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第4話 逃走の果て――②」への応援コメント


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    偏に→ルビを
    御用となる→御用となった
    国家として踏み切れない→国家へは踏み切れない または 国家として踏み出せない

    追記
    これも完全に僕個人の感覚なのですが、
    踏み切るは何に対して、踏み出すは誰としてというイメージがあります。toとasの違いといった感じです。踏み切るは変化しようとしていて、踏み出すはもう変化したんだけどまだ動けない、みたいな。なので、もう国家としての体制は整っているのだけれどまだ名乗れないというのならば、国家として踏み出せないかなあと思います。国家として踏み切れないだと、何に?と思ってしまいます。戦争にとか。

    作者からの返信

    >>藤浪保さんへ

    ありがとうございます。

    ・ルビ了解っす。
     入れたい箇所で、落としているところばかりですから助かっています。

    ・国家として踏み切れないのお話について

     2つのご指摘から、国家の定義を作中で言及していないからだろうな~と、お気遣いに感謝です。
     特に、はっきりと書き表すつもりはないのですけれども、作者としてはグックが国家としての体裁を整えていると読み取られる方が都合がいいですね。
     それを前提に、
    >国家へは踏み切れない→建国へ踏み切れない、がおそらく日本語としてスマートでしょうね。それで、上記の理由から意味が変わるので使えないと(言わずもがな、なことだと思いますが)、形式上の返事として消化して、
    >国家として踏み出せない につきましては、
     以下、作者の感覚=イメージでしかないのですが、

    「踏み【出せない】」=周りからは望まれているけど、不安要素もあったりで自身で決断をするような状況
    「踏み【切れない】」=自身は望むも、周りから(不安要素)の抑制が働いている状況
     (人によっては、逆も然りでしょうか)

     みたいな細やかな差異を抱いているので、【切れない】が好みだな、です。

    また、二つの言葉はほぼほぼ同じ意味だと解釈しているかえるなので、
    どうしても、今回この点の指摘の意図が汲み取れませんでした。

    「ため息→嘆息」のような指摘を受けた気分、というのが正直なところです。申し訳ないっす。

    >>追記へ

     本日気づきました。
     ありがとうございます。
     >これも完全に僕個人の感覚なのです
     作者としては、その感覚が知りたい、聞きたい部分だったりします。

     追加で頂いたご意見から、概ねかえるの持つ「切る出す」のイメージと藤浪保さんのイメージは一緒っぽいというのが今回わかりました。
     (かえるが説明下手なのか(汗)、藤浪保さんが説明上手なのか)
     読者と作者の部分が影響しているのかわかりませんが、違いは、どうやら視点のようです。

     >踏み切るは変化しようとしていて、作者としてはまさにその通りで
     >踏み出すはもう変化したんだけどまだ動けない 読者としてはこう読み取っていますってことだろうと思われます。

     >踏み切るは何に(独立)対して
     >踏み出すは誰として(国家) そのままの捉え方捉えかたで、「切る、出す」ですね。

     >国家として(国家へ)踏み出せない
     >国家として(独立へ)踏み切れない

     >何に?と思ってしまいます。

     この何にが、前文と段落で触れている「独立」で主語を抜いている状態ですね。
     かえるとしてはこのように考えていまして、結局のところイメージとか印象を元にしているので、どちらでもないし、どっちで良いと思います。
     ただ得られたものは、藤浪保さんとの言葉のイメージは、たぶん近いと言うことと、読み取り方(視点)で出すのほうが良いとの意見があった。
     そして、何に?と思ってしまいます、から独立を指していることが伝わり難い文章だということですね。

     保留でお願いします。

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