逃げ出したのだが、どうやらここまでのようだ。
目の前の名も知らぬ女子は、俺との間隔を15センチまで詰めた後カッターを俺の体に突きつけて理由を話す。
「私と一緒に自殺してくれませんか?」
黒い澄んだ哀愁に満ちた瞳と首元を隠すウェーブのかかった長い髪。
「まずは落ち着こう、早まるな。そして深呼吸した後、理不尽過ぎる要求に対しての俺への謝罪を求める」
「落ち着くのは貴方の方です。しっかり考えた上で貴方と自殺したいと思ったのです」
「理由を聞いても?」
「父からの家庭内暴力が酷く耐えきれ無くなり、スマホで届出の方法を調べたのですが、今すぐに改善出来ない様でしたので、自殺しようと決意したんです」
女の子は話を続ける。
「ですが独りで死ねる勇気も無いので、私が好きな人と一緒に死ねたら本当に最後の最後ですけど、不幸しかない人生でも幸せだと言えると思ったんです」
自殺の提案と告白を同時に受けるという奇妙な相談と体験を受け、彼女は再度質問する。
「だから、私と一緒に死んでくれませんか?」
「確認だけど、君は本当に俺の事が好きなの?」
俺は真っ直ぐにもう一度彼女に聞くと、落ち着いた声で即答して返してきた。
「はい。3ヶ月前の入学式の雨の日に私に傘を貸してくれたあの日から」
そういえば、そんなことあったなぁ。傘が二つあったし、良かれと思って渡しただけだったのに、まさかそこで惚れられてるとは思わなかった。
「なるほど。じゃあそれを踏まえた上で言わせてもらおう」
深呼吸を一回して柔らかな笑顔で答える。
「こちらこそ俺の初めての彼女になって下さい」
俺は彼女の自殺という決意を有耶無耶にしたまま、初めての彼女を持つのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「お父さん、少しいい?」
「どうした?」
俺は父にしか聞けない疑問を話す。
「警察って他人の家庭に乗り込んだ上で、現行犯逮捕って出来るの?」
すると父は流暢に話し始めた。
「基本的には110番が無いと駆けつけられないし、現行犯逮捕は一般人でも出来るが、罪に問われる現場を目撃していないと行けないのが最低条件だ。その上やり過ぎれば暴行罪、屋内なら監禁罪で逆に訴えられかねん。素人がするのは危険の一言に尽きる」
「そっか。ありがとう」
感謝の言葉を述べて、俺は一つ、父に報告する。
「そうだ父さん。俺、彼女出来たよ」
「んがごふっ!……げほっげほっ……」
父は口に含んでいたビールを盛大に吹き出して咳き込んでいた。
「あーもう、汚いな。母さんに怒られるよ?」
「大丈夫よ。私もそうなるだろうから」
「あ、母さんおかえり」
「げ、やば」
そしてこの日、俺は初めて出来た彼女の事を父さんと母さんに紹介するのだった。
※ ※ ※ ※ ※
ある休日、俺は生まれて初めて彼女とデートすることになった。
待ち合わせ場所は駅の改札口の前。
「しかし、遅いな…」
既に待ち合わせの時間から一時間は経過している。
普通の人ならここまで待たされれば苦になるのだろうが、俺にとってはそうではなく寧ろ待たされている時間でもあっても楽しいものだった。
すると夏にも関わらず人混みの奥から、白い長袖パーカーに薄い紺色のジーンズで全身を隠すように、手首を抑えながら彼女は現れた。
「ごめん。遅れた」
「そうだな、結構な遅刻だよ。……何があったの?」
「思い出したくない」
俺の質問に彼女は、絶対的な拒絶で返す。
何があったのかに対しての答え方が、思い出したくない、という事と手首を抑えている辺りで大体の予想はつき、罪悪感に苛まれた。
「悪い、不謹慎だったな」
素直に俺は謝罪する。
暗い気持ちを払拭するように俺は一つの提案をする。
「実は行くところはもう決めてあるんだけど、その、出来ればいっぱいある俺の夢のうちの一つを叶えさせて欲しい」
彼女は期待半分、不安半分といった様子で俺の言葉に興味を示してきた。
「その、手を繋ぎながら歩きたいなぁ
……って」
俺は顔を紅くしながら彼女に右手を伸ばす。
けれど、彼女はまたしてもその手を拒絶し、いつか俺を追い詰めた15センチのカッターを代わりに取り出して、悲しげに言う。
