[2] ソ連軍の動揺

 6月16日、ヒトラーはイタリア方面での戦局悪化が、危惧されたような深刻な事態に陥っていないことに安心し、「城塞」作戦の実施に再び意欲を見せ始めた。ヒトラーの「城塞」作戦方針として戦車の質によって台数の劣勢を克服しようとしたが、その新兵器にはまだ大きな問題が残されていた。

 Ⅴ号中戦車「パンター」はソ連の主力戦車であるT34から影響を受けた戦車だったが、主砲である長砲身(70口径)の75ミリ砲はソ連軍の全ての戦車を撃破できた。しかし、国内の工場では設計上の不良を完全に改良することが出来ず、走行中にエンジンから発火するなどのトラブルを起こしては訓練を中断させていた。

「パンター」の前線部隊への配備は5月中には完了していたが、新型戦車を操縦する戦車兵たちのほとんどがまだ戦場を知らない新兵ばかりだった。このように「パンター」の実戦での運用には不安を残すような形となり、新兵器に関する問題はグデーリアンからヒトラーに報告があげられていた。

 6月21日、ヒトラーは「城塞」作戦の開始日を同月25日から7月3日まで延期する命令を下した。「新兵器の完成を待って攻勢を行う」と明言した以上、自身の方針を変えるわけにはいかなかった。

 ヒトラーによる攻勢開始日の度重なる延期は、敵の襲来を待ち続けるソ連軍にも、予期せぬ効果をもたらしていた。

 モスクワの「最高司令部」は5月だけで5回に渡り、敵の大攻勢に備えて「最高警戒態勢」を取るよう前線部隊に命令を下していた。しかし、5回の警報が全て空振りに終わったことで、前線に展開する将兵の間では失望と士気の低下が起こり始めていた。

 5月下旬、ヴォロネジ正面軍司令官ヴァトゥーティン上級大将は、攻勢計画の情報がソ連軍に漏れていることを察知したドイツ軍がクルスク攻勢を放棄したのではないかと疑心暗鬼に陥っていた。

 そこで、ヴァトゥーティンは正面軍に配備された戦車軍団を用いてビエルゴロド周辺へ先制攻撃をしかけてはどうかと、スターリンに提案した。ヴォロネジ正面軍の後背には、4月15日に「ステップ軍管区」と改称された戦略予備軍が配備され、軍管区司令官には元南西部正面軍副司令官ポポフ中将が任命されていた。

 ポポフはこの年の2月、ヴァトゥーティン率いる南西部正面軍で複数の戦車部隊を統合させた「ポポフ機動集団」を指揮して、ドネツ河からドニエプル河への突進―「ギャロップ」作戦を行い、マンシュタインの「後手からの一撃」を受けて壊滅させられたという苦い記憶を胸に抱いていた。ポポフもまた、ヴァトゥーティンと同様に一刻も早く攻勢に転じたいと考えていた。

 スターリンは当初、ヴァトゥーティンの提案に同意する姿勢を見せた。先制攻撃を望むスターリンに対し、ジューコフとヴァシレフスキー、参謀次長アントーノフ中将の3人が説得を行った。スターリンは翻意し、従来通り「敵に先手を打たせて消耗させてから反撃攻勢に転じる」という戦略を保持することが確認された。

 スイスを拠点とするソ連の諜報員たちも、明確な理由のない攻勢開始延期の情報を繰り返しモスクワへ送るうち、果たしてドイツ軍は本当にクルスク攻勢を行うつもりがあるのかという疑問を抱き始めていた。

 6月23日、スイスの《ドーラ》は次のような「ヴェルテル」情報をモスクワへと打電した。

「国防軍総司令部は状況がどうであれ、ロシア中部で大規模な攻勢作戦を実施することを望んでいない。それゆえ、ドイツ軍が5月から6月初頭にかけて準備してきた南部戦域での攻撃は、今ではもう用済みになった」

 モスクワの「最高司令部」にとって、ヒトラーがクルスク攻勢を中止したかもしれないという情報は決して望ましいものではなかった。むしろ敵の装甲部隊を壊滅する好機を逃すことを意味しており、依然として敵のクルスク突出部への総攻撃は近いうちに実施される可能性が高いと予想していた。

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