第3話 逃走の果て――①




 澄んだ大気の青い空の下、深い森も点在する平原や険しい山脈が織り成す大陸がある。

 東西へと陸地を広げるアスーニだ。


 大海に浮かぶここには、優に百を超える国家が存在した。

 しかしそれは『人』の一生に値する六十年程前までとなろうか。

 現代では一処ひとつところの皇帝が治めるラス皇国こうこくによりその模様が異なる。


 大陸を覆い尽くさんばかりの、日増しに伸ばす勢力。

 皇国はすでに大陸西側の大部分を支配領地としていた。

 その大強国の東側に、皇国を除く大小の国家が僅かに連なる。


――このような情勢にあるアスーニ大陸の南部に位置するだろうか。


 西にラス皇国との国ざかいを持ち、東に海を隔て大国エルヴァニアを望む土地の名は『グック』。

 巨人が引き裂いたような海峡に面し、鉱質の丸い形式の建物が多く見られる港街である。


 エルヴァニアの統治下にあったグックの港街の由縁は、海峡を往来する船の発着場所にあたるからなのだが、現行の港街は海峡を渡す船を持っておらず、代わりに海域を越える飛行船を保持する。

 飛行船に使われる、魔導機構による動力はさして珍しいものではない。

 ただし、高度な開発技術を要する飛行できる乗り物ともなれば、世間ではまだまだ物珍しく、ゆえにこの地を多くの者が他とは少々違う特別な港街の一つとして数えるのは確かであろう。


 さて、そのような港街グックの通り筋から離れた潮風も届かない一角を、


――男女が全力で走っていた。


 居住区の連なり建ち並ぶ家々が、石壁の如き塀のようにして通路を作る。

 高い場所にある切り抜きの窓から対面へ渡すロープには、洗濯物などが干してある。

 その下の狭い路地。

 住まう者の影は見当たらないが、ビュンビュン風を切るようにして駆ける男と女の大小二つの人影はあった。


 先を行く大きな影であるリアンが振り返る。

 眼差しは小柄なシャルテの頭上を通り過ぎ、先程曲がった辺りを見るようだった。

 数瞬して、武器や防具をがしゃがしゃと鳴らし、角からわらわらと姿を現す皇国兵士達。


「無駄に真面目というか、しつこいな」


 石畳も混ざる硬い路地をブーツで踏み鳴らすリアン。

 速度は落とさずとも、走りながらに眉根を寄せて愚痴をこぼす。


「一応言っておくのじゃが。はあ、はあ、自ら戦いを望むのは愚か者のすること。賢き者は避けられる戦いを知っておる」


「こんな時にわざわざ教えを説かれなくても、俺は心得ているさ」


「今更、いらぬ騒ぎも起こしたくない、そう言ったところで手遅れやも知れぬが――」


「どこの皇国兵も厄介なことには変わりない。下手に手を出して、これ以上躍起になられても余計煩わしくなるだけ、だろ。つまり逃げるのが正解。だからこうしてずっと走ってる」


