[2] ソ連軍の夏季戦計画
ソ連軍はこれまでの冬季戦で、大規模な攻勢をしかけ、全てのことを一気に終わらそうとしてきた。その結果、部隊の集結や兵站に支障をきたし、目標を完遂することができなかった。
この事実を踏まえた上で、最高司令官代理ジューコフ元帥と参謀総長ヴァシレフスキー元帥の出した結論は1943年度の夏季戦を「防御戦」に転じて、ドイツ軍の兵力を吸収・減衰させることを優先させるというものだった。
4月8日、前線を視察したジューコフがスターリンへ提出した情勢評価の報告は、次のような内容だった。
「この春から夏までの期間に、ドイツ軍が実行する攻勢は、次の三段階にわたるものと予想される。
第一段階は、13ないし15個装甲師団を投入する形で、クルスク突出部を全方向から挟撃すること。第二段階は、この突出部の東側に位置する、ドネツ河とオスコル河に挟まれた領域への支配地域の拡大。そして第三段階は、そこからドン河へ進出して、ヴォロネジを再び占領すること。
もし、この第三段階が首尾良く成功すれば、ヴォロネジとその北西のエフレモフから、モスクワの背後を脅かすような北東への第四段階の攻勢を実施することも可能な状況となります。とはいえ、我が軍が先手を取って、敵に先んじて攻勢を行うのは得策とは思えません。敵は依然として強力な戦力を保持しているからです。
よって、我が軍は防備を固めて敵に先手を取らせ、無理な攻勢で敵の戦車を消耗させ、敵が疲弊して限界に達した段階で、温存していた予備兵力を投入して逆襲に転じ、敵主力を一気に撃滅するのが得策であろうと考えます」
4月12日、クレムリンで1943年度の夏季戦に関する戦略会議が開かれた。
ジューコフは情勢評価の通り夏季戦の焦点はクルスクでほぼ間違いなく、敵の攻撃開始時期は5月下旬であると述べた。戦車部隊の再建や再配置を考慮に入れて、敵の攻勢を迎撃する形式で行うべきだと提言した。
スターリンは未だ第6軍の壊滅の興奮が収まっておらず、ジューコフの提案に不満を示して、「泥濘期」が終わり次第ただちに攻勢に出るべきだと反論した。これに対し、ヴァシレフスキーは最初こそ守勢に立つが、それは予定された攻勢のための下準備に過ぎないと答えた。この言葉にスターリンは納得して、彼らの提案を受け入れた。
指揮官らの裁量を奪うヒトラーと対照的なスターリンのこの態度は、2年間の戦争を通じて多数の有能な指揮官と参謀将校が生まれたことで、「天王星」作戦の成功以来、部下の将軍たちを徐々に信頼するようになっていたからであった。
しかし、クルスクにおける防御準備は単に「最高司令部」が立案した攻勢計画の一部でしかなかった。つまり、ソ連軍は最初から複数の「作戦」を連動させて一連の「戦役」を構築し、戦略的な勝利を目指すことを考えていたのである。
クルスクでドイツ軍の攻撃を阻止したならば、直ちに西部正面軍・ブリャンスク正面軍・中央正面軍はクルスク北方のオリョール突出部を攻撃する「クトゥーゾフ」作戦、ヴォロネジ正面軍と新設のステップ正面軍はクルスク南方のハリコフを再び奪回する「ルミャンツォフ」作戦を実施することになっていた。
また、この2つの攻勢の間には、南西部正面軍・南部正面軍による北ドネツ河とミウス河への牽制攻撃が含まれていた。この牽制はドイツ軍の戦略予備を、「クトゥーゾフ」作戦・「ルミャンツォフ」作戦の主な攻撃目標から逸らす目的があった。さらに、2つの攻勢が完了した時点で、ソ連軍はさらなる攻勢に乗り出すことになっていた。
夏季戦の最終目標は、ドニエプル河であった。
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