「ごめんね。私の手に触って欲しく無いの。貴方は良くても、私が貴方に触らせたくないの」
彼女はそう言って財布を取り出して、一人の改札口の向こう側に向かう。
俺も釣られて、改札口に電子マネーのカードをかざし、駅のホームに向かう。
電車の中でも距離を保ち、俺と彼女は椅子に座りながら、何があったかには触れず、他愛ない会話を繰り返す。
たったカッター一つ分の距離が、俺には断崖絶壁の崖のように険しく思えた。
※ ※ ※ ※ ※
着いたのは目的地である超大型の新店のデパート。
そこからは初めてにしては、それなりにデートっぽいことをしたと思う。
映画館に行ったり、食事をしたり、デザートを一緒に食べたり、お揃いのアクセサリーを買ったり。
最後に一緒に思い出として、判子も作ったりした。
電車に乗って帰り際に彼女と別れる時。
別れ際に一言、彼女に伝える。
「今度、父さんに紹介したいから家に来ない?」
彼女は顔を真っ赤に染めてうろたえる。
俺はこの時、始めて彼女の照れる顔を見て、不覚にも気を惹かれてしまったのだ。
「速くない?それに迷惑じゃない?」
「迷惑じゃないし、恥ずかしがるようなことはしないよ?この前、父さんに彼女が出来たって話してみたら、会って話してみたいって言ってたし」
「そ、そう」
「じゃあ、今度お邪魔するね」
そして初めてのデートはこうして幕を閉じた。
※ ※ ※ ※ ※
後日、俺は彼女を自宅に招いた。
「いらっしゃい」
玄関を開き、彼女を出迎える。
「お邪魔します」
そのまま自室に招き、部屋の扉は開けっ放しにしておく。
俺はそのまま部屋の窓を開けて、白のカーテンをかけて換気をして部屋の空気を開放的にする。
「なんだか、凄い落ち着かないね……」
「普段戸締りはしっかりするんだけど、今日は初めて、女の子を部屋に入れた特別な日だから。嫌なら締めるけど?」
「ううん、大丈夫ありがとう」
彼女には見抜かれてしまったが、全て俺なりの彼女へ対する配慮であった。
「それで、なにする?アニメ、ゲーム、パソコン、ラノベと筋トレグッズしかないけど」
「アニメは知ってるけどラノベって何?」
彼女は初めて聞いたと言わんばかりの表情で俺に質問してきた。
「ラノベって言うのはライトノベルの略称。具体的に何かって言われたら、そうだな。一言で説明するなら、イラスト付きの読みやすい小説かな。読んでみる?」
彼女にオススメのラノベの一巻目を手渡した後、彼女は俺も時間も忘れて初めて読む小説に没頭した。
俺はそんな彼女に嬉しさと同時に寂しさを覚えた。
彼女は一時間しないうちに読み切ってしまった。
速読と言っても限度があるだろうと戦慄を覚えつつ、興味と好奇心に瞳を輝かせる彼女を停められなかった。
文字通り時間を忘れて読み耽った結果、外はすっかり暗くなっていた。
「どうだった?」
あれだけ集中して読んでいたのだから、感想の一つでも欲しいと俺は思い、彼女に聞いてみる。
「女の子が酷い目に遭わされてた町から逃げ出して、逃げた先の町で夢を叶えて幸せを掴むって言うストーリーに凄い感動した。私、この作者好き」
「そっか。なら、オススメしてみたかいはあったかな」
ほっと、俺は心を撫で下ろしつつ、彼女はオススメした俺自身に今度は質問する。
「貴方の夢は何?って言うフレーズがとても好き。これを薦めてくれたなら、貴方自身の夢は何?あるんでしょ?」
「俺の夢はたくさんあるけど、そのうちの何個はもう叶ってるよ。親父より俺は貯金もあるし」
「そうなの?」
不思議な物を見たように彼女は聞き返して来たので、俺は自分のことを少し話してみることにした。
「そうそう。一時期、親父が俺と同じ警察になれーってうるさくて。今でもそうなんだけど、今はやりたいことをやらせて貰ってるよ」
「……そっか、羨ましい」
彼女は切なげに泣きそうな顔をして俺を見る。
「さて、じゃあ今日呼んだ目的……下にいる父さんに会いにいこうか」
「え、いつから帰宅されてたの?」
「三時間前くらい前かな?」
そして俺は父さんに彼女を紹介するのだった。その間、彼女はどう謝ろうかずっと考えていた。
※ ※ ※ ※ ※
「さて、そろそろ深夜になる。危ないからご自宅に帰るといい。そうだ、せっかくだから送って貰うといい。この後、俺も仕事で居なくなるから」