「その通りじゃ。はあ、はあ、……あやつらの相手をしたところで、面倒になることは目に見えておるからの。……まったく、着いて早々これじゃと先々が不安になるの」


 水の都と称されるエルヴァニアを目的に、西の地から旅をして来た青年リアンと彼に付き添う立場にあるシャルテ。

 二人は日程から南から回る海路を諦め、飛行船によるエルヴァニア本国への渡航を考えていた。

 ところがいざ港街グックへ到着してみれば、見回りの皇国兵達から不審者として追われる事態に見舞われてしまう。


「ただ、その皇国兵がいなきゃこうもならなかったのにな」


 リアンは相変わらずラス皇国の兵士との遭遇が腑に落ちないようだ。

 しかしこれは、グックへ踏み入れたばかりの旅人の反応としては然るべきものであろう。


 近年の独立運動によりグックは自治権こそ本国エルヴァニアから与えられていたものの、エルヴァニア王の庇護下ひごかにある街だ。

 それゆえ、皇国兵士は他国の兵士となり、例えるなら陸で海の動物と遭遇してしまうような思わぬ事態をリアンは味わったことになる。


 なぜラス皇国の兵士がグックの街中を警らしていたのか。


 リアンのささやかな疑念は、街の住民からでも話を聞ければすぐにでも晴れるだろう。

 ただ残念ながら、今もなお街中をひた走り追われる身の彼には、幾分先の話となりそうだ。


「しかしながら、リアン。されど、リアン。いざという時は、はあ、はあ、いざという時は迎え討つことも、やむなしじゃぞ」


 やや遅れて並走するシャルテは前言とは異なり、戦う意思をほのめかした。

 疲労|困憊(こんぱい)気味の彼女には苦笑が返ってくる。


「なるほど。そっちの『一応言っておくのじゃが』だったってことか。その様子だと、いざという時がえらく近そうだな」


「否定はせぬよ。ワシの雅(みやび)な脚部のぱんぱんな張り具合から察するに、そう遠くない未来のようじゃから心しておけ」


 銀髪と織物の裾のなびきはそのままに、シャルテが申告して間もなく進路前方からも皇国兵士が出現する。


「いたぞ。こっちだっ」


 仲間を呼ぶ兵士の大声に、リアンとシャルテは途中の脇道へとその身を投げ入れた。

 前後から挟まれ進路変更を余儀なくされた二人は、とにかく目の前の通路を駆け二つ三つと角を曲がってゆく。


「おい、リアン。追ってくる皇国兵の数は増えるばかりか、逃げ道は狭くなってゆく一方。雰囲気からして、この通りは身を隠す場所や脇に逸れる道もなさそうじゃ。この芳しくない状況から、はあ、はあ、ワシらは追い込まれつつあるのではないか」


「かもな。だからこそ、曲がった先が行き止まりじゃないことを祈っている……と」


 弱々しい言葉尻に合わせ、地を蹴るリアンの足から力強さが失せてゆく。

 精悍せいかんな顔には、諦めと覚悟の表情が浮かぶ。

 長く走り続けた逃げ道は、彼の走りで幾らの時も必要としない距離を残し、袋小路にて終わるようだ。


「仕方がないの……ワシの足もそろそろ限界であったし。敵方の増援はその時考えるとして、皇国兵は十人前後といったところか」


 息を整えたシャルテが迫っているだろう足音を探るように、後ろをじっと見据える。

 長いまつげが縁取る大きな瞳は、まだ追手を捉えることはできていないようであったが、シャルテの手元には虚空に回転しながら浮かぶ円の発光体――『魔法陣』が形成されつつあった。


 炎を生み出したり人形を操るなど、特異な事象を任意で導く魔術師は、魔術を行使する際、魔術式を紋様や図式として描く。

 魔法陣は魔術を簡易的に行う、もっとも基本的な方法である。


「なあ、シャルテ」


「ここの皇国兵らも、ちゃっかり魔術耐性のプロテクターを身につけておる。歯痒いがあまりワシの力には期待するな。ワシは援護に徹し、直接攻撃はお前の担当じゃ」


「それなんだけどさ」


「元はといえばお前がいた種じゃし、異論はあるまい」


「異論はないが意見はある。追手と戦う以外の選択肢が現れた。後ろを見てくれ」


 リアンが指差す先を反転したシャルテも注目する。

 行き止まりの壁にほど近い脇。

 越えられない塀となっていた場所には開く扉があり、そこから身を乗り出す子供が小さな体を目一杯に使い、大きな手招きをしていた。


「何しているのお兄ちゃんたちっ。こっちだよ、こっちっ。早くっ」


 遠くへ投げられる少年の大声。


「だそうだが、どうする?」


「どうするも何も、折角訪れた好機をみすみす逃す手はない。ほれ、ゆくぞっ」


 ぷつりと消え失せた魔法陣。

 シャルテは臨戦態勢を解くなり我先にと、袖口が広い上着の袖を景気良く振って少年の元へ急ぐ。

 後を追うようにしてリアンが続く。


「その様子だと、まだまだ全然走れてたな」



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