第13話 宿へ。そして学び ――②



 夜のとばりが下りる頃、明かりをこぼす高い場所の窓が一つある。

 トゥの宿の上階となるその一室は、魔術で生み出された白球の灯火で満ちる。

 光源の真下には、地べたに置く大きな皿と革袋の水筒がありそれを囲むリアンとシャルテ。手には串を持ち、刺さる丸焼きの魚を食す。

 そうして、焼き魚がぱくりぱくり、ちろりちろりとかじられてゆく二人の話し合いは、先刻から昼間の革命の民の話題へと移っていた。

 

「しつこいの。ニイオらとは関わらぬ方向で行動すると決めたではないか」


「そうじゃない。ちょっと引っ掛かっていることを整理したいから、その話し相手になってくれってだけだ」


 リアンの申し出に、対面の相手は魚の小骨を喉に引っ掛けないように努力するだけである。

 ちまちまとむしられてゆく魚。


「グックが皇国に占領されているっていうのに、なんでエルヴァニアは軍を派遣しないんだよ。ここはエルヴァニアの領土だろ?」


「独り言にしては、随分と大きな声であるな」


「大声だけじゃなくて、腹も膨れた今の俺は明け方まで独り言を話しててもいい気分だが?」


「根比べする気も失せるほどに迷惑な奴じゃのお……学びの一環として相手をしてやらんでもない」


 シャルテは水筒へ口をつけ、中の水をぐびぐびと喉へ流す。


「して、リアンよ。お前はどう思うておるのじゃ」


「エルヴァニアとしては、軍隊をよこしたいがそうできない事情があるんだと思う。けど、その理由に思い当たるものがないからシャルテに聞いている」


「うむうむ」


「どうしてだ? どの理由からエルヴァニアは未だに軍隊を派遣しない」


「理由は……分からぬな。なんじゃ、そのげんなりした顔は」


 指摘された面持ちで、リアンは水筒の栓をひねる。

 ごくごくと飲まれる水。


「まあ、聞けリアンよ。分からぬが、分かることもある。確かなのは、ラス皇国はエルヴァニアとの戦争を望んでおる。そうでもなければ、軍事救済などとの詭弁は吐けんであろうよ」


「他国に介入した完全な挑発行為だからな。じゃあ、エルヴァニアはその挑発に乘らないために手をこまねいていると」


「その面から言えば、挑発に乗りたくても乗れないとも考えられるかの。国家同士の争いというものは個人の争いとは違う。多くの兵士の力と多くの財力、そして民あってこその国家ゆえ、そこには一方を向く民意が必要じゃ。ワシらがエルヴァニアへ向かうのもその準備のためであることは、お前も承知しているであろう」


「違う面は?」


「少しは自分の脳を働かせよ。そう言えば魚の目の玉が知恵に良いらしいぞ」


「あー、せっかくだけど、もう胃袋がいっぱいだ。今度にしておくよ」


 大きな皿には、背骨だけを残し頭と尾を繋ぐやせ細る魚が横たわる。

 つんつんと串先で突かれるその皿がひょいと脇へとずらされた。


「グックの住民が人質と考えたらどうじゃ。魔導銃を手に街を彷徨うろつく皇国軍人。代わりにグックの兵士達の姿はさっぱりじゃ。もはや街の実質的支配力は皇国側にあるとみて良い。それを踏まえ、もし皇国が蛮行に及ぶものなら」


「グックの人達の命が奪われる。そうなれば助ける意味がないどころか、その引き金をエルヴァニアが引いたってことになる」


「グックの自治政府としても住民の命が皇国の手の内にある間は、エルヴァニアに下手な助けを求められんじゃろうし、エルヴァニアからしてみれば自治権を与えるグックからの要請もなく軍隊を向かわせたなら、体面上、それは侵略行為ともとられてしまう」


「自分のところの領土なのにか?」


「そうじゃの……この部屋をお前が借りた部屋として、ワシが着替えをしておる時にお前がそこの扉を開けて入ってきたとする」


「……俺がこの部屋にやってくるとシャルテが着替え中だった」


 釈然しゃくぜんとしないといった様子のままに、リアンは自分の言葉へと噛み砕き復唱する。


「当然、ワシの餅肌をのぞき見た罪は重く、ワシはお前を断罪するがそれはおかしなことかの」


「おかしなことだろ――と、他意がない俺は声を大きくして言うが、シャルテの気持ちは分かるし、その場合世間じゃ悪いのは男の俺のほうだってのも心得てる」


「ふむふむ。つまりはそういう事であるな」


「あー、分かったような分からないような」


「ともかく、エルヴァニア本位でのグックへの干渉は世間では良しとされぬ可能性が高かろうという話じゃ。特に独立問題を抱えておる妙な時期にその行動は、いろいろと後を引くであろうな」


「政治的なものか」


「国とはややこしくできているもの。為政者は武力のみに任せて戦争はできぬということじゃ。それは皇国も一緒であろうし、たとえ暁騎士オーガの一騎当千の力を以ってしてもそれは変わらぬよ」


 リアンは数瞬だけ、何かにふけるようだった。


「シャルテ、それは俺の……いいや、ダリーの話にあった皇国指揮官のゾルグのことか」


「どちらとでも受け取るが良い。ただ、ソルグとかいう者の偽りは、確かめねばならぬかのお」


「シャルテが監視者クーシーだからだよな」


「そうじゃ。面倒であるが、盟約に従い暁騎士に知らせねばいかん。しかしながら、積極的に関わるべきことではないと判断しておる」


「どうして!? ニイオ達から逃げてきたのもゾルグを調べる時間が必要だったからだろ」


 リアンが膝をつきながらに、シャルテへ迫る。


「それがあるからじゃ。お前の考えは丸分かりじゃぞ。ゾルグの内偵に乗じて革命の民と関わる腹づもりであろう」


「ゾルグを倒せば、結果的にニイオ達にとって都合がいいってだけの話さ」


「偽り者への対処は、暁騎士が行う習わし。未だ試練を課せられておるお前にその資格はない」


 リアンの額へ細い指先が触れる。

 シャルテの落ち着けとばかりにぐぐっと押す指は、そのままリアンの浮く腰を床へと降ろさせた。


「ま、そう悲観するな。お前が言うようにゾルグの対処は革命の民にとって吉報になるじゃろ。間接的にもワシらの行動が彼らの助けとなるのじゃ。ならば早々にそうなるよう尽力するばかりであろうよ」


 どことなく肩を落とすリアンを見やったシャルテは、後ろの長椅子に横になり目をつむる。

 仰向けで腹を擦る所作は眠りにつくためのものなのだろう。

 交替で過ごす夜は、まずはシャルテから始まるようだ。


明日あすは飛行船乗り場と、政府機関がある元グック王宮辺りも回る予定じゃ」


 言葉とともに部屋の明かりが弱々しくなった。

 天井付近で浮かぶ白球が仄かな緋色の球へと変わっていた。

 その暖色の明かりの中、リアンは窓辺へ腰を下ろす。

 顔の高さにある窓。

 しばらくして、外を眺めるようであった月明かりに濡れるリアンの顔が動く。


「シャルテ……もし、仮にゾルグと出くわした時はどうする?」


 その問いは夜の静けさに中に埋もれた。

 それでもリアンは返答を待つようだ。


「それを教えに基づき、お前がどう考えどう行動に移すか。……ワシの監視者クーシーとしての役目は暁騎士オーガに伝えることで、それを導くことは叶わぬ」


 これを機にグックでの最初の夜は、ただただ静かな時間を刻みけていった。


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