紹介も済んで、父は彼女の身を案じ、帰宅するように言ってきた。
そのあと、父さんは念のために彼女を自宅である家まで送って行けと言った。
俺はスマホを通話中にして、満タンのバッテリーに繋ぎ、家を後にしたあと彼女と一緒に、彼女の自宅に向かうのだった。
その後、彼女の自宅についたあと、玄関で別れを告げる。
「また明日。戸締りはしっかりしときなよ。いつでも逃げ出せるように。自分の身体は自分でしか守れないし、場合によっては助けてと声を出しても助けてくれない方が多いんだから」
「……うん」
「じゃあね。また明日」
そして俺は彼女と別れるのだった。
「結局、今日も手を繋げなかったな」
俺の呟きは誰にも届かない。
携帯の時計は既に日付が変わる頃を指していた。
※ ※ ※ ※ ※
私は自宅に帰って来た後、自宅は
私の父は私が帰るなり唐突に、こっちに来いと言って来た。
テーブルの上には怒りによって、叩き割ったと思われる割れたビンが幾つも転がっていた。
足の踏み場は無いと言うのに、こちらに来いと言う。
私は心を殺し、感覚を殺して父の所に向かう。
父は大きな声を上げて、いつものようにまた私に一つ消えない痛みを作る。
―――私は何も考えない。
―――私は何も感じない。
―――私はどこへも逃げられない。
あの小説の女の子のように、逃げ出した先の町で幸せになるなんて都合の良い事は有り得ない。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
途切れかけた意識の中、ふと、今日の彼氏との会話が、脳裏をよぎる。
((貴方の夢は何?))
あのとき、彼は私に言ってくれた。
夢はたくさんあると。
そしてそれは何個かはもう叶ってると。
彼の夢の一つに私はなりたいと思った。
依存している言われてもいい。
彼の夢の一部になるのが私の夢だ。
少なくとも私は今日、普通の高校生のように幸せだったと思う。
でも、彼は助けてくれない。
玄関で別れる時に言っていたじゃないか。
『自分の身体は自分でしか守れないし、場合によっては助けてと声を出しても、助けてくれない方が多いんだから』
これは自分に対する罰なのかも知れない。
自分で自分を防衛することを諦めて、投げ出して、全く何もしようとせずに、諦めて死のうとしまったことへの。
それでも、声に出さずにはいられなかった。
それでも、心から祈らずにはいられなかった。
精一杯、叫ばずにはいられなかった。
だって、私は彼と一緒にいて、人生で一番の幸せを、温もりを知ってしまったから。
「……たす……け……て」
掠れた声で精一杯の嗚咽混じりに
しかし、声は届くことはなく、反響することも無くただただ霧散する。
まさしく、文字通り全てが、彼の言う通りになってしまった。
誰も助けてはくれないのだ。
自分で模索するしかない。幸せを掴むために。
壊れかけた心を繋ぎとめているのは、ただ一つの思い出のみ。
思考を繋ぎ止めているのは、かろうじて現状を打開しようとする欠片の如き小さな意思のみ。
身体中が痛い。尚も増えていく傷。
青い模様と赤い染み。
服を完全に逃げられないように掴まえられる。
私は精一杯の弱々しい力でその腕を掴む。
しかし、その行動が余計に父の感情に火に油を注いでしまったのか。
私はそのまま数秒間、宙を浮く事となった。
背後の物が詰まったクッションに接触し、同時に袋の後ろから、カシャンと何枚もの陶器の割れた音が響く。
直接的に頭に響く痛みを拒絶し切断する。
これ以上は耐えられなかった。
明滅し、徐々に暗くなっていく視界。
インターホンの音が遠くから聞こえる。
そして、騙し騙しにしていた痛みが私に襲いかかってきて、私の意識はここで途切れた。
※ ※ ※ ※ ※
ピンポーン、と光景に似つかわしくない音が突如部屋に響き渡る。
「ちっ、こんな深夜に何処のどいつだ」
俺は娘を放置して、そのまま玄関に向かう。
再度、ピンポーンと音が鳴り響く。
「うっせぇな!!静かにしやがれ!!」
俺は勢いよく玄関の扉を開き、玄関の前にいる騒音の主に抗議する。
「すみません。警察のものですが」
