ep5

 ドン! ドン! ドン!


「ん... ...。朝か... ...」


 ロベルトの壁に体当りする音と振動で目を覚ます事が習慣となり、テーブルの上には毎朝、私とナインスの為に朝食も用意されている。

 至れり尽くせりとは正にこの事。

 あの後、私は少し考えさせられた。

 壁の向こう側に行くなどどれ程低い確率なんだ。

 そして、その確率を知った時、ロベルトはどう思うのか。

 

「おい! お前! ここで何をしている!」


 恫喝のような声が家の外からし、私はナインスを無理矢理起こし、外に出るとそこには馬に乗った我が祖国の兵士数人がロベルトの周囲を取り囲んでいたがロベルトは聞こえていないのか周りを見る様子すらない。

 数人は鎧を身に纏い、腰には剣を下げ、友好的な雰囲気ではない。

 そして、その鎧をまとった兵士達の後ろには如何にも貴族らしい金髪・ちょび髭の性格の悪そうな中年男が馬に跨り様子を伺っている。

 赤いジャケットの胸ポケットを見ると星が一つ付いており、どうやら星付きの家柄のようだ。

 当然、私とナインスは星無しの一般階級の地位。

 無礼な態度で接すればその場で首を落とされかねない... ...。

 私とナインスは示し合わせたかのように顔を合わせその貴族の前に立ちはだかった。


「お前ら我が祖国の兵士か?」


「はい! 皇帝の命により壁の調査をしている部隊です!」


「ん? 壁? まさか、お前ら4年前に国を追い出された奴等か?」


「え・ええ。追い出された? 私達をご存知で?」


 そうか。

 私達は国で有名人なんだ。

 それはそうだ。皇帝の特別の命により動いている隊だぞ。

 私達が知られているという事実を知り、私は気持ちが高揚したが、それも一瞬で覚める事になる。


「... ...ぷっ」


 貴族の男が私の話を聞いて吹き出すと周囲にいた兵士達もほぼ同時に笑い出し、どうして笑われているのか分からず、頭の中が真っ白になる。


「_____お前ら、皇帝に揶揄われていた事に気付かずにバカじゃないのか?」


 揶揄われていた?

 貴族の男の発言の意味を問う為、今まで無言だったナインスが口を開く。

 

「あの... ...。揶揄われていた? とは一体どういうことですか?」


「ハハハ! 言葉の通りさ! 皇帝はお前らの存在などとっくに忘れているってことだよ!」


「え? 忘れている? そんな... ...。嘘だ... ...。国の将来がかかった特別な任務だと皇帝は私達に言いました!」


「馬鹿か! そんな訳がないだろう! 皇帝のヒマ潰しにお前ら付き合わされただけに決まってるだろう!」


「嘘だ... ...。じゃあ、俺達は何のために4年も... ...」


 言葉が詰まったナインスの横顔を見ると目元から一筋の雫が通った跡が頬にくっきりと残っており、ナインスは両の手を強く握り締めながら身体を小刻みに震わせていた。

 無理もない。

 私達が二年間もやってきたことはただの徒労であったのだから。

 今まで何も分かっていなかった壁の末端の部分の謎を掴みかけた私達に送られたのは惜しみない拍手や喝采、豪華な褒美と労いの言葉ではなく、馬鹿なネズミに向けられるような嘲笑だった。


