[3] 膠着する戦場

 北部戦域では、第9軍の後方部隊が予期せぬ混乱に直面していた。

 モーデルの決断により、戦略予備の装甲部隊が狭い攻撃正面に投入されたことで、各師団の後方で輸送車両が入り乱れた。7日の夜が明けると同時に、第41装甲軍団はポヌイリ周辺へ、第47装甲軍団はオリホヴァトカの高地帯へ攻撃を開始した。

 7月7日、第41装甲軍団の第18装甲師団(シュリーベン少将)がポヌイリとその付近の高地を占領しようと、ついに街の北西部で陣地帯への突入に成功した。第13軍は第129戦車旅団(ペトルーシン大佐)とSU152重自走砲を配備された第1442重自走砲連隊がポヌイリの防衛に乗り出し、ポヌイリを巡る戦いはどちらも決定的な戦果を挙げることが出来なかった。

 7月8日、モーデルは戦略予備から第4装甲師団(ザウケン中将)を第47装甲軍団に投入し、第47装甲軍団の東翼でサモドゥロフカへの攻撃を開始した。サモドゥロフカはオリホヴァトカの北方に位置しており、クルスクの方角がよく見渡せるオリホヴァトカの高地帯を占領する上で重要な要所だった。

 第4装甲師団は第13軍と第70軍の境界を突破し、サモドゥロフカを短時間で攻略した後、さらに南方のテプロエに迫った。この戦況に対し、ロコソフスキーは第140狙撃師団(キセリョフ少将)と第11親衛戦車旅団(ブブノフ大佐)を投入してこの間隙を塞ぎ、それ以上の前進を許さなかった。

 この日の夜、モーデルは重要な決断を迫られることになった。このまま、オリホヴァトカへの攻撃を続けるか。それとも作戦の方針を変えるべきか。状況を検討したモーデルはポヌイリの市街戦は継続する一方、オリホヴァトカへの攻撃は装甲部隊の態勢を整えてから行わせるという決定を下した。

 7月9日、ドイツ空軍の爆撃機約100機が、オリホヴァトカ周辺のソ連軍陣地に猛烈な空襲を行った。陣地の周辺に展開していた第2戦車軍の第19戦車軍団(ヴァシリーエフ少将)は大きな損害を被ったが、防御陣地には決定的な打撃を与えることが出来なかった。

 7月10日、モーデルは戦略予備から第10装甲擲弾兵師団(シュミット中将)を、ポヌイリの市街戦に投入した。中央正面軍は第3戦車軍団を寄せ集めた砲兵部隊と、2個親衛空挺師団(第3・第4)で支援させて、ポヌイリへ送り込んだ。ポヌイリの攻防戦は完全に膠着し、ドイツ軍による市街地の占領は絶望的な状態に陥った。

 第47装甲軍団は3個装甲師団(第2・第4・第20)に所属する約300両の戦車がオリホヴァトカに向かっていた。しかし、北部戦域のソ連軍陣地は南部よりも縦深の密度が高く、高地帯の突破を目指すドイツ軍にとって厄介な障害となった。

 ドイツ軍のある将校は、次のように書き記している。

「ソ連軍の戦車は、指揮統制と戦術上の双方で有利な地形を占めており、車体の前方と側面を地面に埋めたT34は巧みに偽装されていて、発見するのは容易ではなかった。横隊を形成するように広く展開していたため、包囲するのも難しかった。これらの半地下戦車を撃破するには、後方に回り込むか、重砲やシュトゥーカの支援を受けるしかなかった」

 第47装甲軍団は大きな損害を被りながら、ようやくオリホヴァトカの北で主陣地帯と第2防衛線を突破した。しかし、第9軍はこの6日間で攻撃開始点からわずかに15キロ前進しただけに留まった。

 中央軍集団司令官クルーゲ元帥はこの日、モーデルから前線の情勢について報告を受けた後、作戦方針の修正を決断した。ヒトラーに対し、次のような内容の報告を提出した。

「敵の執拗な抵抗に遭遇したことにより、攻勢部隊が前進できるのは、1日でわずか2~3キロになっています。迅速な成果を挙げることに失敗したため、今や最小限の損害で敵に最大限の損害を与えることを優先せねばならなくなりました」

 これは「城塞」作戦を中止すべきという、クルーゲの「警告」に他ならなかった。

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