5-2. 科学都市の遺産

 シャーッという吊り灯籠の音を聞いたとき、真理亜の意識はすっと浮上した。

 平外と正造は散々立ち話をした後で、既に枯れているヒマワリの刈り取り作業に入った。

 大きな鎌は真理亜の手には負えず、刈られた後のヒマワリを二人の邪魔にならないようにと動かしていただけだったが、あんなに体を動かしたのは生まれて初めてで、くたくたになってしまったのだ。

 最後は正造の車の中から二人の鮮やかな手付きを見ていたが、その内に眠ってしまったらしい。

 ドタバタと屋敷の中から響いてくる足音は棕櫚のもので、真理亜はそろそろ起きなければならない。

 だというのにやたら暖かく心地よくて、睡魔は真理亜を解放してくれそうにはなかった。

「とりあえず一年草の辺りから導入していきましょう。最終的な目標はどうしましょうか。やはり最初なので畑にして、食料の幅を増やしますか」

「最終目標か。わさびだな」

「わさびですか。それは手厳しい」

「ちょーっとおたくら、真面目な顔して何の話してんの!?」

 ババーンと玄関の引き戸を開け放してのご登場だ。

 真理亜は未だに睡魔と格闘中で、目を擦りながら必死に覚醒しようとするものの、カクリカクリと意識が飛ぶ。

「あぁ、丁度良かった、棕櫚。裏に蔵があるだろう? そこのヒマワリをあの蔵まで運んでおいてくれないかな。中には入れなくていいから。

 オレは先にマリーちゃんを寝かしつけてくる」

 ねかし、つける……?

 耳元で聞こえた平外の言葉に眠気が吹っ飛ぶと、刈り取ったヒマワリを前に困惑する棕櫚と、何かを暖かく見守る正造が視界に飛び込んできた。

 平外といえば平然と真理亜をお姫様抱っこしていて、屋敷にそのまま入るつもりでいるらしかった。

「これをあの蔵に? 何するつもりなのさ、ヒョーガさん」

「錬金術。正造さん、明日の昼頃ってまた来ていただけますか?」

「あぁ、おたくらの頼みなら何時だって駆けつけるぞ」

「バーベキューでもやろうと思うんだ。棕櫚、いいかい?」

 お姫様抱っこされているのが気恥ずかしくて三人の会話が頭に入ってこない真理亜は、平外の首元に抱きついて顔を隠した。

 胸の早鐘どころか、顔は首まで茹で蛸だ。

「あー。正造さんならいっか。網準備すればいいの? 食材は?」

「錬金術に任せなさい」

 真理亜の背を優しく撫でながら言い切る平外はきっと、いたずらっぽい表情を見せていたことだろう。


 平外が蔵の引き戸を開けるのを眺めていた。

 屋敷の裏に蔵があることは棕櫚も知っていたし、鍵もかかっていないから中にだって入ったことはある。

 だが、四方にずらりと並べられた灰色の箱を見て、それが何であるのか説明なしに分かる人は稀だろう。少なくともそれは、棕櫚ではない。

 平外がモニターについたスイッチを押すと、蔵全体に押し込められた箱という箱が、ブーンという低い音を立てて動き出す。やがてそれはウィーンだとかキュルキュルだとかいう、部品の動き出す音に取って代わった。

 黒い画面に目の覚めるような緑で表示されたそこに、旧型のキーボードで何やらを打ち込むと、平外は運んで来たヒマワリを、出入り口近くの箱に詰め込みはじめた。

「ヒョーガさん、これ、何? 僕のイメージする錬金術と大分差があるんだけど」

 あちこちで点滅し始めたライトをきょろきょろと見回していた棕櫚だったが、まだ外に積んであるヒマワリを中に入れるべく動き出す。

 同時に平外に投げかけたのは、長年の疑問だった。

 棕櫚が平外に連れられてここに来た時、この機械は既にあったのだろうと推測するが、今まで一度も使われたことはない筈だった。

 そしてそれは、電力供給や他の物資などの問題だろうと思っていたのだが、今動いているのを見るとそうではないらしい。

「錬金術は科学の前身みたいなものだから、あながち間違ってはいないさ」

 平外はそう、からからと笑う。

「ここにあるのは、そうだな、繁栄した科学都市の遺産みたいなものだ。

 環境汚染で問題になった一つが、食料自給率の低下だった。汚染されていない土地が減って、安全に食べられる作物の量が減るんだ。当たり前だろう?

 そんな中で開発されていたのがこれだ。材料となる有機物を入れれば、有害物質を取り除いた上で食料品を合成してくれる。試作品だから、実用にはまだ程遠いけれどね」

 せっせと二人でヒマワリを箱に収めてしまうと、平外はスライド式の蓋を閉める。ジャバジャバと液体がどこからか流れてくる音がした。

「使えてるのに?」

「合成に時間がかかるのと、消費電力が異様に多いこと、かな。光、振動、温度変化——発電するのに大概なんでも使えるけど、必要量溜めるのに数ヶ月単位でかかる。そして合成できるのは3、4人分が精々ってところさ。ほら、もう実用的じゃない」

 棕櫚を促して蔵の外に出ると、平外はその戸も閉めた。

 暗くなった空を仰ぎ見れば、ちらりほらりと星が見える。

「これの開発があともう少し早く進んでいたのなら、海底都市への移住計画は計画のままで終わっていたのかもしれないね」

 平外の視線は木々の向こう、ここからでは目視できない海の底を見据えていた。


 太陽が空高くに輝く頃、平外に伴われて棕櫚は再び蔵を訪れると、蔵の中はひっそりと静まり返っていた。既に電気を使い切っているのかもしれない。

 昨日ヒマワリを入れた箱の向かいに置いてあるそれは、引き出し型になっていた。

 どうやら合成された食料品はそこに出来上がるらしい。平外と二人で数段開けてみれば、人参や南瓜のスライスが、几帳面に並んでいた。別の段には、赤っぽい楕円形の何かが鎮座している。

「何、これ?」

 四段目には何も入っていないことを確認した平外は、棕櫚が言う「これ」を確認するなり憐憫の眼差しを向けた。

「そうか知らないのか……。まぁ、何にでも挑戦してみることだね」

「いや、だからこれ何?」

「食べれば分かるよ」

 無意味な回答に仕方なく棕櫚は土間に戻ると竃に火を入れ、金網に食材を並べた。

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