第50話 ベネクトリア・ルージュ――②


「じゃあ、次はお城の地下から通信テストをします。ミラはそのままバルコニーで待機しててね」


 ベネクトリアの先には、城内へ繋がる曲がり角が見える。

 中庭を囲む回廊から新たな試験場へと移動するようだ。


『……了解』


「あ、その前に言いそびれていたんだけれど、さっきグレマンスさんからあなた宛ての言付けをもらってて、あなたと同じ暁の騎士の、オー……オーガデル? オーバルガ?」


『……それって、オーガヴァルじゃない。それと、同じじゃないから』


 始終淡々とした音声のなかにあって、ツンとした感情がはっきりうかがえた刺々しい物言いだった。


「そうそう、それ。そのオーガヴァルさんがいらっしゃってて、今夜、歓迎の晩餐会を開くからミラも出席するようにって。もちろん私は遠慮するつもりだけれど、オーガヴァルさんはミラのお知り合いの方?」


『……ううん、知らない奴。けど、噂は知っている。いつまでたってもオーガに届かない、情けない者がいるってね」


「ねえ、なんか、ミラ怒ってなーい?」


『……怒ってなんていないわ。オーガに怒りは必要ないもの。ただ、気分が悪いだけ。それでも、待ち焦がれていたオーガヴァルかしら。噂のそいつならきっと、私がお世話になったクーシー・シャ――』


 突如として、音声が途切れた。

 正確にはミラの続く言葉は虚空で語られていた。ただ、曲がり角に差しかかったベネクトリアが、手元から離したそれを耳にすることができなかっただけだ。

 ぽーん、と放られた、ゴテゴテした小瓶のような通信機械は、回廊の外の芝生へとくるくる回りながら飛んでゆく。


 そうなってしまった原因は曲がった先で起こった出会い頭の衝突。

 不意に姿を現す相手に気づくこともなく、どんとぶつかったベネクトリアは回廊の床に尻餅をつく。


「つう……。あの大丈夫ですか。すみません。ちょっと手元ばかりを見ていて、気づけませんで――した!?」


 座り込むようにして倒れたそこから見上げる顔が、驚きを隠しきれないでいた。

 そして。


「……ぬう、こっちこそ、すまぬの。人探しをしておってな。ちとよそ見をしておった」


 ベネクトリアの胸に頭をぶつけ壁へと弾き飛ばされたシャルテが、よろめきながらも言う。

 それから、まじまじと彼女を見た。

 見下ろし見つめてくるシャルテ。その視線をベネクトリアが、青白い肌の顔をますます蒼白にして受けた。


「シャ――、シャ、シャ、シャ、シャ、シャールウ・シャルティアテラ!? どどどどどうして、あなたがこんなところにいるんですか!?」


「ほう。驚いたの……。ワシの頭にぶつかって来た不届き者は、久方ぶりに見たベネクトリア・ルージュのものであったか」


 目つきを鋭くし低い声で言い終われば、シャルテはその両手に魔法陣を展開した。


「ちょちょちょっと、なんで有無も言わさず、こちらに魔術を発動させようとしているんですかっ」


 慌てふためきながらも、ベネクトリアは飛び起き身構えた。


「お前がまたワシから逃げようとするからじゃっ」


「まだ逃げていませんっ」


 放たれた炎の玉と同時であった。

 ベネクトリアの前に、その背丈より高い氷の壁が構築された。

 氷の壁がシャルテの炎の玉を防ぐ――が、三つ放ったシャルテの炎の玉が二発目、三発目と当たれば、パーンと弾け消滅した。

 しかしながら、氷の壁が消滅した後には、走り出している黒髪の後ろ姿。


「これ、待たぬか、ベネクトリアっ」


 シャルテが全力で追いかける。

 片手でローブの裾をたくし上げ、ベネクトリアが回廊を逃げる。


「シャルティアテラ。中庭見えますけれど、ここお城の中ですよ。こんなところで魔術を発動させてばかりいると、いい加減、衛兵さんが駆けつけてきますよ」


「いらぬ世話じゃ、城は傷つけんっ」


「そういう事じゃーなくてっ」


 再び炎の玉が飛来すれば、走りながらに振り向き、魔法陣を展開された手から個々の炎の玉目掛けて氷の塊をぶつける。

 炎と氷が飛び散る光景が、次々と回廊を巡り周回する。


「ひい、ひい、もう走りたくないいい」


 ベネクトリアが嘆き駆ける。


「大体――はあ、はあ、お前が魔術耐性のある合金なんぞを造るから、グックでワシがあんな目に遭ったんじゃぞっ」


「なんのことかさっぱりですけれど、前にも説明したでしょ。魔力炉を維持するためにもあの合金の錬成は不可欠だったって」


「知らんっ」


「知らんって。なんで、そんなにばっさり言い切れるんですか。散々文句言ってたの覚えてないんですか。もうそんなに耄碌もうろくしたんですか――ひい、はひい」


 互いに息を荒げながらも言い合い走ることを止めない二人。

 徐々に低下していくスピードも程よく一緒であり、後ろを何度も警戒するベネクトリアと疲れの色も濃いシャルテとの間は広がることも狭まることない。


「ワシに衰えなんぞあるものか。ふう、ふう、そもそも、文句を言われるような物を造ろうとするな。お陰で、魔導銃やら余計な武器が出回るようになった。武器が強力になれば戦いの規模も拡大してゆくものじゃ。ふう、ふはあっ、それだけ悲惨な争いも増える」


 シャルテのたどたどしい足運びは駆けているとは言い難い。

 それでも、しつこくあと少しの追い回す背中に言い放つ。

 その甲斐かいあったか。

 ついに立ち止まったベネクトリア。

 そのすらりとした立ち姿が振り返る。


「知識の探求、それ自体に善悪はない。善悪は知識を扱う者の裁量に委ねられ、それを秤にかける者も然り。これあなたの言葉ですよ」


 ベネクトリアは真摯しんしな眼差しで、見下ろし見つめた。

 先では、床にぺたんと座り込むシャルテ。

 ぜえはあ、ぜえはあ、息を整えるのに忙しい様子の彼女であるが――。

 魔力炉の罪を問いつつも、どうやらベネクトリアに、その純然たる知識そのものに善悪といった理非曲直りひきょくちょくの概念は存在せず、またそれゆえに人の社会が善とも悪とも傾けると説いていたようだ。


「そして、シャルティアテラ。そんな知識の矜持きょうじは関係なく、勝敗を分けたのは若さです」


 回廊を舞台とした旧知の仲である師弟の追いかけっこ。

 最後はよれよれしつつ回廊から去るも、軍配はベネクトリアに上がったようだ。


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