第43話 飛行船



 点々と等間隔で並ぶ丸い小窓からは、空からの眺めをのぞける。

 飛行船の客室内は、ニ、三十人程ゆうに乗り込めるスペースがあるものの、それに見合わない程に座席の数々には空席が目立つ。

 現状グックからの避難民がいない以上、飛行船はリアンとシャルテの貸し切り状態で運行することとなっていた。

 そうした客室の中腹辺り……。

 ランチにと手渡された食料が、昼を待たずして早々に中身をカラにして置かれていた。

 その散乱した包みがある座席の壁。

 ガシャンと引き上げられた窓の硝子ガラスからは、本来冷たい風が吹き込むのであるが――その風を塞ぐようにしてリアンの腰が窓枠を埋めていた。

 窓の外へと、リアンが頭から身を乗り出すことでこのような光景が出来上がっている。


「なあっ、シャルテも見てみろよっ。海鳥があんな下を飛んでいる」


 室内へはくぐもった声として伝わるも、口調は心を踊らす気持ちをしっかり伝えてくる。


「よっと」


 掛け声とともに、飛行船の外へと乗り出していた上半身がズボっと小窓から引き抜かれた。

 リアンは景気良く腰から座席へ飛び移ると、目元を覆っていたゴーグルをぐいっと引き下ろし首に掛けた。


「これ。座る前に硝子戸を閉ざさぬか」


「シャルテは外を見ないのか?」


 首元のゴーグルを貸し出す仕草。

 それを受けた対面からは、遠慮というには程遠い、露骨に眉根をしかめる拒否の反応があった。

 一度両足を高く上げ、跳ねるようにしてリアンが立ち上がる。

 丸い小窓の硝子戸がカシャンと引き下げられた。

 リアンはそばの澄まし顔を見つめながらに再び座席へと舞い戻る。


「まだ飛行船に慣れないのか。もう揺れてもいない。魔導機構の術式がわからないだけで……そんなに不安がることもないだろ」


「なんぞ、戯けたことを口にしておるな。しとやかな淑女然として、ワシはお前のようにはしゃがぬだけじゃ」


 座席深くに腰を下ろすシャルテは襟を正すようにしゃんと背筋を伸ばし、膝にちょこんと手を置く。

 行儀よく座る――と言えばそうであるが、離陸してからもう随分と人形のように微動だにしない強張る姿勢そのままでは、リアンが勘ぐるのも当然か。


「ギャングス経由で荷物として密航したほうが楽しめた気がしなくもないな。けど、下は海岸線を越えていた。あと少しの辛抱さ」


「辛抱もしとらん」


 どことなくシャルテに強気な物言いをさせたリアンの気遣いの是非ともかく、飛行船はリアンが先程確認した沿岸の上空を通過し、着実にエルヴァニアの内陸部へと航行していた。

