第20話 対峙――①



 ほとばしるような暁色の閃き。

 霞もろとも穿つ閃光は、上空の白い蝶までを飲み干し更に高き空へと達した。


 俯瞰ふかんで見れば、『霧』の天井にあたるドーム状の部分にぽっかりとした穴が空く。

 くり貫いたようにして、忽然こつぜんと現れた円柱状の空間。

 外縁に巻き上がる気流を残し、『霧』の粒子を一切取り払うその明瞭な地上部では、拳を突き上げた男が立つ。


 唸る風の騒がしさに、はためく外套マント

 一般の兵とは比べ物にならない権威を示す豪奢な鎧に、鎖帷子の籠手ガントレットも特徴的であろうか。

 装備品に劣ることのない立派な体躯が、重圧を従えゆらりと動く。


「『アカツキ』の放出はそれなりにしんどくてよ。少々ご立腹な俺様だが、鉄箱で退屈に耐えた我慢強い俺様の甲斐性には、頭が下がる思いだぜ」


 顔の前で、何度か握ったり開いたりを繰り返す拳。武具を纏うだけの右手ではあるが、一度はアカツキに染め光り輝いた拳。

 皇国将軍ゾルグは、それを見せつけるかのようだった。


 そして、ゾルグを中心とした『霧』の空洞化は、リアンやダリーを包み込んでいた霞もすでに拭い去っていた。

 したがってゾルグの軽口とも取れる言動は、霞む背景を後ろに身構えた二人――もしくは、その爛々らんらんとした眼光が照らす先を察すると、青年リアンへ向け叩いたものである。


「ここは俺が惹きつけておく。あんたはさっさと行ってくれ」


「おいっ、おかしな事を言うな、お前もとっとと逃げるんだよっ。さっきのとんでもねえのを見てなかったのか。ゾルグ、あの野郎のイカレ具合は相当だ……。ここは、引くしかねえんだよ」


 ダリーが後ずさる。


「俺が逃げるためさ。ダリー。今のあんたじゃ足手まといだ」


 前方から目を逸らさずリアンは言う。

 その横っ面に、嫌味ったらしく打たれた舌打ち。

 図星をつかれたダリーのそれは、身体中傷だらけで満足に動けない自覚と情けなさからだろう。


「……文句の一つでも言いてえ。リアン、あとで必ず俺のところへ顔出せよ」


 皇国将軍へのひと睨みがあれば、ひるがえり駆けたダリーの姿は、今はまだ残る『霧』の中へと覆い隠されていった。

 遠ざかる足音を後ろに、リアンがすう、と息を吸い込む。


「それで、あんた誰……俺に何か用でもあるのか。ちなみに、俺のほうはないな」


「この街で俺様を知らねーとは罪な奴だ。だが、俺様の街で皇国に逆らい調子に乗っている二人組の片割れと、地味な特徴が一致していたことは褒めてやろう」


 互いが互いに、ふてぶてしい態度で距離を置き間合いを図るようだった。

 ただし、ゾルグのそれは相手を探る為であり、リアンのそれはダリーの逃亡時間を稼ぐ為だと推察できる違いがあった。


「あんたと違って、地味なヤツなんていっぱいいるだろ。それに悪いが、この革の上着ジャケットはお気に入りなんだ」


「確かに、俺様のような特別な人間はそうはいない。そして、しつけされたこの街の人間に、囚人を逃がすような大それた事を仕出かす馬鹿な野郎もそうはいない」


「彼は囚人じゃない」


 リアンの言葉が、ゾルグの失笑を誘う。


「なかなかに笑えるぜ。それを決めるのが皇国将軍たる俺様だ」


「皇国の将軍ってのは、えらく傲慢だな」


「違うぜ。謙虚な俺様だからこそ皇国で指揮官を任されている。ま、そんな粗末な事よりもだ。えて話を逸らしたいんだろうが――」


 ゾルグが辺りを見回す。

 周囲は気流に揉まれ、濃度を下げつつある霧状の白い壁。

 蝶を失った影響か、その展開されていた『霧』の厚みも徐々に狭まっているようだ。

 陽が射す上空までの高さも上部からちりじりになって低くなってゆく。

 ゾルグの目は、それらをゆっくりとした動きに鋭さと注意深さを加え追っていた。


「でよお、地味な服の男。刀剣の女はどこだ」


「……誰のことだ。いや、なんのことだ」


 リアンが一歩退る。

 互いの距離は相変わらず――。

 すなわち、諸手に仄かな輝きを帯び始めたゾルグが一歩前へと踏み込んでいた。


「俺様の目的は、刀剣の女でお前じゃあねー。だから、お前を殺して様子をうかがう。もしかすると、お前を助けにどっかに隠れている刀剣の女が姿を現すかも知れねえだろ。さすがの俺様――だが」


 次の歩みを控えるゾルグから、射殺すような視線が放たれた。


「さっきからお前は、俺様から逃げることばかりを考えているよな、ええ? そうだろ」


「……あんたに断る必要があるのか」


 じり、と擦るようにして更に足を運ぶリアン。


「いいや、賢くもある俺様からの忠告を言いたくてな。妙な霧もあと少しで完全に晴れる。そうしたのは俺様のアカツキだが、そうなる前に霧の中へ飛び込むのが、馬鹿なお前なりの賢さだろう」


「見え見えの時間稼ぎに付き合うほど、俺は馬鹿でもお人好しでもない」


「そうかいそうかい。じゃあ仕方がねー、時に狡猾で、大いに面倒が嫌いな俺様は間違いなく、お前が消えた霧へアカツキを放つわけだが。さっきのを見ただろう。そう、あれだぜ」


 ゾルグはケタケタと挑発的な笑いを付け加えた。

 そして、リアンに明らかな動揺があった。

 歪む眉根に噛みしめる唇。


 『霧』を消し飛ばしたゾルグのアカツキ。

 その現象だけを捉えるならば、ゾルグの”忠告”とは、リアンからその身を隠す霞を奪うただそれだけのことである。

 しかし、はたしてリアンは、そのような危惧で苦悶の表情を浮かべているのだろうか。

 きっと彼も知るのだろう。

 アカツキの閃光が『霧』を消滅させたのと同じく、人の命も消し去ることを。


「俺様の記憶だと、この処刑場の周りで民衆が大分騒ぎ立てていた気がするぜ。俺様のアカツキは何も、霧を払うだけじゃねー。刀剣の女と一緒だったんだろ。なら当然、お前もオーガのアカツキを知るだろ、ええ?」


 気づけば、ずっとゾルグから目を離さずにいたリアンの眼差しがなくなっていた。

 意気揚々としていた顔が見る影もなくうつむいていた。


「どうした、逃げねえのか。早くしねーと霧が完全に無くなっちまうぞ」


 問い詰めるゾルグに対し、反応は遅く、またそれはジャケットの首から上だけであった。

 再び起き上がり、相手へと向き合った黒髪の頭。


「逃げるさ。あんたを倒した後でっ」


 リアンが大地を蹴る。

 俊足は二人を分かつ間合いの壁を、いとも容易く越えた。

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