第12話 宿へ。そして学び ――①
夕暮れに染まろうとしている空の下に見るは、市場通りと呼ばれる港街グックの表通りの一つ。
綺麗な石畳みを敷き詰める通りの幅は広く、両脇には
そのほとんどが商いを行う店屋で、以前は並ぶ売り物を求めて客達がひしめき合う活気ある場所であった。
今では軒先までテントを張り売り場を広げる店も少なく、人がまばらに歩きちらほらと売り買いがなされるばかりである。
そのような市場通りの真ん中を、ぱかりぱかり蹄を鳴らし馬車が縦断する。
人が歩くよりも早く走るよりも遅い速度で引かれてゆく、車輪を必要としない荷車。
二頭の馬の手綱を握る
石材と思われる板状の台座には数本の柱が立ち、そこに設けてある取っ手は乗り込む者が体を支えるために使われる。
日に一度、魔力炉からの魔力供給が不可欠だが誰もが利用できるこの馬車は、常に複数台が街中を巡回しており街で暮らす人々の主な移動手段であった。
――その馬車の浮かぶ荷車に、四方へ目を配る二人組を見ることができる。
すらりとした体つきでジャケットを着こなす男と、背中に長物を背負う小柄な女。地下倉庫から姿を消したリアンとシャルテだ。
程なくして柱の取っ手から手が離されれば、二人はすたっと飛び、ひょいと飛ぶ。
リアンのほうは石畳へ降り立つなり近くの店屋へ駆け込む。
シャルテが腕を組み待つことしばし、魚達を縄で吊す品物を両手に下げてリアンが戻って来た。
「リアン。魚は日持ちが悪いぞ」
「どうせ一晩で平らげるだろ。それにこの辺りは魚屋通りみたいだから、どこで聞いても魚しか手に入らない」
「して、
「さすがに海の街だけあって、活きがいい」
「それは良かったの。本題の”
「この通りから二つ、裏の筋に向かったところにあるトゥって名の宿を店主は教えてくれた」
魚達の束を吊るす手が東を指差させば、二人はその方角へと夕闇に追い立てられるようにして移動した。
皇国兵、そしてカルデオらが中心となる革命の民との遭遇を避けたいゆえの行動だろう。
大陸には『
国家の法や社会の習いを守らない無法者。俗にいう裏社会に携わり一筋縄ではいかない者達を指し、主軸にする仕事は違えど組織的に暗躍するその生業は、武器の売買、人身売買、賭博、盗み、密輸、用心棒、不当な権益、金銭の強要などに及ぶ。
そのうえで彼らは必ずと言っていい程、宿を経営している。
縄張りを示す意味もある古くからの稼ぎ口。
もちろん、ギャングスとは無縁の”通常の宿”は沢山見かけることができる。
しかしながら、
そして本日、ギャングスの宿トゥの新たな客として、リアンとシャルテが加わることになった。
煙草の煙をぷかり漂わせる店主の手元、背が高いカウンターの上にざらりと置かれた数枚の硬貨。
まっとうな宿の倍を超える料金のそれを一枚二枚と丁寧に数える店主は、幾らかを懐へ隠し残りを台に備え付ける金庫へと仕舞う。
「お客さん。魚を焼く時は調理場で頼んますぜ。匂いがひでえもんでお願いしやす」
「あとで御裾分けするよ」
「そりゃ、どうも」
帳簿がないトゥの宿。
何者も宿泊していない。それが店と客との暗黙の了解であるからして料金の前払いさえ済ましてしまえば、後は勝手に客が部屋を使う。
愛想に乏しい店主の横の石段を、リアンとシャルテはさくさく、てとてと上り上階へ向かった。
扉が開いていた淡黄色の部屋は、こぢんまりとした装い。
横に長いソファは寝床も兼ねて置かれているのだろう。
出入り口を閉めたシャルテの先では、石壁にくり
窓の外枠にはぐるぐるっと巻かれた縄
「まさかエルヴァニアに目と鼻の先のここにきて、
背負う長物が年季の入ったソファへ立て掛けられると、そこへぽむっと質素な尻が乗った。
「そもそも、追われる立場になること自体がそうであるがの」
「とりあえずは皇国兵からも、たぶん諦めてくれてるはずだろうけれど、革命の民からもここに居れば見つかることはないだろ。商売柄、彼らは信用を失うことを一番嫌う。ここに居ないはずの俺達のことが外に漏れることはない」
よっ、と大雑把に腰掛けられたソファ。シャルテの隣の張り地が沈む。
「それに、土地勘もないグックを夜中も彷徨うようわけにもいかなかっただろ。正しい判断さ」
「うむ。できれば飛行船乗り場がある南の方が都合が良かったが、この点はさほど重要でないな。どうやら交易船が週に一度らしいからの、焦ってもどうにもならんゆえ……」
彼らの目的である飛行船の発着場は街の南東にある。
トゥの宿はそこから幾分北上した街の北東に位置した。
そして。
ここに至るまでの間、彼らが把握できたものに飛行船の運用状況がある。
皇国の介入以前は、エルヴァニア本土のフローベル港と日に三度の行き来があった飛行船も、現在はシャルテの言葉通り週に一度の発着があるのみで、新たな規制はそこに一般に該当する人間の乗船を拒むものであった。
「もしこのままエルヴァニアに向かうつもりなら、俺達が取れる穏やかな手段だと密航になる。なら、またギャングスの世話になるかもしれないな」
「ふむう、それも頭が痛いのお。そうなればどれだけの金銭を要求されるか。そればかりかギャングスに借りを作ることになってしまうのは、正直ワシの立場からすると好ましくない」
「
「そのように大仰なものでもないが、不埒な輩の助力を得るなど『
鼻頭へシワを集めたシャルテは、次いでその唇を尖らせ、バンバンとソファの座面を叩く。
「この宿はなんじゃ。これで宿を名乗るつもりか。石膏が随分と黄ばむ殺風景このうえない部屋に、この硬く貧相な長椅子。このような場所で数日を送らねばならぬとはっ、大魔術師のワシの品位が大暴落も良いところじゃ」
シャルテが
大きな嘆息とともに、銀の頭が
その仕草に、表情をきりりと引き締め眼光をきらりと光らせたリアンが向き合う。
「シャルテ。教えにはこうある。贅沢こそが品位を下げるものである、と」
「……言わんとすることは分かるが」
起こす麗しげな顔は訝しげでもあり、
「はて、
「ないだろうな。だって、俺が今考えた教えだ」
潮風が吹き込む石造りの一室。
肩をすくめる態度と笑顔に、半開きの目がじとーと睨む。
友人でありつつ、家族にも似た親しさを感じ取れるリアンとシャルテの間柄。
二人が紡ぐ他愛もない時間は、時に互いの白い歯を見せ合いこの後も続く。
ゆったりと流れたそれは、ひと時の休息のように。
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