 海辺に付き物の港に際してのこの航路であるが、これはグックと異なるエルヴァニア王国の港事情によるものだ。


――エルヴァニアは二つの港を持つ。


 一つは海上船が停泊する海峡沿いの港。

 そしてもう一つが、この飛行船が停留する内陸の港。

 双方、フローベルの名称が与えられているが、これらは外港と内港と区別され呼ばれているようだ。

 つまりリアン達の行く先は、エルヴァニア領土の中ほどに位置する内港うちみなとのフローベル港となる。


「エルヴァニアは水辺が多い気がするな……」


 小窓の景色にリアンが言葉を溢す。

 豊かな緑も目につくが、眼下のそこには東へと広がる大地を巡る青々とした水の色が映える。


「水の都と呼ぶ者がいるくらいじゃからの」


「その水の都、シャルテは初めてじゃないんだろ? あのエルヴァニアの将軍と知り合いみたいだっだし」


「幾度か足を運び知る、ワシにとって所縁ゆかりある土地じゃな」


「エルヴァニアに、倫果リンカの資質を持つ誰かがいたってことか」


「いいや、ワシがガウと監視者クーシーの盟約を交わす以前になるの。ジルバンズともあやつが頭髪を雪化粧に染める前からの顔見知りじゃ」


 のんびりとした声は記憶を遡るように。それからシャルテは全身の固さの中に一部綻びを見せた。

 浮かぶニヤけがその部分であるが。


「歴代のエルヴァニア王は、ワシから授かった知恵によって何度も救われておってのお。ふむふむ、エルヴァニアの地でお前も少しはワシの偉大さを知るであろうな」


「俺の耳はシャルテの自慢話を聞いた覚えがある。だからそこそこシャルテの偉大さは知っている」


「言うておれ。エルヴァニアには古来より土地を守る一角獣と水辺の妖精の逸話があっての、それになぞらえワシを銀妖精の魔女と讃え敬う者もいたくらいなんじゃぞ」


「シャルテは髪が銀色だからな」


「それも踏まえ、妖精とやらが麗しき乙女らしくての。それがあっての銀妖精じゃろうて」


 ふふんと鼻から息が漏れると、左右で束ねられた銀髪の尾っぽが手で掻き上げられた。

 膨らみに乏しい胸をやや膨らますシャルテを、リアンは間抜けな様子でうかがう。


「……なんじゃ、その呆けた面構えは」


「呆れてはいない。この顔はいつかの自慢話を思い出した顔さ。あの時は、火炎艶美の魔人マトの異名を聞いた気がしたからさ」


「それはまた違う土地での話じゃな」


「つまりまた違う土地に行ったら、シャルテの変な異名が増えるかもって話だな」


 お互いの含みある笑みの応酬が済めば、この後もあれやこれやと他愛のない会話が繰り広げられた。

 それは飛行船がフローベルの港に到着するまで続けられた。







 石造り様式の美しい街並みをうように、きらきらとした水の流れが巡る。

 小舟が行き交う水路のそこに、上空の飛行船は腹を映しながら一路一際大きな水面へと向かった。

 幾つもの水路が繋がる湖。

 その湖面に浮かべるようにして、内港フローベルは港を構える。

 ぐんぐん下降し始めた飛行船は、しっかりと湖面の発着場に着陸した。


 しばらくすれば、フローベルの利用客、港で働く者、兵士を含めた人々の活発な動きの中から姿を現す、首元にゴーグルを掛ける若い男と長物を背負う小柄な女――リアンとシャルテの二人を確認できた。

 それから、シャルテの案内によるものだろう。

 二人は迷いもない様子で、港の周囲で停泊していた一隻の小舟へと乗り込む。

 船頭の男が何やら手早い作業を済ませれば、魔導機構を動力に小舟は軽快に水面を走り出す。

 リアンとシャルテの清々しい表情を見るに、小舟は爽やかな風を生みながら水路を進むようだ。


 そうした中、流れる景色に興味が尽きないリアンが、次第にあちらこちら右へ左へと狭い船内を飛び回るようになる。


「これ。少しは大人しくせぬか。無駄に渡り舟を揺らしてどうする」


 シャルテの小言はリアンに肩を竦ませた後、隣へと腰を下ろせた。


「せっかくなんだ。いろいろ見ておきたかったんだ」


「観光目的で来ている訳ではないのじゃぞ」


「けど、目的があって来ているわけでもないだろ」

 

「本来の意義が失われただけじゃ。暁騎士の名を持つかにかかわらず、エルヴァニアへ力を貸す目的は変わらぬ」


調律者イーブンガウがそう言ったのか」


「あやつはいつだってはぐらかすことしかせぬ。がしかし。この地をお前の新たな見定めの場とするつもりなんじゃろ。でなければ、烙印騎士のお前を戦いの火種がくすぶるここなんぞに送るはずもなかろう」


「ここで……エルヴァニアで、俺は何をすればいい」


「さあな、知らん。その答えを導き出すことも、あやつの課すものなんじゃろうて」


 素っ気ないシャルテの言い分を、リアンは自分の右手の甲を眺めながらに聞いていた。

 それから手をきゅっと握り締め、一つ深い息を吸う。


「次があるのなら、ここへ来た甲斐もあった。今はそれでいいさ」 


 リアンは隣のシャルテに明るく言った。

 それは、暁騎士を目指すも辿り着けない烙印騎士オーガヴァルの境遇を、誰よりも受け入れていた素直さの表れだったのかも知れない。


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