第34章:蠢動

[1] 枢軸国の動向

 陸軍の指揮官たちがもっぱら軍事的観点から1943年度の夏季戦を検討していたのに対し、ヒトラーの思考は第2次世界大戦勃発以来、一貫して軍事よりも政治・経済的な問題に重きを置いていた。

 本来ならば半年で終わるはずだった対ソ戦がつい3年目に突入したことで、枢軸国の間では欧州大戦の行く末に対する不安が増すばかりだった。実際に、ルーマニアやハンガリーではソ連軍の冬季反攻の成功で戦線が大きく西へ押し戻された戦況を観て、今後の情勢次第ではドイツの敗北も有りうると考え、早くも中立国経由で西側連合国との講和を探り始めていた。

 こうした同盟国の動きはすぐにドイツの諜報員に探知され、ヒトラーは即座に対応策を講じることを迫られた。ドイツの戦時経済は特に、ハンガリーの石油や鉱物資源に大きく依存していた。今後も枢軸陣営に留まらせるためには、ドイツ軍が戦場で新たな軍事的な勝利を挙げる必要があったのである。

 イタリアでは連合国との和平を秘密裏に模索する動きは、まだ存在しなかった。だが、イタリア国内におけるベニト・ムッソリーニの政治的威信は、1943年春には著しく低下していた。最悪の事態によっては、ムッソリーニの失脚とファシスト政権の崩壊という可能性も考えられた。

 ムッソリーニの政権基盤が弱体化した理由として、イタリア軍の主戦線である北アフリカにおける相次ぐ軍事的敗北と、重要な植民地であるリビアの喪失、政治的腐敗に対する国民の不満などが挙げられる。

 ソ連軍による「天王星」作戦と同時期の1942年11月、エジプトでイギリス軍が開始した「スーパーチャージ」作戦により、ドイツ・イタリア装甲軍(ロンメル元帥)は全面的な退却を強いられた。1943年1月には、エジプトとチュニジアの中間に位置するリビア全土がイギリス軍に奪回された。

 5月13日、北アフリカのチュニジアで戦いを続けていたアフリカ軍集団が連合軍に降伏した。地中海における戦争の流れはより一層、ドイツにとって不利な戦況に陥った。北アフリカ全域を確保した連合軍は近い将来、イタリア南部のシチリア島またはギリシャに侵攻すると見られたため、ドイツ国防軍総司令部はこれらの戦区に展開する守備隊を増強する必要に迫られた。

 北アフリカでの敗北により、イタリア国内で政治的動揺が発生する可能性を危惧したヒトラーはこの日、「城塞」作戦の開始を6月25日まで延期すると決定を下した。

 攻勢の延期が重なるほど、東部戦線における自軍の状況は悪化していくと考えていた陸軍の指揮官たちは、ヒトラーの決定を受けて暗澹たる心境になった。枢軸国に対する政治的威信の失墜を恐れるヒトラーには、攻撃の中止という選択肢は存在しなかった。クルスク攻勢の実施に異議を唱えるグデーリアンに対して、ヒトラーはこう言い放った。

「この攻撃のことを考えると、私自身も胃がひっくり返りそうになるのだ!」

 ヒトラーの心中は対ソ戦の手詰まりと地中海方面における連合軍の進撃に合わせ、ある中立国の動向が気にかかっていた。

 東部戦線と地中海の間に位置する、トルコである。

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