[5] 先制攻撃

 7月4日、南方軍集団の第4装甲軍は「城塞」作戦の出撃拠点として使用する高地帯を占領するため、限定的な攻撃を実施した。第48装甲軍団(クノーベルスドルフ大将)と第2SS装甲軍団(ハウサー大将)が、ヤホントフからゲルツォフカに至る約40キロの正面で突撃を開始した。

 攻撃の矢面に立たされた第6親衛軍の前線では部隊が警戒体制に入っていたが、第2SS装甲軍団は夕方までに奥行き4キロから8キロの帯状地帯を占領することに成功した。第48装甲軍団の戦区ではソ連軍の激しい抵抗に遭い、夜になってようやくゲルツォフカ周辺の高地帯を占領した。

 しかし、高地帯に進出したドイツ軍の装甲部隊は夜間に降り出した豪雨によってそれ以上の前進を阻まれ、視界が悪くなったことで友軍との連絡もところどころで途絶してしまう。ソ連軍は激しい雨によるドイツ軍の混乱を利用して、小規模な工兵部隊をドイツ軍の後方地域へと浸透させ、新たな地雷の敷設作業を行わせた。

 この日の夜、中央正面軍の第13軍に所属する第15狙撃師団が前線の地雷原を撤去しようとしていたドイツ軍の工兵大隊と交戦し、1人を捕虜にした。この捕虜は第6歩兵師団(グロスマン中将)の工兵大隊に所属しており、翌5日午前3時にドイツ軍の攻撃が開始されるという情報を漏らした。

 7月5日午前2時、中央正面軍司令官ロコソフスキー上級大将は第13軍司令官プホフ中将から、翌5日にドイツ軍がクルスクへの攻撃を開始するという報告を受けた。

 中央正面軍司令部には、モスクワとの調整役として最高司令官代理ジューコフ元帥が派遣されていた。スターリンは作戦の調整と監督のために、「最高司令部」代理の制度を活用した。ジューコフやヴァシレフスキーなどの高級将校を起用して、赤軍参謀本部と各正面軍司令部との間を取り持たせたのである。

 ロコソフスキーはジューコフにたずねた。

「どうしましょうか?攻撃準備破砕砲撃を開始すべきでしょうか?」

「ただちに砲撃の準備をしたまえ。最高司令官には、私がすぐ電話で報告する」

 同じ情報はただちに、ヴォロネジ正面軍司令部に派遣されていたヴァシレフスキーにも伝えられた。ジューコフとヴァシレフスキーは事前の準備に従い、ドイツ軍の攻撃が始まる直前に敵の前線部隊や支援砲兵を制圧するため、大規模な砲撃を実施するよう準備を命じた。

 ヴォロネジ正面軍では午前1時10分、中央正面軍では午前2時20分に、それぞれ砲兵部隊による「攻撃準備破砕砲撃」が開始された。前線に近い火砲は偽装を保持する必要性から砲撃には参加せず、後方地域に展開する重砲のみで実施された。

 モスクワの「最高司令部」の承認を得て、急きょ実施された「攻撃準備破砕砲撃」だったが、ジューコフやヴァシレフスキーが期待したほど大きな制圧効果は得られなかった。

 ドイツ軍の前線では第一撃に投入される部隊がまだ攻撃発起点に展開しておらず、着弾点が広範囲に分散したため、ドイツ軍への打撃はきわめて限定的なものに留まった。中央正面軍の前線では、時間をおいて二度目の砲撃が実施されたが、敵部隊への制圧効果はさほど大きくなかった。

 中央正面軍の「攻撃準備破砕砲撃」が午前4時に終わると、半時間後に戦線の反対側から第9軍による攻撃前の支援砲撃が開始された。

 また、ヴォロネジ正面軍はこの日の未明、第2航空軍に対してハリコフとその周辺に展開するドイツ空軍の航空基地への先制爆撃を命じた。ドイツ空軍は「フライヤ」と呼ばれるレーダー装置でソ連空軍機の来襲を探知し、戦闘機と高射砲で迎撃した。その結果、ソ連空軍の航空機は目標到達前にほとんど撃墜されてしまい、敵の航空戦力を無力化しようというヴァトゥーティンの目論見は完全に失敗した。

 独ソ両軍による夏季戦、クルスク攻防戦の始まりだった。

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