[3] ドイツ軍の配置状況
ドイツ軍は7月1日の時点で、クルスクの北部戦域に第9軍(モーデル上級大将)、南部戦域に第4装甲軍(ホト上級大将)とケンプ支隊(ケンプ大将)が布陣していた。総兵力は兵員68万5000人(後方支援部員を含む)、約9000門の火砲、約2800両の戦車と突撃砲を展開させていた。また、航空支援として、南北合わせて1850機の戦闘機と爆撃機が戦線の背後に待機していた。
北部戦域を担当する第9軍には、2個軍団(第20・第23)と3個装甲軍団(第41・第46・第47)が含まれていた。配備された21個師団と11個大隊には、戦車・突撃砲1014両が所属していた。
南部戦域は西から南東にかけて、第4装甲軍とケンプ支隊に、3個軍団(第11・第42・第52)と3個装甲軍団(第2SS・第3・第48)が所属していた。師団数は19個師団だが、戦車・突撃砲は北部戦域よりも多く、合計で1514両であった。
ドイツ軍が「城塞」作戦で投入した戦車のうち、最も数が多かったのはⅣ号中戦車(702両)であり、次いでⅢ号中戦車(648両)だった。「城塞」作戦に先立ち、Ⅲ号とⅣ号はソ連軍の対戦車ライフルに対処するため、砲塔の側面に薄い補助装甲板(シュルツェン)を装着していた。
新型のⅤ号中戦車「パンター」は第4装甲軍の第10戦車旅団(第51・第52戦車大隊)のみ200両が配置された。Ⅵ号重戦車「ティーガー」は北部の第505重戦車大隊(31両)と南部の第503重戦車大隊(45両)、第4装甲軍の各装甲師団にそれぞれ1個中隊(13~15両)に配備され、南北合わせて143両が投入されていた。
これらの戦車部隊による攻勢を空から支援するため、ドイツ空軍は30ミリないし37ミリ機関砲1門と20ミリ機関砲2門を搭載した対戦車攻撃機ヘンシェルHs129を64機、さらに対戦車能力を向上させた急降下爆撃機(シュトゥーカ)Ju87を、少数ながら実戦部隊に配備していた。
6月26日、トルコ陸軍参謀総長トイデミル大将を団長とする視察団が、クルスクの南部戦域の攻撃発起点であるビエルゴロド近郊で第4装甲軍の戦術演習を見学した。
同盟国でもないトルコの陸軍高官に戦術演習を視察させたことは、機密保持の観点からすれば、ほとんど暴挙に等しかった。トルコはすでに、1943年1月からイギリスの政府首脳と秘密会談を行っていた。イギリスは水面下でトルコを連合国側に立たせて参戦させる工作を行っていたのである。
軍事よりも政治を優先させるヒトラーの脳裏にはトルコが連合国側につけば、ドイツにとって最も重要な同盟国であるルーマニアのプロエシュチ油田やバルカン半島における危機が一気に増大してしまうことが考えられた。そこで、ヒトラーはトルコが伝統的にロシアの南下政策に対して神経質になっていることにつけこんだ。ソ連を阻止できるのは連合国ではなく、ドイツであると深く印象づける必要があったのである。
7月1日、ヒトラーは東プロイセンの総統大本営に「城塞」作戦を指揮する全ての軍司令官および軍集団司令官を招集した。長い沈黙の後、ヒトラーはようやく口を開き、最終的な攻撃開始日を指揮官たちに告げた。
「『城塞』作戦の開始日を7月5日とする。この日をもって、ドイツの命運はここに集められた将官の手に委ねられる」
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