第9話 古き伝承と新しき噂



 世界のことわりの力の一つに『倫果リンカ』がある。

 力の原初を同じくする魔力と比較するならば、特異な現象を引き起こす力などではなく、純然たる理の力と言うべきであろうか。

 また、物質に宿す形態でのみ具現化できる点も異なる。


 人が倫果のすべてを知ることは叶わない。

 しかしながら万物に通ずる力、そうも言い換えられる倫果は、その力を高めることであらゆる存在に対してその道理を凌駕する。


 倫果の力をもってすれば、どんなに硬い岩盤だろうとどんなに強靭な鋼だろうと、それを超える強固さで破壊することも容易いだろう。

 更には、本質を極めし者なれば、流れ落ちる滝でさえもその存在を断ち切ることで水流を分かつ。


 そしてこれらに至る力を発揮する時、強く高めた倫果は人の目にも映る”色”を纏う。

 それはまるで、夜空の深い紺色が白む明け方の空を見るような暁の色であり、倫果を纏うの者達を暁の騎士と言わしめん由縁であった。


 その暁の騎士――、すなわちオーガと呼ばれる者達が、いつ頃からこの世界とともに在ったのかは定かでない。

 ただ確かなのは、世界を正しき道へ誘う導き手として人々の間で長く語り継がれた存在であった。

 またその在りようは、森羅万象を神の御業とする概念が乏しい大陸にあって、人の身でありながらも人々に敬畏の念を抱かせた。


――何ものにも屈せず何ものにも迷わず、世界の調律のためその身を捧げる善心。


 それは誰もが望むも、誰もの遠くに在る境地である。

 ゆえに人々は、唯一その境地へ立つ者暁騎士オーガに自分達の世界の正しさを託したのだろう。


 だが、それも今は昔のことのように思える。

 大陸の歴史にとって緩やかなものであろうと、人の世は絶え間なく移りゆく。

 流れた長い年月は人々の心にあった暁騎士の存在を虚ろにした。

 そこに明確な発端などはない。

 そして、元々僅かながらにしかいない暁騎士の名を持つ者は、教えに基づき世俗との関わりを好まない傾向にあった。

 ならば、歴史の表舞台から遠のく時代が続いた現代では、みなから伝承や逸話の存在として語られることになったのも頷けるだろうか。


 ゆえに、だからこそなのだろう。

 童話にある飛竜にさらわれた姫を助けた英雄へ憧れの如く、少年ニイオは暁騎士オーガを語る。

 少年の夢は暁騎士としての未来。

 きっと、ニイオが耳にしていた古き逸話は、心を躍らせ夢中になった英雄のお伽話と遜色ないものだったはずだ。

 そこから溢れ出る熱が、地下倉庫の室温を上げるようなそれであるのだから。


「オーガは誰よりも強くて一番えらいんだ! 僕がオーガになったら、悪いやつを全部やっつけてお父さんにほめてもらんだ」


 幼き少年から未来の抱負を告げられれば、リアンとシャルテは、へえ、と、ほうほう、の相槌。

 上機嫌のニイオ。その背後ではダリーの大きな体がゆらりと動いていた。


「お前ら、いい加減物好きだな。ジムんところのナムくらいなもんだぜ、根気よくニイオの戯言の相手をしてやる奴も」


「ワシは好んで子供の相手をしようとは思わんが、特に戯れ言という話でもない。人が何かを目標に生きてゆく姿は至極当然であろう」


 ダリーの水を差す放言に言うまでもなくニイオの頬がムスっと膨れたのだが、シャルテの言い分はそれをすぐにしぼめさせた。


「ま、別に目標うんぬんはなんとも思っちゃいねえ。俺だってわけえ頃は、暁騎士オーガの一人で千の大軍と渡り合ったつう逸話に感化されて兵隊に志願したもんだしな」


「では、何が気に食わぬのじゃ?」


「気に食わねえ……てわけじゃねえよ。ただ、いもしねえ英雄なんかの話を聞かされていると気が滅入るつうかよお……」


「オーガはいるもんっ。お父さんのおじいちゃんが王様のためにオーガと一緒に戦ったって、お父さんが言ってたもん!」


 ねじ込むように、ムキになって上げられた小さな怒声。

 一瞥したダリーはなだめようとしたのか、それとも黙らせようとしたのか。

 ニイオの頭の上にゴツゴツとした手が無造作に乗ると、無精髭のくたびれた顔がシャルテ並びにリアンへと向けられた。


「こいつの父親、カルデオはグック貴族の血統だからな。先祖が王の為に戦ったことは在り得るだろうが、そこに暁騎士がいたかどうかは眉唾もんだ」


