第37章:消え失せた魔力

[1] スモレンスクの奪回

 8月初め、モスクワの「最高司令部」はオリョールとハリコフにおける成功をもとに、3度目の総攻撃を命じた。目標は前年の冬季戦と同じく、スモレンスクから黒海に至るドニエプル河の線とされた。

 8月7日午前6時半、西部正面軍(ソコロフスキー大将)はロスラヴリ東方から攻撃を開始し、「スヴォーロフ」作戦を発動した。次いで北翼のカリーニン正面軍(エレメンコ大将)が同月13日、スモレンスクの正面から攻撃を開始した。

「スヴォーロフ」作戦は中央軍集団の第四軍と第九軍からスモレンスクを奪回することを目的としたものであったが、中央軍集団の陣地は18か月に渡って固められていた。このため、ソ連軍の攻勢も堅固な陣地にぶつかって、その勢いを何度も削がれることになった。また、ドイツ空軍の航空偵察によって、西部正面軍の攻撃意図は見抜かれてしまっていた。

 堅固な陣地の攻略に手間取ったことで、結果として協同作戦の失敗も招いた。「スヴォーロフ」作戦の調整のために派遣されていた「最高司令部」代理ヴォーロノフ大将は、もはや奇襲の可能性が失われてしまったことを悟った。

 スモレンスクの迅速な奪回に失敗した西部正面軍は9月7日に再び攻勢を行って、同月25日にようやく同市を奪回した。大きな代償を支払うことにはなったが、ハリコフの周辺に展開していたドイツ軍16個師団を北翼に引き付けることには成功した。スモレンスクの陥落に引き続いて、「最高司令部」は白ロシア解放に着手するよう命じた。

 スモレンスクとブリャンスクの南方ではオリョール突出部の縮小後、中央正面軍(ロコソフスキー上級大将)とブリャンスク正面軍(ポポフ大将)が、クルスクよりはるかに不利な地形と堅固な陣地に悩まされていた。

 8月26日、中央正面軍は「チェルニゴフ=プリピャチ」作戦を開始した。中央軍集団の情報部がソ連軍の攻撃の焦点を見破ったため、第2軍に防御を許してしまった。

 たちまち窮地に陥った中央正面軍は4日間で、25キロしか進撃できなかった。この戦局を打開するため、ロコソフスキーは第13軍と第9戦車軍団を夜中に200キロ南翼へ移動させた。そのため、中央軍集団の情報部はこの部隊を見失ってしまった。

 8月27日、中央正面軍は第2軍の南翼に対する攻撃を再開した。中央正面軍はどの部隊もクルスクとオリョールを巡る戦闘で、はなはだしく消耗していたが、参謀業務は滞りなく進められた。

 中央正面軍の南翼では、ブリャンスク正面軍が9月1日から、ブリャンスクへの攻撃を開始した。その進撃は遅々として進まず、1日にわずか2キロに過ぎなかった。

 9月17日、第50軍(ボルディン大将)は第9軍の北翼に対する攻撃を行い、ブリャンスクを奪回した。その後、ブリャンスク正面軍は中央正面軍の前進と協同してドニエプル河に急行した。ブリャンスク正面軍は10月3日、ゴミョル北方でドニエプル河の堤防に達した。

 中央部と北部におけるソ連軍の一連の攻勢はドニエプル河に到達するという目標こそ達成したが、中央軍集団の陣地帯を活用した「陣地防御」によって目立った戦果を挙げられずに終了したのである。

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