「お巡りさん?一体、こんな夜中にどうなされたので?」
突如、態度を一変させ、冷静に対処する。
見れば、警察の制服に身を包んだ男の隣には見た事のない男の子が隣にいた。
「いえ、近隣住民の方々から、家宅から夜な夜な物が割れる音や、女の子のすすり泣く音、また家宅の周辺から変な異臭がするとの苦情も多々ありましたので、土地勘の無い私に変わってこの男の子に案内して頂いたのです。申し訳ございませんが、少々お時間宜しいでしょうか?」
俺はあくまでも平静を保ちつつ、中に入られないように論点を逸らすように話を投げかける。
「それはそれは、申し訳ございません。しかし、妻も娘も既に寝ていまして。事情聴取には明日、こちらから署にお伺い致しますので、今日はもう遅いですしお帰りになられてはいかがでしょうか?」
警察官は引くかと思ったのだが、しかし、思いの他食い下がる。
「いえいえ、そうしたい所なのですがこれだけ苦情が多いと調査の一つでもして署に戻らないとこの案件にケリがつかないんですよ。私としてもこの程度の案件に夜も付き合わせられるのはこれっきりにしたいので。それとも、今、事情聴取されてはならない理由がお有りでしょうか?」
しかし、警官はしつこいくらいに、いまだに食い下がる。
「しつこいですね。事情聴取は任意の筈です。拒否権もあれば黙秘権もある筈では?」
俺は正当性を主張する為に、警官にそう告げる。
「ええそうですね。その通りですが……あ、すみません。少し通信が入りましたので宜しいでしょうか」
すると警察官は何処からか連絡が入って来た様で、こちらに通信を聞いてもいいかと尋ねる。
否定する権利はこちらには無いと思い、俺は許可する。
「どうぞ」
すると警察官は何やら通信機に方に意識を集中して適当に会話を始める。
「はい…はい……。分かりました」
しかし、警察官に注意を取られすぎて、咄嗟に俺は反応出来なかったのだ。
「おい君!」
隣にいた男の子が、いきなり走り出して家に乗り込んだあと、リビングに直行した。
「待て、糞ガキ!」
怒鳴り散らすが男の子が戻って来る様子は無い。
警察官は冷静に男の子を連れ戻す為に俺に提案してきた。
「申し訳ございません。彼を連れ戻す為に上がらせて頂きますね?失礼致します」
有無を言わさず、上がり込む警察官。
「あ、おい!」
俺は止めようとしたが既に遅かった。
※ ※ ※ ※ ※
「おやおや、これは……」
部屋はゴミ袋とガラス片と脱ぎ散らかされた衣服でいっぱいになっていた。
何処からか、吐きそうな程の強烈な異臭すらしてくる。
「お巡りさん!」
男の子は必死に泣きそうだが、焦りと困惑を孕んだ表情で私に助けを求めて来た。
何事かと思ったが、男の子の奥には出血して倒れている女の子がいた。
あまりの凄惨な光景に思わず息を呑むが、すぐに頭を冷やし、冷静に女の子の状況とバイタルを確認する。
「どうやら頭と足から出血していますね。顔に青いあざもある。すぐに救急車を呼びなさい」
言われたあと、男の子はすぐさま救急車を呼び、応急処置の手順を聞き出し、取り掛かる。
私は男に向き合い、あくまで冷静な顔で怒気を内に秘め、男に告げる。
「状況からも見てわかるほどの明らかな少女に対する暴行と裂傷行為、また丸い小さな古い火傷。足と頭からの比較的新しい出血。傷害、暴行の疑いで貴方を現行犯逮捕させて頂きます」
取り押さえの宣言もした所で私は再度、男の子に向き合い、常備していたフェイスタオルを手渡す。
夏だからと言って常備していたのが幸いだった。
「君、急いで応急処置を。私の持ってきたタオルや服を裂いて血を止めなさい。大丈夫。息はしてますし、脈もあります。出血さえ止めれば良いだけです。しっかりしなさい」
焦り、冷静になれない男の子を諌めかつ、冷静にさせる。
男の子は一つ息を吐き、無理矢理冷静になろうとする。
しかし、ここで男は私がこちらに気を取られている間に玄関から逃げ出した。
「ちぃ、くそっ!」
「おや、逃げ出しましたね」
しかし、私は冷静に、もう一人パートナーに連絡をする。
相手が逃げ出した時点で、法的に大義も得た。
「最近の警察は二人で同行するのが基本なのですよ」
その後、家の外では男の悲鳴と叩きつけられたような鈍い音が響き渡った。
