第19話 霧の中で
陽が落ちるまで、このムチは打ち続けられるであろう――。
先刻、処罰の場と化す広場に響いた宣告。
皇国兵が掲げた期限まで、猶予はまだ大分残されている。
だがそこに、希望を抱く者がいかほどいようか。
勢い良く放たれた革紐がダリーを苦しめる。
凄惨な仕打ちは、周りの群衆に異様な静けさを与えていた。
その上空にて。
――ひらひらと舞う作り物の蝶がある。
まるで生きているかのような動きを見せる羽根からは、きらきらと光る鱗粉が降り注ぐ。
いいや、正しくは鱗粉と似て非なる魔導の技であろう。
「……なんだ。何かおかしな雰囲気だぞ!?」
その疑念が晴れる間もなく、
「きり……霧なのか!?」
まさしく、あちらこちらで多くの者が口にする状況である。
広場が『霧』に覆われようとしていた。
突如として起きた不自然な自然現象に、皇国側、民衆側ともに動揺が見られた。
けれども、大気中で浮遊する水蒸気のような粒子が、景色を白く塗り重ねてゆくのを見守ることしかできないでいる。
囚われのダリーを中心として、取り囲むバリケードまで迫る『霧』の不透明さは、今はまだそれ程のものでもないように思える。
しかしその奥は、陽の光を遮る程の白さを漂わせていた。
そこでは、影として映るリアンが壇上の皇国兵を一蹴し、浮かぶ台座へと取り付く。
「ダリー、あと少しの辛抱だ」
リアンは柱の頂点から器用にぶら下がり、ダリーを拘束する手枷をガチャリガチャリと
そこへ突き合わせ上向く顔は、痛々しくもニタリと微笑んでいた。
「皮肉なもんだな……どっかで見た
「やっぱり丈夫なおっさんだな。お世辞にも良い顔とは言えないけど、元気そうで何よりだ。だから、このままじっとして動かないでくれ。逆さだし、針金の解錠は結構コツがいるんだからさ」
「どういう風の吹き回しか知らねえが……お前はつくづくツイてない野郎だな。いいや……今回は、俺もツイてないんだろうな」
「ここから逃げられるんだ。あんたはツイているさ」
リアンがそう告げたのとほぼ同時であった。
もわもわ漂う霞の中を怒号が突き抜けていた。
「警急! 警急だ! 囚人の男に、誰か取り付いているぞっ」
かしゃん、かしゃんと魔導銃が構えられてゆく気配。
視界不良と言えどリアンやダリーに程近い皇国兵達ならば、虚ろだろうと影や形は認知できる。
「おい、リアンっ。狙われているぞ」
「もうちょっと待ってくれ。あと少し」
的を絞れないと踏んでか、ダリーの忠告より自分の手先の仕事を優先させたリアン。
その結末は、闇雲だろうと複数の魔導銃による射撃の的となる。
ビユンビユン――。
白いモヤの空間に魔力弾特有の放射音が鳴り、青い光線が走る。
そして、弾けるようにパン、と霧散した。
つまりそれは、魔力弾がリアン達の前で無力化されたことになる。
「さすがのシャルテだ。ただの目くらましの霧ってわけじゃないんだな」
カチャリ、と心地よい金属の解錠音とともに、手柄顔が手首を擦るダリーへと向けられる。
「えらく大袈裟な手段だとは思っていたが……どうなっている」
「さあ、俺にも理屈は分からない。たぶん自称大魔術師が、気の利く大魔術師だったって話さ。よっと」
柱から浮かぶ台座へ身を置き換えたリアンは、更にその下へと飛び降りる。
ダリーも重たい身体を投げ出し続く。
そうして軽やかな着地と鈍い着地の後には、『霧』の中では魔導銃の効果がないと判断した様子の皇国兵ら。
間髪を入れずに襲い掛かられたリアンとダリーであったが、リアンの華麗な体捌きが難なく障害を排除する。
霞に溶けるようにして、兵士らは地面へ伏せた。
「走るくらいは問題ないだろ? さあ、行こう」
「言われるまでもなく、そのつもりだが……リアン、気をつけろよ。俺は餌だったんだろうからよお」
「餌?」
「本格的に『革命の民』を狩りたいのか。俺は鉄馬車に……胸クソが悪くなる奴が乗り込んでいるのを見た」
チッ、と舌打ちするダリー。
それが思考する相手に答えを導かせたようで、不快そうなダリーに不味い表情と変えたリアンの応答があった。
「ああ。皇国将軍、ゾルグのクソ野郎さ。まったく、俺もお前もツイてねえ」
周囲には身を潜めるのにうってつけな濃い霧が漂う。
もうすでに広場全体を覆うその中を駆け抜けさえすれば、リアンとダリーの逃亡は比較的容易だと思われる。
ただ、ダリーの口にした名が思わせてしまう。
皇国指揮官ゾルグの残虐性。
そして、アカツキをも使う脅威……。
霧は本来よりもどことなくひんやりとし、纏わりつく。
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