第4話 逃走の果て――②
歳は八つ、名はニイオ。
案内に際して聞かされた少年からの自己紹介に、リアンもシャルテも名を名乗るに留める。
皇国兵に追い込まれた袋小路から建物内を通り抜け、飾り気のない路地の更なる裏へと逃げ込んだばかりなのだ。新しき街での新しい出会いを、和気あいあいと楽しめるほどの状況でもない。
そうこうしてリアンとシャルテが少年ニイオに従い、曲がりくねった通路を方向もわからないままに進んでいると、先頭をゆくニイオの足が止まる。
――通路端に酒樽を置く場所であった。
集められた酒樽は、壁に寄せるようにしてざっくりと積まれている。
それを目にしたリアンは、小首を傾げ考えを巡らす様子。
皇国兵の目を逃れ、人混みに紛れやすい表通りにでも抜けるつもりでいたのだろうか。苦い表情からは明らかに期待していたものと違う光景であったことが分かる。
もしくは、そのようなリアンが分かることといえば、酒樽を物陰に身を隠せなくもないことと昼下がりに陽を浴びていることから、酒樽を西から眺めていること。そのくらいのものだろうか。
「……ここが? その、終点ってことでいいのか」
「ちょっと待っててね」
リアンの戸惑いに少年は手をかざして応えた後、酒樽の一つを抱くようにして体をくっつける。
「中身は入ってないから、僕一人でも大丈夫だよ」
後ろで様子をうかがう者達から聞かれるでもなくそう答えたニイオは、うんしょうんしょと自分の体格にも勝る大きな酒樽を動かしていった。
三つ目の酒樽が移動すると、動作はしゃがみ込むものへと移る。
えい、とニイオが力を込め地面から厚みのある板を引き上げれば、ぽっかりと四角い穴が生まれた。
「ここは僕たちの秘密基地なんだ。だから絶対に敵には見つからないよ」
満面の笑みを携えた少年の足元で開く開口部は、地下室への出入り口になるようだ。
「つまりニイオは、俺達にそこの穴の中へ隠れろと」
「うん」
元気な返事に、リアンは隣のシャルテを見た。
片方の手を腰にある幅広のベルトへあてがい、もう片方は黒髪をポリポリ掻く仕草。
「子供の行動に勘ぐりを入れても、どうにもならんじゃろ」
「そうじゃない」
すい、と相手に合わせるようにベルトの位置が低くなる。
「あー、俺の立場から言うのもおかしなことだけどさ。俺やこっちのシャルテもよそ者だ。あとたぶん、厄介そうなよそ者だ。ニイオには難しいかもだけど、そんな俺達だったりする」
「お兄ちゃんたちは、皇国の兵隊に追いかけられていたお兄ちゃんたちでしょ。あいつらは悪い奴なんだ。だったら正義の味方の僕が、悪い奴らからお兄ちゃんたちを守ってあげるは当たり前だよ!」
真っ直ぐな眼差しで力強い発言をした少年の小さな手が、リアンとシャルテの手を半ば強引に引く。
二人は押し込まれるようにして、地下室の小さく短い階段を降りることとなった。
外の気温よりは低い、ひんやりとした薄い闇が蔓延る空間。
壁に肩を当て低い天井に手を添えるリアンが、室内の様子をうかがう最中、開口部から射し込む光がニイオの頭で遮られる。
「近くの様子を見てくるから、しばらくここにいてね」
ニイオの声が黒髪と銀髪の頭へ降り注げば、少年曰く秘密基地の出入り口がばたりと閉じられてしまう。
静止に近い空気の流れには、外部からのズリズリとした物音が混ざる。
どうやら、上の酒樽がまた元の位置へ移動したようだ。
「……真っ暗だな」
「子供だからの。ワシらの明かりまで気が回らなかったのも無理もない」
空気穴はありそうだが明かり取りはない。
唯一の光源であった開口部からの陽の光もないここは、昼と言えども夜より深い闇へ容易に染まった。
「ただな、リアン。だからといって、この暗闇に乗じての良からぬ事がすべて許されるわけではない。残念じゃったな。先に釘を刺しておくぞ」
「なかなかどうして、今の俺の呆れた顔を見せられないのが、ほんと残念だ」
「ほほう。ではでは、そのやましき顔を拝むとするか」
淡い発光が、シャルテの小顔をぼんやり浮かび上がらせる。
華奢な腕の先には回転する小さな魔法陣。
そこからぶわりと拳大の白色の球が出現すれば、白き光が闇を払う。
周りを明明と照らす魔術で生み出された光源は、術者であるシャルテの頭上で浮遊する。
「さて、子供の秘密基地としては不釣り合いな……そこそこに奥行きがある場所であったな」
シャルテが数歩進むと四角い間取りの場所へ繋がる。
実際、そう高くはない天井もあり半数も集まれば狭苦しさを感じるだろうが、二、三十人の人間を収納できそうな広さがあるようだ。
リアンが何やら匂いを嗅ぐようにして辺りをうかがうそこには、中央を陣取る鏡面のように綺麗な石材のテーブルを始め、周囲の壁に並ぶ硬材の棚や積まれる酒樽などもある。
「目につくのは食料が多いし、俺が思うに、ここはきっと酒場か何かの倉庫なんだろうけどさ」
「出入り口が建物の外にあったからのお」
「この干し肉は……店の在庫というより……人目に触れさせたくない、隠したい食料ってことになるよな」
もちろんむしゃむしゃと上下する口へ放り込まれていた物は、棚で保存されていた干し肉の欠片。
「手癖の悪い奴じゃ」
「ランチがまだだったからな。代金は後でニイオにでも払うさ」
「では、ワシはそこの葡萄酒でも馳走になるかの。都合良く、喉も渇いておる」
袖をたくし上げる細い腕。
その先では、酒樽の側にあったカップが既に握られていた。
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