「えらく暁騎士に対して否定的じゃの。子供の夢物語にくらい好きに活躍させてやっても良かろうに」


「ああそうさ。嬢ちゃんの言うように暁騎士オーガなんてもんは伝説の中にいる分にゃ構いやしねえ。けどよ、実際にいてもらっちゃ困るんだよ」


「なんか、引っ掛かる物言いだな」


 リアンの興味に、ダリーは眉間を深くする。

 次に深い呼吸と一拍の黙り。

 その間に、ニイオの頭に乗せていた手が小さな両手で重たそうに押し退けられる。それを経て巨躯が屈む。


「俺達の街を我が物顔で闊歩かっぽしやがる皇国兵どもだがよ。その指揮官にゾルグって野郎がいんだが、そいつが暁騎士オーガかもしんねえって噂が広まりつつあんだよ」


「あんなやつオーガじゃないやいっ。カタナも持ってないし、嘘っぱちのオーガだ!」


「俺もそうだとは思っちゃいねえよ。だからよ、少し静かにしてろっ」


 ダリーの苛立つような声に、ニイオがリアンとシャルテの間に埋まる。どうやらそこが非難場所らしい。


「ちっ。お前は革命の民だろうが。なんでそっちのよそもんにくっつくんだよ」


「いー、だ」


 歯を食いしばるニイオ。

 隣からは、ぐいとダリーへ擦り寄るリアン。


「あー、それでその、ゾルグだっけ。そいつ皇国なんだろ。暁騎士オーガは正しさの称号だ。なんでそいつが暁騎士ってことになってるんだ」


「周りが兄ちゃんみたいな考えだけなら、あとそこのニイオみてえにカタナじゃねえからの石頭なら、その理屈で十分なんだがよ。……聞いた話、いや見た連中の話だと、ゾルグの野郎は赤い光を宿らせた両手の拳で、厚い石壁をえぐり取った。それは消滅しかたのようにだとよ」


「なるほどの。それでその赤く光る拳こそがアカツキではなかろうか。そうみなは思うたのじゃな」

 

 発色するまでに高められた倫果を『アカツキ』と称する。

 その言葉を用いたシャルテに返ってきたものは、不貞腐れたようにして吐かれた大男の「端から暁騎士なんてもんはいねえけどよ」――。


「ただ、ゾルグがやってのけたことに、暁騎士特有のアカツキの力くらいしか思い当たらねえってのは誰もが知るところだ。なんたってオーガ様の逸話を知らねえ人間なんて、生まれたての赤子くらいしかいねえからな」


 暁騎士オーガに出会ったことがないダリーには皮肉なものだろう。

 その存在を否定したくもアカツキを肯定してしまえば、そこにオーガを見てしまう。

 そしてそれは、彼だけでなく他の者の多くがそうであろう。

 長きに渡り脈々と語り継がれる物語にオーガは存在し、その形作るものを人々の中へ根付かせている。


――その伝承にて、オーガは携える武具にアカツキを宿し纏いて戦う。


 ほとんどの者がカタナと呼ぶ刀剣を暁色に輝かせたとされるが、アカツキの本質は武器や武具を選ばず、またそれらの強化やその性質を特化させる類のものではない。

 アカツキとは、倫果そのものが有する万物へ対しての干渉力にある。

 その力が残すものは、主に消滅の事象として顕現する。

 アカツキのカタナに斬れないものはないとされ、言い伝えには天空の雷でさえも斬り伏せたとある。


「ま、本題はゾルグの暁の拳がアカツキなのかじゃなくてよ、嬢ちゃんみてえにこの話から暁騎士が頭ん中を過るかどうかだ。よそもんはまた違った反応をしてくれんじゃねえかと思ったが、やっぱ俺達と似たようなもんだったな」


 舌打ちを一つ残し、ダリーは頭を抱える様子でのしのし石材のテーブルへと戻ってゆく。


 『革命の民』にとって、ゾルグを暁騎士と疑うそれ自体の流布が好ましくない。

 恐らくそれを懸念しているはずのダリー。

 相手にする敵の中に、暁騎士の名がちらついては士気に関わってくるものとの想像がつく。


「さてさて、思わぬことを聞いてしまったの……。リアン」


「なんだ」


「確認しておくが、エルヴァニアへの飛行船が第一じゃ。しかし少しばかり確かめたいことも起きているようじゃて」


「……ああ。つまりここでのんびりもしてられないってことだな」


「であるな」


 行き交う会話は、間に挟まるニイオの首を左右へ振らせる。


「ここは一つ、ワシが一肌脱ぐとしようかの」


 目が合うニイオへ、そうこぼすシャルテはどことなく意地悪な笑みを浮かべていた。



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