※ ※ ※ ※ ※
その後、警察に彼女の父は取り押さえられて、署の方に暴行、傷害の罪で現行犯逮捕で連行されて行った。
一方、彼女の方は、意識も脈もあるが出血が酷く、近くの病院に緊急搬送されて行った。
「どうしたよ、息子。お前は確かに俺達の前で家宅侵入罪という罪を犯したが、それについては現行犯逮捕した事によって多分、弁護士さんが上手く揉み消してくれるだろうよ」
俺の隣にいた警官とは別の犯人を取り押さえた張本人である俺の父が言う。
「いったい、何が引っかかるんだ?」
俺は父に向かって、申し訳無さそうに話し始める。
「今更だけどさ。色んな人を巻き込んで迷惑掛けちゃったなって」
「本当に今更だな」
そう言って父さんは懐から一枚の書類を取り出す。
そこには被害届と書かれていた。
―――話を少し遡る。
彼女とデパートに行ったのは、デートもあったが、本当の目的は印鑑を作る為。
彼女を父に紹介したのも、単に紹介もあったが、打開策を練る為と父が持ってきてくれた被害届を書いて、書類上は保護できるように今すぐする必要があった為。
この書類が無ければ、彼女の家宅に捜査は出来なかった。
そして、彼女と玄関で別れたあと。
あの後、俺は近所の家に助けてと言って駆け込んだ後、受話器を貸してもらい、父の務めている警察署に電話したのだ。
自分のスマホを父の携帯と繋げっぱなしにしていたのは、父の同僚の人や上司に彼女の言葉を伝える為。
しかし、一件からの苦情では警察はすぐには動きはしないのも父から聞いていたので、駆け込んだ先の家族の人達にも、他の近所の方々に連絡を取っていただき、通報してもらったのだ。
そして、父ともう一人の警察の方が到着した時にインターホンを鳴らしたのだ。
父と警察の人からすれば俺の強行突破は予想外だったのだろうが、そこに関しては訴えられても良い覚悟と、何より彼女の事がどんなことよりも心配だったのでしてしまったのだ。
結果としては、現行犯逮捕になった為、弁護士の人が揉み消してくれるだろうけど。
それでも犯した罪は、消えたりはしないのだ。
「発案したのが俺とはいえ、父さんにも迷惑かけたね。ごめん」
「何言ってんだ。息子が親にかける迷惑なんか迷惑とは俺は思わねぇよ」
「それにな」
父は笑顔で笑いかけながら、俺に伝える。
「息子に初めて出来た彼女だぞ?例え警察じゃなくても何とかしてたさ。迷惑云々は生きている限り、これからもたくさんの人にかけることになるんだ。大事なのはそれを返していくことと、感謝の気持ちを忘れない事だ」
そして父は頭を撫でながら言う。
「とりあえず、お前はもう帰って休め。彼女の所在は後で教えてやるから。後は俺達の仕事だしな」
「そうするよ……ってあれ?」
不意に目の前が歪んでいく。
「やれやれ。気が抜けて一気に疲れが来たのか」
「全く。よっこらせ。……おお、重くなったな」
薄れゆく意識の中、感慨深い父の声が聞こえた。
背負ってくれた父さんの背中はとても大きく、暖かった。
「あーもしもし。悪い、息子を送ってからそっちに向かうわ」
※ ※ ※ ※ ※
後日、父に彼女の入院している病院を教えて貰った俺は、彼女のいる病室を学校も休んで訪ねていた。
「ふぅー」
扉の前で一つ深呼吸。
遭うのは何と一週間ぶりで、警察に保護と事情聴取をされていて、面会謝絶だったのだ。
けれど、それもようやく今終わる。
扉を軽く叩いて、彼女の様子を見に行く。
入室すると、ベッドの上には髪を下ろしてこちらを見つめる彼女の姿があった。
「久しぶり。機嫌はどう?」
憂鬱そうな表情で、彼女は心中を吐露し始める
「そうね…結構スカッとするもんだと思ったけど。自分の父を連行させるって言うのは、あんまりいい気分じゃないかな」
「そりゃね」
少しばかりの静寂が続く。
不意に彼女は謝罪してきた。
「……ごめんね。利用するようなことをして」
けれど俺はその謝罪を否定する。
「別に、気にする必要無いよ。これは俺が自己満足を満たす為にやったことなんだから。独りよがりな、大切な人を助けたいって言う自己満足なんだ」
「それでも、貴方は私を助け出してくれた。助けられたなら、何かお礼をしなくちゃいけないよね?」
