4-2. 天使の作り方
平外の問いに返される棕櫚の表情は虚ろ。
背後に見える寝室の襖は天岩戸のごとく閉ざされたままで、棕櫚の無惨な敗退を告げていた。
ハァーと深い溜め息を吐いた棕櫚はガバリと上体を起こすと泣きそうな顔で言う。
「蛍火が許してくれない、どうしようヒョーガさん」
「許してもらうのは簡単じゃないか」
「え?」
当たり前のように告げる平外の顔を、真理亜は棕櫚と一緒になってまじまじと見つめてしまった。
「今朝の少年に、ケイちゃんの羽根を天使の羽根として渡す。彼はハッピー、ケイちゃんも満足するし、君も許して貰えて大団円じゃないか」
紡がれる幸せな物語とは裏腹に平外の視線は鋭く、棕櫚の表情は固い。
真理亜は何も言えず、ただ二人の顔を見比べていた。
「だが君はそれをしたくない。君はケイちゃんを天使と呼ぶことに抵抗があるからだ」
「もー、ヒョーガさん全部分かってるじゃないか、イジワル」
おどけた調子で棕櫚は言うが、彼の手が小刻みに震えていることから、それが彼なりの強がりだと見てとれてしまう。
「あー、もう、どこから説明しよう」
観念したのか、天を仰ぎ見ながら棕櫚は独り言ちた。
平外は黙って見ている。何も考えていないようにも見える。
「蛍火も虐待だったんだよな。夫から、妻と子供に対する暴力ってヤツ。奥さんも命からがら逃げてきたみたいで? でももう限界だからって子供押し付けられて? いやぁ、鬼の形相で追いかけてきた夫を見たときにはもう僕の人生終わったと思ったなぁ。
それでさぁ、親切な通りすがりのヒトが車に乗せて逃してくれたんだけど? 奥さんとは別れちゃうし子供は腕の中だしよく見たら子供の背中焼け爛れてるし? どーしろって言うんだって」
「あ、跳ねた」
淡々とした口調ながら段々と低くなるトーンに、顔を両手で覆ってしまった棕櫚に、いたたまれない気持ちでいたのはどうやら真理亜だけだったようで、平外は自分から問い詰めたにも関わらず池を眺めていたらしい。
「ちょっとヒョーガさん聞いてた? イイ話してた筈なんだけど!」
うるりと払おうとした涙もそっちのけでギロリと平外を睨み付けた棕櫚の目には、涙どころか濡れた跡もない。
「この鯉すごいね。動力は外だろう?」
「そう! あの、魚独特の流線を活かしつつ、水の対流と抵抗、それに磁力で……って違う! 違わなくないけど違う!」
二人の会話でようやく魚が本物ではないことに気づいた真理亜は、改めてまじまじと池を覗き込んだ。
赤と白の魚たちが、やっぱり本物にしか見えない優雅さで水中を泳いでいた。
とりあえず平外を池から引き剥がそうと、三人は居間に戻った。
ついでに茶を淹れる運びとなり、むくれ顔の棕櫚が急須を揺らす。
真理亜が湯飲みを卓に置けば平外ににこりと微笑まれ、彼女は慌てて視線を逸らした。
「ヒョーガさんさぁ、注意力散漫とか集中力足りないとか、人の話は最後までよく聞きましょうとか言われたことない?」
「人生長いからな、どこで言われていてもおかしくはないだろう」
ジトーっとした棕櫚の視線をまともに浴びても、平外はどこ吹く風だ。
「……で、さっきの話の続きだけど」
「いやいい、分かった」
「へ?」
「要するにその親切な人とやらは実は人拐いだったという話だろう? しかも恐らくは奇形児専門の闇商人といった辺りか。そういうことをやる手合いは、いつの世も多いんだ」
「え? でも、蛍火は」
棕櫚の驚きを他所に、平外はクツクツと嗤う。
「それは、彼らが君の葛藤を優先させたからだ」
ここまでくると、棕櫚も口をあんぐりと開けっぱなすしかない。
「ならば闇商人よりも金持ちの好事家の線が高いか? ともかく、彼らは君に渡したはずだ、その焼け爛れた背中によく効く薬とやらを」
「そう、湿布みたいなやつ。貼れば治るけど、貼ったら蛍火は合成獣になるだろうって……貼っちゃいけなかったヤツ!?」
「貼らなかったらケイちゃんは多分もう生きていなかっただろうね。君だってそう思ったからこそ、使ったんだろう?」
労るような平外の声音に、棕櫚は躊躇いがちにうんと頷いた。
平外曰く、蛍火が目をつけられた理由は、彼女が色素欠乏症を患っていたからで、彼らが蛍火を手放した理由は、恐らく次の目処がついていたからだろうと言う。
「次のって言ったって、色素欠乏症はそうそう現れるものじゃ……」
「あれは遺伝子の病気だからね。言いにくいがその、両親さえ揃えば……君が気に病むことじゃあない」
サァっと顔色を失くした棕櫚を見とると、平外は緩く首を振って言葉を切った。
「じゃあ、ケイちゃんみたいに羽のある子は、いっぱいいるの?」
半分も分からなかったので黙って聞いているつもりだったが、ふとそんな疑問が真理亜の口から伝い出ていた。慌てて口を閉ざしたが、棕櫚にも平外にも気にした様子はない。
「まぁ、全て憶測で話しているわけだけれども、恐らく湿布薬に混ざっていたのは鳥の翼になるはずだった細胞だろう。
体内に他の生命体を埋め込むんだ、そうそう成功する訳じゃないし、仮に定着したとしても酷い拒絶反応が出るはずだ。ケイちゃんもあったかい? 熱が下がらなかったとか」
振られた棕櫚は考え込んだまま暫く無言で茶を注ぎ分けていたが、「あ」と大声を出すと急須を乱暴に置いた。
「そう、高熱出した。あれ、火傷のせいじゃなかったのか!」
「多分ね。当然、最新技術を使えば拒否反応なんて出さない処置だって出来るけど、そもそも合成獣なんて作ろうと考える輩は、過程の苦しみを見たいって言う悪趣味があったりもするからね」
意味深に言って苦笑する平外に、数秒遅れで理解した真理亜は頬を引きつらせた。その横で棕櫚が呑気に「あの頃は大変だったなぁ」などと他人事のように呟いている。
喉元過ぎればなんとやら、というヤツだ。
彼は緩く回した急須の中身を注ぎきると、茶碗の一つを真理亜の前に、もう一つを平外の前に置いた。そして「それはそうと」と口を開く。
「こんなにあっさりヒョーガさんが信じてくれるとは思わなかったなぁ」
「失敬な、君のことはそれなりに知っているつもりだ」
そうなの、と首を傾げる棕櫚は、秘密がなくなったからか気楽なものだ。
「そうだよ。君にそこまで生物に対する関心はないし、合成獣なんて作ってしまえるほどの技術力もない」
憮然と返された事実に棕櫚は噎せ、してやったりと平外は嬉々として茶を口に運んだ。
一瞬での形勢逆転に笑えばいいのか同情して泣けばいいのか、真理亜には分からない。多分半笑いになったと思う。
「全くもってその通りなんだけど、そういう信頼って問題あると僕思うよ、ヒョーガさん!」
「君に対する正しい評価だとオレは思うよ?」
「正しすぎてぐうの音もでーまーせーんー!」
涼しい顔で茶を飲む平外に、棕櫚は暫くワナワナと震えていたがやがて力尽き、卓に突っ伏した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます