[3] 逡巡

 ドイツ軍の攻勢がクルスク突出部に向けられるであろうという赤軍参謀本部の分析は、海外の諜報員から次々と寄せられる情報によって確実に裏付けられていった。

 欧州における赤軍参謀本部情報局(GPU)の諜報活動の拠点であるスイスでは、ルドルフ・レスラーやアレクサンドル・ラドーなどの諜報員たちが活発にドイツ軍の情報を収集していた。ドイツ陸軍参謀本部が三月初旬からクルスクへの攻撃計画の検討を開始すると、その内容はドイツ軍内部の協力者を通じて逐一、スイスの赤軍諜報員を経てモスクワへと届けられた。

 レスラーやラドーに情報を提供していたドイツ軍の協力者の中には、陸軍総司令部通信部長フェルギーベル大将や、国防軍総司令部通信部長ティーレ少将などの大物が含まれていた。ティーレの下に集められた国防軍の情報は《ヴェルテル》という秘匿名を付された上で、スイスへと転送された。

 赤軍参謀本部はドイツ軍のクルスク攻勢計画に合わせて、突出部の一帯に強力な陣地を幾重にも張り巡らせた。ハリコフ東方を流れるドネツ河からオリョール南東に至る長大な前線に主陣地帯と第二線陣地帯、後方防御陣地帯の三層による防御線が構築され、ドイツ軍が合流を目指すクルスク周辺でも三層の防御陣地が構築された。

 総延長5000キロ以上、深さ160キロという縦深を備えた巨大なクモの巣のようなソ連軍の陣地構築は、ドイツ軍の航空偵察でも十分に察知されていた。

 一旦は「城塞」作戦に承認を与えたヒトラーだったが、「開戦指令第六号」を発令してから数日後、電話でツァイツラーを呼び出した。「城塞」作戦の基本構想に、多少の疑問を抱き始めていたヒトラーは、次のような作戦計画の変更を提案した。

「クルスク突出部に対する挟撃作戦は敵も当然予想し、それに備えて待ち構えているのは確実と見るべきだろう。よって南北からの挟撃は放棄し、代わりに南方と中央の両軍集団から抽出した攻撃部隊を1本にまとめて、クルスク突出部の正面を攻撃して、敵の兵力を2つに割る方が良いのではないか?」

 4月21日、ベルヒデスガーデンの山荘でツァイツラーはヒトラーと面会し、資料を示しながら、ヒトラーの作戦変更案に反論した。もし攻勢の主力となる中央軍集団の第9軍と南方軍集団の第4装甲軍の大幅な配置変更を行うならば、「城塞」作戦の開始日は致命的なまでに遅れるというのが反対理由だった。

 しかし、現状の「城塞」作戦に対して、作戦の立案に関与した第9軍司令官モーデル上級大将が懸念を示した。モーデルが突出部の北翼からソ連軍の前線を突破するには「3日必要」と評価し、自軍の装甲兵力の不足を問題視していることを知り、ヒトラーは「城塞」作戦の前途に不安を感じた。そこで、ヒトラーはモーデルをベルヒデスガーデンの山荘に呼び寄せ、詳しい話を聞くことにした。

 4月27日、ヒトラーと面会したモーデルは航空偵察の写真を示し、「第九軍がクルスクまで進撃するには、きわめて強力な対戦車砲を備えた縦深約20キロのソ連軍陣地帯を突破しなくてはなりません」と述べた。その写真は、ソ連軍がクルスクに強力な陣地を構築していることを裏付けるものだった。

 また、モーデルは当時の装甲師団の主力であるⅣ号戦車では、ソ連軍の新型対戦車砲に対抗するのは難しく、攻撃部隊は突破の途中で身動きが取れなくなるのではないかという予想を伝えた。ヒトラーはモーデルの考えに同調する態度を見せ、「城塞」作戦の開始を当初の5月3日から5日に延期すると決定した。

 4月29日、ヒトラーは攻撃部隊に充分な戦車と火砲を集結させるためとして、作戦開始日を5月9日まで延期すると命じた。

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