お礼をしなければならないと彼女は言うが、なら、彼女のするべきことは順序が違う。
「それなら、まず言うことがあるよね?」
彼女は少しばかり思案した後、照れくさそうに言った。
「助けてくれてありがとう」
それに対して、俺も言葉を返しの言葉を紡ぐ。
「どういたしまして」
そして俺は彼女に、もう一つ根本的事で、聞きたいことがあった。
「それで?自殺する必要は無くなったけれど、まだ僕と一緒に自殺したいなんて考えてる?」
ここに来た理由である、そして俺達が出会うこととなった時の最初の疑問を彼女に聞いてみた。
すると、彼女は確固たる決意をした瞳で俺に答える。
「一緒に死にたいのは変わらないけど、それはちゃんと幸せを掴んでからって思ってるから。今はまだ死ねない」
「……そっか。同じ気持ちだったんだな」
「お互い初めての彼氏彼女で、両想いだからね」
恥ずかしそうにお互い笑い合う。
「なら、俺からお願いを一つ聞いて貰ってもいい?」
「なに?」
あの夜出来なかったことを俺はお願いする。
「手を繋いで欲しいんだ。君を肌で感じたい」
出会った時から今に至るまで、あのカッターの分の15センチの距離を開けられて、キスはおろか触ることすら出来なかった。
彼女の手を繋いでおかないと、今にも儚く消えてしまいそうな気がして。
でも、いきなり繋ぐことは彼女の為にも出来なかった。
「その前に私からも見て欲しいものがあるんだ」
すると、彼女は病院服の袖を捲し上げ、腕の傷を見せてきた。
言葉で表現出来ない程、酷く生々しい傷が無数にあった。
「どう思った?」
「どうって、そりゃあ酷い傷だとは思ったよ。同時に君の父さんへの怒りが再燃したところだけど」
けれど、俺の答えた言葉は彼女の求めたものとは違うらしく、再度聞き直してきた。
「そうじゃ無くて、醜いとか汚いとか思わなかったの?」
俺は呆けた顔で、否定する。
「全然。だってそんなの俺が君を好きなことに変わりはないし、それに。君の全部を受け止める助けた時に決めたんだ。その程度じゃ今更驚きもしないし、醜いとか微塵も思ったりはしない」
俺は自分の気持ちを洗いざらい話した。
そして、最後にもう一度俺は彼女にお願いする。
「手を繋いで欲しい」
すると彼女は手を震わせながらも、俺の前に差し出してきた。
俺はその手を絹を触るように優しく触れて、手の指と指を絡め合わせる。
「やっと、繋げられた」
心からの言葉だった。
やっと、自分は15センチの断崖絶壁の先に来たのだ。
「ああ……誰かと手を繋ぐ事が、こんなにも暖かくて、安心するとは思わなかった」
「そうだね。私もこんなに暖かくて優しいとは思わなかった」
それから俺達はずっと面会時間の許す限り、手を最後まで決して離さないようにずっと繋いでいた。
「そうだ。秘密にしてたんだけどさ。俺、小説を書いてるんだ」
「知ってたよ。気づいたのは病室のベッドの上出だったけど」
俺は秘密を打ち明けたのだが、驚く様子はなく、彼女はどうやら気づいてしまっていたらしい。
俺は困惑しながらも説明を求めると、彼女は笑いながら、指を一本立てて、その理由の一つ目を説明しだした。
「私の感想を聞いた時に君は『どうだった?』って聞いてきたでしょ?普通の人なら『面白かった?』って質問するべきところだったのに、君は同じ読者としてではなく、創り上げた一人の作家として批評を交えた感想を私に求めたんだ」
そして彼女は指の二本目を立てて二つ目の理由を説明する。
「それに、親より貯金があるって言っていたでしょ?警官である父親よりも学生が稼げる仕事って考えたら自然と全てが繋がったよ」
そこまでわかっているなら話は早い。
俺はもう一つの秘密を打ち明けることにした。
「今度、新しく小説を書こうと思ってるんだ」
彼女は質問する。
―――「タイトルは?」
これは、読み手である貴方がいつか、この物語のように当事者になるかもしれない、私から未来の君に贈るメッセージ。
いつかの君に贈る「君の為の物語」である。
「タイトル未定」 椎名 花恋 @shiinakaren1214
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