[5] プロホロフカ攻防戦
7月12日午前4時、第5親衛戦車軍司令部はヴォロネジ正面軍司令部から、ただちに麾下の戦車部隊を用いた反撃作戦を開始せよという命令を受け取った。ヴォロネジ正面軍司令部が作成した第5親衛戦車軍の反撃計画は、第18戦車軍団(バハロフ少将)と第29戦車軍団(キリチェンコ少将)によって、プロホロフカに迫るドイツ軍を南北から挟撃するという内容だった。
午前6時、今にも雨が降りそうな曇り空の下、ドイツ空軍のBf109戦闘機が戦場の上空に飛来した。戦闘機のパイロットは「十月」国営農場や252・2高地の東方に、大規模なソ連軍の戦車部隊が集結しているのを発見し、地上の空軍連絡員に通報した。
第2SS装甲軍団は数日前からソ連軍の戦車部隊がプロホロフカに集結しつつあることを空軍から伝えられていたため、麾下の装甲部隊は万全の態勢でこれを「迎え撃つ」ことが出来た。一方、第5親衛戦車軍はソ連空軍が偵察で得ていたドイツ軍の展開状況を全く知らされていなかった。
午前6時30分、第18戦車軍団は先陣を切って、「十月」国営農場に布陣する第1SS装甲師団「LAH」に対する反撃に乗り出した。しかし、2時間に渡る攻防の末、第18戦車軍団は大きな損害を被って、北東へ退却を余儀なくされた。
午前8時30分、第2戦車軍団(ポポフ少将)が第2SS装甲師団「帝国」の側面に攻撃をしかけた。第18戦車軍団も午前9時に協同して、第1SS装甲師団「LAH」に対する2回目の反撃に乗り出した。この時も、ドイツ軍はソ連軍の波状攻勢を粉砕することに成功した。
午前9時30分、第1SS装甲師団「LAH」は「ティーガー」の他にⅢ号突撃砲などを投入して、2時間ほどの間に、約70両近いT34とT70を撃破した。それでも、第5親衛戦車軍は新手の戦車を投入することを止めなかった。
第2SS装甲軍団司令部はこの日、装甲部隊の最北部にいる第3SS装甲師団「髑髏」に攻撃の重点を置いていた。第3SS装甲師団「髑髏」に対してはプショール河を渡り、その北東約5キロの位置を走るカルタシェフカとプロホロフカを結ぶ道路を占領するよう命じた。この道路はカルタシェフカから北西にオボヤンに通じており、南方軍集団にオボヤンへと進撃できる可能性が生まれた。
第1SS装甲師団「LAH」は第3SS装甲師団「髑髏」が突破に成功すれば、続いてプショール河を渡り、オボヤンへ突進する手はずだった。しかし、第5親衛戦車軍の大規模な反撃が実施され、第1SS装甲師団「LAH」をプショール河の北翼からオボヤンに進出させる方策は実行が不可能な状態に陥ってしまう。
午後1時、第29戦車軍団が第1SS装甲師団「LAH」と第2SS装甲師団「帝国」の境界線を切り裂くように襲いかかった。第2親衛戦車軍団も東翼から攻撃に加わり、ドイツ軍の装甲部隊は態勢を立て直すために退却を余儀なくされる。数両のT34は第1SS装甲師団「LAH」の後方に位置するコムソモーレッツ集団農場にまで進出した。
態勢を立て直した第1SS装甲師団「LAH」と第2SS装甲師団「帝国」は再び西翼から攻勢に転じ、日没までに250両近い敵戦車を撃破してプショール河東岸の陣地を保持し続けた。プショール河の北翼に進出した第3SS装甲師団「髑髏」はカルタシェフカとプロホロフカを結ぶ道路を遮断することに成功する。
ソ連軍は3個親衛迫撃砲連隊(第66・第80・第316)のカチューシャ・ロケット砲による砲撃で、プショール河の橋頭堡を脅かした。楔型に突出した第3SS装甲師団「髑髏」の周囲に対しては、第24親衛戦車旅団(カルポフ中佐)や第10親衛機械化旅団(ミハイロフ大佐)などを投入し、ドイツ軍のオボヤンへの東進を抑え込もうとした。
戦史上、最大の戦車戦であったプロホロフカ攻防戦は日没までに、独ソ軍双方は自らが勝者であると判定できなかった。ドイツ軍は過酷な戦車戦を繰り返すうちに、機械的な消耗などで稼働戦車を磨り減らしており、もはやプロホロフカを占領する余力すら残されていなかったのである。
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