第4話 怪物たちの唄

4-1. 怒れる毛玉

 久し振りに来た「客」を追い返し、やれやれと首を振りながら居間に戻る廊下のど真ん中に。

「……」

 真っ白なふわもこの羽を総立ちにし、真紅の瞳を爛々と燃やすちんまい小動物的な何かが、自らの羽根をむんずと掴んで棕櫚に突きつけていた。

 本人は仁王立ちしているつもりなのだろうが、何分普段はその辺で真理亜とコロコロしているだけの無害な毛玉だし、とにかく小さくて軽いのでその気になればヒョイと持ち上げてどこかの部屋に収納することだって可能だ。

「……」

「あー、ごめん?」

 投げ槍に謝って、そこら中にだって何枚でも落ちている羽根を受け取れば、白い小動物はプイとそっぽを向いて寝室に入り込んでしまった。

 相当怒っているらしい。真理亜には申し訳ないが、今晩は布団なしかもしれない。

「あ、あの……」

「聞こえてたんだろ。さ、メシにしよう。カレーの匂いがすれば蛍火も出てくるさぁ」

 そう言って真理亜を促し、居間に入る。

 ぴたりと閉じられた寝室の襖は、沈黙を保っていた。


「お帰り。ケイちゃん、怒っていたよ」

「知ってる」

 返答と共に、掴んでいた羽根を平外に押し付けた。

 棕櫚が話していた間、どうやら真理亜と羽枕を作っていたらしい平外は、渡された羽根を指先でくるくる回すと、へにゃへにゃとした布袋の中に落とした。

 袋を覗き込む真理亜に平外が「まだまだ足りないかなー」などと呑気なことを言えば、真理亜は寂しそうな顔をして全く張りのない布袋を突いた。

 蛍火が怒っていることは一目瞭然であるし、その理由なんて簡単なもので、先程「天使の羽根が欲しい」という依頼を「天使などいない」と一蹴したからだ。

 羽根なんて気付けばそこら中に舞い散っているものだ、そのくらいあげればいいのに、というのが恐らくは蛍火の主張であろう。

 平外と真理亜が暇に任せて羽根枕なんて作ろうと考えるくらいだから、蛍火の羽根なんて叩き売りしても余りある程床に散乱している。羽根の一本二本だなんてケチ臭いことなど言わずに、羽根クッション(ミニ)を数個大盤振る舞いしたところで惜しくもない。

 だってどうせまた溜まるから。

 特に最近はどうやら季節の変わり目で換毛期に入ったらしく、むしろ自分で拾い集めてくれるのならが大歓迎である。

 だから問題は、羽根を譲渡することではないのだ。

「天使、ね」

 風で近くに流されてきた純白の羽根を摘まみ、弄びながら平外が呟いた。



「けーいーかー」

 結論から言えば、昼御飯にカレーの臭いを漂わせてみても、おやつがあるぞーと三人で騒いでみても、蛍火は寝室から出てこようとはしなかった。

 寝室は窓が小さく、日中でも薄暗い。そんな部屋に何時間も籠っているのは体に悪いと言って何とか蛍火を出させようとする棕櫚が、襖をガタガタさせているのが、庭に出ている真理亜にも聞こえた、

 あくまでも棕櫚は蛍火が自主的に出てくるのを待つつもりらしく、襖を開けようとはしなかった。

 庭に出た真理亜は平外と共にいた。否、未だ屋敷の外に出たことがないという真理亜を平外が連れ出したというのが正しい、

 居間の目の前にある石灯籠と池の上には青々と葉を生い茂らせた気の枝が突き出しており、夏も終わったというのにまだギンギンと照りつけてくる太陽の光を和らげてくれていた。

 そんな場所で真理亜は余り着慣れないスカートの裾やブラウスの袖、そしてリボンの結ばれた首元を引っ張っていた。平外がどこからか調達してきてくれたものだ。生地の滑らかさや柔らかさが高級そうで、汚してしまわないかとそればかりが気になる。

 慣れない洋服は落ち着かないが、そればかり気にしていても仕方がない、

 真理亜を着替えさせた上で裏庭に連れ出した平外と言えば、素知らぬ顔で池を覗きこんでいる。真理亜も真似をして覗いてみたが、魚が数匹泳いでいるくらいで何が面白いのかよく分からなかった。

 強いて言えば、本物の魚が泳いでいるのを見るのは初めてだったが、だからといって平外のように食いつきはしない。

 無言で池を見つめる二人の前で、魚がパシャンと跳ねた。

「西の大陸から来た人々に会ったことはある?」

 しゃがんだままそんなことを突如訊かれ、真理亜は凍りついた。

 魚に気をとられているようだから、話しかけられることはないと油断していたのだ。

 回答を求めるように見上げられ、真理亜は反射的に首を横に振っていた。正確には分からないが、黒目黒髪の人間にしか会ったようなことはない気がする。大陸の血が大分混ざったとは聞くが、この付近はそうでもなかったのかもしれない。

「オレさ、昔、大陸出身者の顔の見分けがつかなかったんだよ。それを言ったらさ、『目も髪も皆色が違うのに何で?』って逆に訊かれて。髪とか目の色とか全然見てなかったんだって愕然としたね」

「色、見てないの?」

「見えてはいるんだけどね。気にしてないのかな。

 この辺りじゃ黒目黒髪って言うけど、実際には黒じゃなくて茶色だろう? 色の濃さだって違うところを、全部黒目の一言で済ませてるのと同じさ」

 ひょいと肩を竦める平外を、真理亜はぽかんと見返した。

「じゃ、じゃあ、ヒョーガさん、私の目の色訊かれたら黒って答える?」

「余程誰かに青の色を印象づけられない限りはそうだろうね。瞳の色が赤でも青でも黒でも、マリーちゃんはマリーちゃんだよ」

「翼が、あっても?」

 ポロリと真理亜の口から零れ落ちた言葉に、平外は意外にも険しい表情を見せた。視線を逸らして立ち上がると、それは、と目を伏せたまま口を開く。

「何故翼があるのか、その理由による、かな」

 ゆっくりと振り返る平外の視線の先には、縁側にどかりと座り込んだ棕櫚がいる。

 蛍火との攻防で疲れきったように頭を抱えていたが、真理亜と平外の視線を感じたのか顔を上げた。

「君はそろそろ教えてくれるのかい? ケイちゃんのこと」

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