第35章:鋼鉄のコロッセオ

[1] 高地をめぐる攻防

 7月5日、クルスクの南北でドイツ軍の「城塞」作戦が発動された。

 早朝、攻撃の先手を打ったのは、ソ連軍の砲兵部隊による「攻撃準備破砕砲撃」であった。この砲撃は1時間で終わり、ドイツ軍が受けた被害は軽微だったが、中央軍集団は2時間半、南方軍集団は3時間の攻勢の延期を余儀なくされた。

 午前7時30分、北部では第9軍による「城塞」作戦が開始された。1時間に渡る支援砲撃に続いて、第41装甲軍団(ハルペ大将)と第47装甲軍団(レメルゼン大将)が第13軍の北翼から、オリホヴァトカに向かって攻勢に出た。

 第9軍司令官モーデル上級大将は、敵の陣地が地雷と対戦車砲を主体に構築されていることを受けて、攻勢の初期段階で装甲部隊を投入することは無用な損害を招くと判断していた。そのため、装甲師団の大半を後方で温存する方針を採っていた。

 しかし、多くの前線指揮官たちはモーデルの方針に疑問を抱いていた。機動力を持たない歩兵部隊だけでは、陣地の迅速な突破と背後への進撃が十分に出来ないと考えられたからである。この指揮官らの懸念はこの日のうちに的中することになる。

 地雷地帯は、ドイツ軍戦車がソ連軍の対戦車砲の火力の中を切り抜けなければならないように配置されていた。その結果、機動性を失くしたドイツ軍戦車の多くが対戦車砲の餌食となり、歩兵は敵軍の陣地に深く切り裂くことができなくなってしまった。

 この日の攻撃で最も深く進撃できたのは、第47装甲軍団だけだった。第505重戦車大隊(ソーヴァン少佐)と第20装甲師団(ケッセル少将)は第13軍の第29狙撃軍団(スリシュキン少将)の前線を7、8キロ前進したが、他の部隊は攻撃開始点からわずか1、2キロしか進撃できなかった。

 午後5時頃、戦況を鑑みたモーデルは当初の方針を撤回し、第47装甲軍団に2個装甲師団(第2・第9)、第41装甲軍団に第18装甲師団を投入する命令を下した。まずは、オリョールとクルスクを結ぶ鉄道の要衝ポヌイリの攻略を第一目標とした。

 中央正面軍司令官ロコソフスキー上級大将はかねてより立案されていた防衛計画に基づき、第二防衛線に展開する第13軍の2個親衛狙撃軍団(第17・第18)にドイツ軍を押し返すよう命じた。この反撃は、第2戦車軍が支援する手はずになっていた。ロコソフスキーはスターリンに対して初日の戦況報告を行ったが、スターリンはそれを遮って尋ねた。

「戦場の制空権を握っているのは、我が軍なのか?それとも違うのかね?」

 ロコソフスキーは曖昧な返答でかわそうとしたが、スターリンはそれを許さず、同じ質問を繰り返した。ロコソフスキーは緊張しながら答えた。

「明日には、我が軍が制空権を掌握してみせます」

 7月6日、第16航空軍の爆撃機と地上攻撃機が上空を旋回し、ドイツ軍の陣地に急降下爆撃を繰り広げた。第16航空軍は2日間の空襲で約200機を喪失したが、対するドイツ空軍の第6航空艦隊(グライム上級大将)の喪失は15~18機で制空権の奪取には達成できなかった。

 午前3時50分、ソ連軍の砲兵部隊は70分間の支援砲撃を開始した。砲撃が終わると、第13軍の第17親衛狙撃軍団(ボンダレフ少将)と第2戦車軍の第16戦車軍団(グリゴリエフ少将)が、第47装甲軍団に対する反撃を開始した。だが、この反撃は前線に新たに配備された第2装甲師団(ルッペ中将)と第9装甲師団(シェラー中将)、第505重戦車大隊によって食い止められてしまう。特に、第505重戦車大隊の「ティーガー」はわずか2日間の戦いで、3両の損失と引換えに、100両近いソ連軍のT34を撃破するという戦果を挙げた。

 この日の午後、第41装甲軍団の2個歩兵師団(第86・第292)はポヌイリへ突撃した。第2戦車軍の第3戦車軍団(シネンコ少将)が反撃に出たが、第654重駆逐戦車大隊の「フェルディナント」によって、遠距離から多数のT34を撃破されてしまう。この村では、第29狙撃軍団の第307狙撃師団(エンシン少将)による激しい抵抗と猛烈な砲撃に遭遇し、ドイツ軍は陣地帯の外縁で進撃を阻止されてしまった。

 結局、第9軍は攻撃2日目にして敵前線の大規模な突破を達成することが出来ず、前進した距離は最大でも12キロほどに過ぎなかった。

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