[4] 武器貸与法の影響

 1942年から43年にかけては、米英連合国による各種軍需物資の援助がソ連に届き始めた時期でもあった。

 1941年3月に米連邦議会で可決された「武器貸与法レンドリーズ」に基づき、米英両国はアルミニウムや石炭をはじめとする大量の資源をソ連に供給した。この供給によって、ドイツ軍に奪われた資源の穴埋めがなされ、ソ連の軍需産業は格段に早く回復することが可能となった。

 これら原料の他に連合国は約110億ドルに相当する軍服3400万着、軍靴1450万足、食糧450万トン、機関車と車両11800両をソ連に給与した。兵器生産に必死であったため、機関車を戦争の全期間を通じてたったの92両しか生産できなかった点を考えると、給与品目の機関車は重要であった。

 また同様に、これらの品目の中で特に重要だったのが、軍用トラックである。工場では戦車の生産が最優先され、国産のトラックの品質が劣悪だったこともあり、ソ連軍ではトラックが恒常的に不足していた。

「武器貸与法」により、終戦までにソ連軍のトラックのうち3台に2台は外国製で占められていた。その中には輸送用トラック40万9000両とジープ4万7000両が含まれる。特に頑強で故障が少なく、不整地走破能力の高いアメリカ製の「ウィリス」や「スチュアートベーカー」は好評をもって迎えられた。

 トラックの供給によって、ソ連軍の兵站における最大の不備のひとつが解消された。すなわち、ドイツ軍の背後まで突破した後の機動性と補給の維持が可能となったのである。

 これ以外の「武器貸与法」による兵器の供給では、戦車7056両、航空機1万4795機、火砲8218門を受領した。供給された戦車と航空機については「連合国側が二線級の兵器を給与している」として、ソ連は不満を募らせた。

「小土星」作戦で投入された第5機械化軍団は戦車193両のうち、その大部分はイギリスから給与された「マチルダⅡ」歩兵戦車、「チャーチル」歩兵戦車、「ヴァレンタイン」歩兵戦車だった。「チャーチル」や「ヴァレンタイン」の評判は悪くなかったが、砲塔が小さく40ミリ以上の砲は搭載できなかった。そのため、ドイツ軍の新型戦車に対しては全く歯が立たず、実戦では耐えられないものと判断された。

 アメリカからはM3中戦車「リー」、M4中戦車「シャーマン」が供給された。車高が高く装甲が薄い「リー」の評価は最悪だったが、「シャーマン」は砲塔に十分な余裕があり、大口径の主砲と換装できた。アメリカ軍ではガソリンエンジンが主流だったため、ソ連軍にはディーゼルエンジンを搭載型の戦車が送られた。しかし、「シャーマン」は軌幅が狭いために独ソ両軍の戦車と比較して、泥濘の中での機動性がきわめて鈍く、総じて燃費も悪かった。

 ソ連空軍では、軍用機の19%を米英製の航空機が占めていた。輸送機は重宝された一方、戦闘機については低性能という評価を下していた。

 そもそもソ連空軍は、イリューシンIL2をはじめとする対地上・対戦車性能を持った攻撃機「シュトルモヴィク」を主力機としており、対戦闘機戦闘に重きを置く連合国の空軍とは戦闘機に要求する性能の主眼が異なっていた。すでに旧式となっているものの生産されていた機種の中から、アメリカのP39「エアラコブラ」、P40「ウォーホーク」、イギリスの「ホーカー・ハリケーン」が速度性能の点で受け入れた。空軍のエースパイロットであるポクルイシュキンやレチャロフはP39を駆って、数々の戦功を挙げた。

 これらの連合国からの援助物資は、極北のムルマンスクとアルハンゲリスクの港湾、南方のイラン、極東のウラジオストック港から鉄道でソ連国内の工業地帯や戦線後方の部隊集結地点まで輸送され、ソ連軍の強化に大いに貢献していたのである。

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