3-2. 強みと限界

「脱穀機が冠水して壊れた?」

 玄関先に車で乗り付けてきた正造の言葉がよく飲み込めずに、棕櫚は鸚鵡返しに聞き返した。

「昨日のあの大雨だろ? あれで浸水したって言うんだ。って言っても、一昔前の電気回路じゃああるまいし、お前さんの機械はその程度じゃ壊れんよな」

 棕櫚の作る機械は蒸気機関を動力としている。その名の通り、水蒸気と水の体積差をエネルギーに変換するのだ。簡単に言えば、お湯を沸かしているだけ。

 火口が濡れれば当然使えなくなるが、乾けば元のように動く。

 要するに、浸水しても冠水しても、完全に壊れてしまうことはない。

「百聞は一見にしかずだ。見れば分かるもんもあるだろ。とりあえず来てくれねぇか」


 裏庭に転がしている道具箱と金属板数枚を抱え、朝から縁側でのんびりしている真理亜に機械の修理に行ってくる旨を告げて、棕櫚は助手席に乗り込んだ。

 慣れた手つきで正造はエンジン車を回す。車はシュゴシュゴガタガタと、一層けたたましい音を立てた。

 コンクリートの剥がれた道は、見るも無残は砂利道になり果てていた。

 小石を集めるにはうってつけだ。

 道の両脇に生い茂るのは、雑草と見間違わんばかりのタバコに、伸びきって花も終わり、首をうなだれたヒマワリだ。

「そろそろまた刈らねェとな」

「刈る?」

 好き勝手に生えているようにしか見えないそれらの植物をまるで管理しているような言い回しに、棕櫚は首を傾げる。

 そんな棕櫚に、正造はひょいと肩をすくめた。

「刈っていろんな薬品とかにぶっこんで重金属とか取り出して、リサイクルしてたんだよ、昔はな。海底都市に技術者取られた後も、現場の労働者でなんとかかんとか回してたんだが、物資は途絶えるわ抽出した金属を持ってく先もないわで一人二人やめてってな、今じゃ自分ちの近くに種撒いて、多少でも土壌汚染がましになればいいなーって一縷の望みをかけるのが精一杯だ」

 正造の説明に相槌を打っていた棕櫚は、平外が関心を示していたことを思い出す。

 確か、ファイトレメディエーションと呼ばれていたか、植物が重金属を溜め込む性質を利用した土壌浄化技術だ。

「自然ってぇのは強いもんでな、こんだけ人間に痛めつけられてもまだ生きてんだよ。そりゃ絶滅した種ってのも多いかもしんねぇけどさ、汚染された環境でもやってける種ってのを生み出していけるんだ。

 それに比べてさ、俺たち人間なんか、自分たちで築き上げた文明まで壊しちまって、何やってるんだろうな」

 あの時、平外の目には一体何が映っていたのだろう。

 自滅しながらも、未だ地べたに這いつくばって生き延びようとしているヒトを、彼は何を思って見つめているのだろう。

 独り言のような正造のつぶやきに、棕櫚は返す言葉を持たなかった。


 戸建の家がポツポツと並ぶ道を、シュゴシュゴとけたたましい音を立てて車は行く。

 辛うじて家としての形を保っている家屋を、ガラスが割れ、壁も朽ちた家々が囲む。人が住んでいるであろう家々も、度重なる酸性雨であちこち溶かされてしまったのか、補修を重ねたつぎはぎが目立つ。

 多くの人々は家に閉じこもりきり、汚染された大気中に出まいとささやかな抵抗を試みる。昨日の大雨で多少大気が洗浄されているとはいえ、長居しないに越したことはない。

 外を歩く人は、それだけの必要性に駆られたのか、はたまた自殺志願者なのか。どちらにせよ、ガタゴトと音を立てながら道無き道を行く車に気づくと、誰もが顔を背けた。

「海底都市は人としての礼儀まで持ってっちまったみたいでな。あんま気にすんな」

「まぁ、僕は余所者だしなぁ」

「だが、この集落の生活を支えてんのはお前さんの確かな技術力だ。さ、ここだ。見てやってくれ」

 プレハブ小屋と見紛うばかりの納屋。嵐でもくればすぐにでも吹き飛ばされそうな、そんな壁の薄さが目立つ。むしろ昨日の豪雨によく持ちこたえたものだ。今朝立て直されたと言われても驚かない。

 正造によって目一杯に解放された両開きの扉の奥に、問題の脱穀機はあった。

 中に明かりはないが、屋根の、壁の、あちこちに開いた穴が明かり取りの役目を立派に果たしている。怪我の功名というやつである。

 納屋にはリヤカーや草刈り鎌などがそこここに置いてあるくらいで、他にはなにもない。

 冠水して壊れたという脱穀機のあちらこちらを棕櫚は覗いてみるが、火口は完全に乾いており、水槽部分に水さえ注ぎ足せばすぐにでも動きそうであった。水槽部分に泥が溜まっているのが見えたが、水が沸騰すればいいので些細なことは気にしない。

 正造に許可を取ると、彼は水槽に水を入れ、火を起こす。

 いや、正確には火を起こそうとした。

 火口での作業中になにやら冷たいものを感じ、引き抜いた手をまじまじと眺めてみれば水の粒が伝った。

 何事かと、火口から再び手を入れて火口の天井、水槽の底を確認すると、ざらりとした面がしっとりと濡れている感触がある。

 本来濡れるはずのない部分が濡れているとか、意味が分からない。

 ざらざらとした何かを指先の感覚で確認しつつ、今度は差し込んでくる光にかざしてみれば、指先に付着していたのは白い粉だった。

 金属の腐食による水漏れ。

 先日の平外の言葉を思い出した棕櫚は、やるせなくがつりと脱穀機を殴りつけた。


 平外のように金属の特性を知らない棕櫚には、修理すると言っても水槽を取り替えるくらいのことしかできなかった。

 送っていくという正造を断って、彼は帰路につく。工具や金属板などは、正造が後日運んでくれる約束になった。

 一様にうなだれる向日葵の合間にうずくまる。


 棕櫚は科学が嫌いだ。

 自分たちの尻拭いもせずに、未だ科学技術に守られて安穏としている海底都市が嫌いだ。

 だがこれは、彼が科学を知らないからこそ起こった、人為的なミスだ。

 科学を知り尽くした平外ならば、起こすことなどなかっただろうと思うと、嫌いだからと感情的になって疎かにしてきた自分の愚かさが腹立たしい。


「……嫌いだよ、科学なんか、さぁ」

「そんなこと、言うものじゃないよ」

 上から降ってきた声と共に、くしゃりと髪を撫でられる感覚が懐かしい。

 目線の高さは変わらなくなったはずなのに、手の大きさだって最早変わらないと思うのに、それでも彼の存在は未だ大きく感じられた。

 気になるから身長はいつも比較しているが、手の大きさをわざわざ確認したことはない。

「君たちはまだ科学に守られているんだし、ケイちゃんを生かしたのも科学だろう」

 文句も言わずに土壌の清掃に使われている向日葵の花を引き寄せ、突きながら、見下ろしてくる平外の眼差しは優しい。

 科学の黎明期から暴走を経ての終焉を見守った彼は、まだ、ヒトを見捨てていない。

「帰ろうか、棕櫚。マリーちゃんとケイちゃんが君の帰りを待ってる」

「……うん」

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