「そうか... ...」


 ナインスは何か諦めたかのように私にだけ聞こえるような声でそう呟くと貴族の男の方まで歩き、右の拳を振り上げ、貴族の男の口元を力一杯殴った。

 貴族の男は殴られた衝撃で1m位後ろに吹っ飛び、死んだカエルのようにピクリともしない。

 その様子を見て、周りにいた兵士達は腰に差していた剣を抜き、私達に向けてくる。


「ごめんな。レイワード。我慢出来なかったんだ」


「いや、いい。君がやらなきゃ私がやっていた事だ」


 ナインスにとって私の反応は意外だったのだろう。

 こちらを振り返り、ナインスは今度は歯を見せながら不器用そうに満面の笑みを向ける。


 そういえば、4年も君と一緒に行動をしてきたのにそんな満面の笑みを見るのは初めてだ。

 こんな愛嬌のある笑顔をする奴ならもう少し深い話でもしておけば良かったと私は若干惜しい事をしたと思っている。


 どうあがいても私達はこの場で処刑されるだろう。

 まあ、嫌味な貴族に一太刀入れたんだ。

 知らない国の辺境の地で野垂れ死ぬよりはマシじゃないか。


 非力な私は抵抗しても勝てるはずもない。

 私は覚悟を決めるつもりゆっくりと目を閉じた。


 ドン! ドン! ... ...。


 先程まで辺りに鳴り響いていたロベルトの壁に当たり続ける音がやんだ。


「なんだ! 貴様!」


 兵士の一人が怯えるように叫び、それと同時に目を開けると兵士達の目線は標的である私達よりも遥かに上の方に向けられていた。


「お・俺?」


 彼らの目線の先には緊迫した状況も知らずに立っているロベルトの姿。

 どうやら、自分の実の丈よりも遥かに大きなロベルトの威圧感に兵士達は戦いているようだ。

 そして、兵士の一人が恐怖からか突発的に持っていた剣を振りかざし、朝日を浴びた刃先の光が私の目に入り、反射的に目を閉じる。


 ああ。

 私はこれで死ぬのか... ...。

 

 死を覚悟したにも関わらず体の何処にも痛みを感じない、気になり目を開けると目の前には山のような大きな影。

 

「ろ・ロベルト!」

 

 背中を向けているロベルトの足元には乾いた土が血を吸込み、ドス黒い泥の塊が出来ている。

 

「い・今だ! 殺せ!!!」


 兵士の一人が声を上げると周りにいた兵士達が自身の体よりも大きなロベルトにアリのように群がる。

 ______このままではロベルトが死んでしまう。

 そう思うのだが恐怖のあまりに足が動かない。

 ああ。私は目の前にいる友を助ける事は出来ないのか... ...。

 自身の無力さを嘆く中、ロベルトは私とナインスを抱きかかえ、逃げようと走りだすが意識が朦朧としていたのか頭から壁に激突してしまう。


「ロベルト! もういい! 君が死んでしまう!」

「そうだ! ロベルト! 俺達を離せ! 俺達を差し出せば君の命は助かるかもしれない!」


 耳元でロベルトに大きな声を出して説得するが、彼は何も聞こえていないのか返答がない。


「ロベルト! 起きろ!」

「ロベルト!」


 私とナインスは体の動く範囲でロベルトの背中や顔、腹を叩いたりするが状況は変わらず。

 このままでは三人とも殺されてしまう... ...。

 

「ロベルト! レイラに会うのだろう!? 死んでもいいのか!?」

 

 咄嗟に彼女の名前がついて出た。


「... ...れ・レイラ」


 微かだがロベルトが反応する。


「そう! レイラだ!」


 するとロベルトは血まみれになりながらも壁に身体を預けるようにして立ち上がり、頭をコツコツと壁に当て続ける。

 それを見た兵士達は「気が狂ったのかよ」とロベルトを指差し笑う。


「お前ら笑うな!!!!」


 ナインスが涙ながらに訴えるが兵士達は瀕死の弱者を笑う。

 

「ナインス... ...。私達は幸せ者だ。普通の兵士になっていれば私達も彼等のようにこの状況を笑っていたかも」


「あ・ああ! そうだな! お前の言う通りだ! 俺達は幸せ者だよ!」


 本当にナインスはそう思っているのだろうか。

 小鹿のように震えるナインスの足を見るに強がっているようにしか見えなかった。


 _______トプン。



 ん?

 その時、私の耳にまるで湖に小石を落とした時のような音が聞こえ、辺りを見回す。

 だが、この平原の周りには湖はおろか水たまりもなく、音の発信地を特定出来ないでいると。


「お・おい! あれ!」


 今まで笑っていた兵士の一人が私達を指を差す。

 そして、伝染病のようにそれは周囲に広がり、兵士達の顔色はどんどんと変わっていった。

 そういえば... ...。ロベルトの壁に頭を打ち付けている音がしない... ...。

 ナインスも状況が分からず、後ろを振り返ると兵士達が驚いている原因がそこにある事に気が付き、一気に顔が青ざめた。

 私も何が起きたのか気になり上を見上げる。


「ろ・ロベルト?」


 ロベルトに呼びかけるが返答はない。

 それもそうだ。

 ロベルトの頭は壁に飲まれていたのだから。


 私が今の状況を理解した時、ロベルトは抱えていた私もろとも全身を黒い壁に預け、ゆっくりと壁の中に飲み込まれていった。

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