第5話 鳥籠の花

5-1. ゆるやかな回復

 白い壁に囲まれた1LDKアパート。幼い頃の記憶と言えば、それしかない。

 窓だなんて高級なものはなく、のっぺりとした壁に映写された外の風景とやらが、時折思い出したように色を変える。

 両親は一体何をしていたのか、ほとんど家にいなかったから、どんな人たちだったのかもいまいち記憶にない。たまに起きてみたら物の配置が変わっていることがあったから、自分以外の生命体がこの部屋にもいたのだと、そう思うくらいだった。

 文字や言葉はAIから学んだ。

 AIとは決まりきったことしか言わなくてつまらないことに気付くのに、然程時間はかからなかった。

 決まった時間になると、台所に備え付けのクッキングマシンが食べる物を提供してくれた。

 それは粥のようなスープのような白いドロッとした流動食で、味なんてしなかった。ただ空腹を満たすためだけに、美味しくもないそれを啜った。

 夜中に物が動く回数は徐々に減り、やがて。




 真理亜は平外に連れられて坂を下っていた。

 このまま下りていくと集落に出てしまうのではと気が気でなかったが、平外は「そこまで行かないから」としか言わない。

 棕櫚たちの屋敷には。もう三ヶ月ほど世話になっているのか、屋敷の中にいるとあちこちから聞こえるシューシューという音に慣れすぎてしまい、久しぶりに出た外は静かすぎて落ち着かなかった。

 道の途中で、平外はヒマワリ畑の中に入っていった。

 枯れてカサカサになったヒマワリを掻き分けながら進む途中途中で、彼はしゃがむと手に持っていた金属の棒を地面に突き刺し、それに繋がった小さな画面を確認する。

 それを背後からじっと見ていた真理亜の視線に気づいたのか、平外がその画面を見せてくれたが、ずらりと並んだ文字列と数値は、真理亜にとって何の意味も成さなかった。

「汚染物質の濃度を測っているんだよ。そろそろ、ヒマワリ以外を植えたいからね」

 真理亜が曖昧に頷くその後ろから、聞き慣れたシュゴシュゴという音が近づき、そして近くで止まったようだった。

 平外に「行こう」と促され、またヒマワリを掻き分けながら二人は道路に出る。

 目の前に停まっているのは正造が乗り回している蒸気機関の車だった。音は屋敷の中まで響いてくるから知っていたが、外に出たことがない為に実物は初めて見る。

「こんにちは」

「ん? あー、平外さんじゃあないか! 久しいな」

 平外に声をかけられた正造は、荷台を探っていた手を止めて振り向いた。平外の陰に隠れるようにして立っていた真理亜にも気付いたようで、更に笑みが深くなる。

「あぁ、もう身体は大丈夫なのか? 元気になったみたいで何よりだ」

「……っ! あ、ありがとうございます……?」

 真理亜はしどろもどろになんとか返すと、今度こそしっかり平外の後ろに隠れた。平外の大きな手が真理亜の背にそっと回されると、思わず彼の洋服を握りしめる。

「おっと、怖がらせちまったかな」

「マリーちゃん、大丈夫かい? オレは彼に話があるけれど、先に戻ってもいいんだよ?」

「だ、大丈夫です……」

 これだけ密着しているのだ、「そう?」と尋ねてくる平外には真理亜の震えも、緊張でドクドク脈打つ心臓も、恐らくすべて手に取るように分かっているだろう。

 それでも真理亜はこくこくと首肯を繰り返した。

 「駄目そうなら言うんだよ」と声をかけてくる平外の背に、返答の代わりに真理亜は頭を預ける。

「それで正造さん。今調べた結果を見ると、この辺りは大分綺麗になっていますね」

「お、本当かい? せっせと種蒔いた甲斐があるじゃねぇか」

「えぇ、ありがとうございます」

 平外の話では、汚染の原因となる工場がここ30年の間に次々と閉鎖されてた結果、少なくとも新たな大気汚染は発生せず、今までの大気汚染も度重なる大雨で大概が流されてしまったのではないかとのこと。地中深くまでは保証できないが、少なくとも地表においての汚染は心配しなくてもいい程度になっているという。

「じゃー、俺もそろそろお役御免……」

「ですので今度からは池の付近を重点的に」

「ん?」

 うーんと伸びをしかけた正造の動きが、平外の言葉でピタリと止まる。

「うんうん、人手として棕櫚を扱き使っていただいて構いませんので」

 あー、だの、うー、だの言って首を右に左に曲げた正造は、最終的に「仕方ないなぁ」と折れた。

「どうせ趣味みたいなもんだしな。やっぱ池はよろしくない」

「本当は池の水を浄化した方が早いんでしょうが、何せ物資が足りない。あぁ、葦ならば調達できるかもしれないですがね」

「葦ときたか……ぬかるみに入るなら、長靴くらいは欲しいな」

「……前言撤回します。もう暫くはヒマワリとタバコで頑張りましょう。なんならトウモロコシを。水辺から少し離したら育ちませんかね」

 簡単に言葉を翻した平外に、正造も真理亜も首を傾げた。

 植物の種類を列挙しながら吟味していた平外だったか、ふと二人の存在を思い出したように語り始めた。

「現状で一番の汚染物質は水だ。雨に当たるなって棕櫚に言われたことはないかい? 大気中の汚染物質を雨が洗い流すから、雨は特に汚染が酷いんだ。その雨水が集まる池・川・湖・海の汚染は大地と比べるべくもなく酷くて、手の打ちようもない。

 マリーちゃんも聞いたことはないかい、集落の端にある池は死の池だって」

 集落にいた頃、真理亜はほとんど家の外に出してもらったことがないから見たことはないが、確かに言われてみれば双子の妹がそんな話をしていたような記憶もある。

 語りながら平外はすっと目を細めた。

「葦は水辺に生息する。根本は大体水中だから、刈り取り作業の足元は水に浸かることになる」

「それ、相当ヤバいんじゃないか?」

 ほうほうと頷いていた正造が、真剣味のカケラもなく相槌をいれる。

「だからだ。まずは地盤の固い地面でやれるものからやろう」

 うんうんと頷く大人二人に混じって、真理亜も大真面目な顔で頷いてみた。

 ちょっとだけ、楽しかった。

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