第49話 ベネクトリア・ルージュ――①



 並ぶ柱の間からは、刈りそろえる緑の芝生に噴水も見える。

 エルヴァニア城の中庭を望める回廊では、腰まで届く黒い毛先を揺らし一人の女が小股で歩く。


 濡れた水鳥の羽根のようにしっとりとした緑髪りょくはつもさることながら、すらりとした身体をすっぽり包む、黒地に紫模様のやや意匠を凝らす薄手のローブもあり、陽射しを嫌うような白さの肌を除けば、墨染めされたとの表現が良く似合う黒色の彼女であるが――。


――名をベネクトリア・ルージュ。


 錬成術師の肩書きを持ち、魔力炉開発の第一人者としての実績とその才能を敬う者も多い才女の顔を持つ。


 大人の色香を漂わす容貌ようぼうは、女王フィーネよりも幾らばかりか歳を重ねたもの。

 それでも、魔人マトベネクトリアは妙齢の見た目以上の人の月日を知る女性である。

 ただし、同じ魔人である人シャルテやガウのような『祖種オリジス』と呼ばれる血統と比べれば、短い寿命を生きる長寿者であろうか。


 そのような彼女がここエルヴァニアで、半月ほど前から滞在しているのには理由があった。

 才女で名が知れ渡ったがゆえの災難とでも言えるそれは、ラス皇国から身の安全を図るためのものである。 


 ラス皇国としては手中に収めたい人物であろう、錬成術師ベネクトリア。

 彼女の持つ魔力炉設計を始めとした優れた魔導機構の知識があれば、更なる軍備強化が可能になると目論むからだ。

 彼女はその企てから逃れるべく、皇国の手の者から襲われた時に知り合った暁騎士オーガからの勧めでエルヴァニア城に身を寄せていた。


 そして、ラス皇国から狙われている立場であるにもかかわらず、当の本人はここでの生活を悠々自適に過ごしていたようだ。

 日々を魔導機構の開発に費やし、今日もその成果を試す魔導道具を持ち歩く。


「どーお? ミラ。私の声、聞こえてるかしら?」


 ベネクトリアが自分の手元に尋ねる。

 指ぬきの作業グローブをハメたままの両手。

 豊かな胸の辺りで掲げたその手には、金属質のゴテゴテした小瓶のような物体が乗る。


『……ええ、問題なく聞こえているけど』


「ねえ、すごいと思わない。すごいでしょこの魔線マセンちゃん」


 肉声とは違う手元からの音声に、ベネクトリアが感情を高ぶらせ応えた。

 

『……通信機械があれば便利だとは思うわ。でも、この手の魔導機構をエルヴァニア軍が採用しているのを知っている。悪いけど、私はベネアみたいにして驚けないわ』


 淡々とした口調であったが、その声音は落ち着きの向こうに若い女のそれを伝えてくる。


「もう分かってない。これは今までのそれとは全然違うのよ。今までの通信機械は中継機材を必要としたけど、この魔線ちゃんは必要としないの。道具同士で直接通信ができるの。それに出力は小さいけれど魔力炉と同じ回路を組み込んでいるから、魔力供給がなくても半永久的に使える優れものなのよ。それからこの小型化の成功から、いずれブレスレッドのデザインにするつもり。それだと所持が煩わしくないでしょ。それに、いつでも通信ができる機能性ってとても重要じゃない?」


 一息で話すような喋りを止めれば、ベネクトリアは手に持つ『魔線ちゃん』へ耳を傾ける。

 一拍ほど待つも、通信相手からの応答はない。


「ねえ、どーお? ミラはどう思う」


『……ごめなさい。私、機械は得意じゃないから意見できないわ』


「そんなこと言って、どうせ、私の話をちゃんと聞いてなかっただけでしょ。もう。これ、あなた達のために作っているのに」


『……じゃあ、そうね。これがあれば、ベネアの伝達術者メッセンジャーとしての役割が減るわね』


「残念ながら目隠しの画家ね」


『……それ、何?』


「私が夜な夜な考えた、物事はそんな簡単にはいきませんよーっていう意味の言葉。どんなに上手な絵描きでも、目をつむって絵を描くのは難しいでしょ。いいところ突いてると思わない?」


 長い黒髪が覆う、その奥の白い顔は自慢げである。


『……つまりこの通信機械は、イーブン・ガウとの連絡には不向き。これからもベネアの魔術に頼らないといけないってこと。それでいいかしら』


「そういう事。まずこの魔線ちゃんを暁騎士の秘境アスガルムまで届けることが難しいと思うけれど、今はまだある程度の範囲までしか、ミラのいるバルコニーくらいまでが限界かな。だから、アスガルムのような遠い場所なんてもってのほかだし、今のところ私が思念体で直接訪ねる手段しかなさそうね」


『……良かったわね。ベネアの唯一の仕事がなくならなくて』


「ひどーい。それ、ひどーい。ミラは私の扱いがあなたの作る料理並にひどーい」


 子供のような口ぶりで、ベネクトリアが拗ねる。


『……ベネアは、甘やかすとダメになる人でしょ』


 通信機械で会話する二人の関係性は、守られる者と守る者。

 その間柄が反映されているのか、二人の間ではどうにもミラの立場が上のようだ。

 冗談にしても、表情が見えない音声が、かえって母親が叱ったもののように聞かせた。


「それは私を甘やかしてから言ってよ。今まで一度も、ミラは私を甘やかしてくれてないよ?」


『……そんなことはないわ。今もこうして、通信テストに付き合ってあげてるでしょ』


「でへへ、ありがとう。私こう見えて、人に頼み事するのが苦手だから助かっているわ」


 笑顔――と言うには若干、ニタリとした怖さが垣間見れるも、気分を良くしたベネクトリアがるんるんと歩く。


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