5 再会と暗雲

 祭の準備は、夕刻の鐘が鳴るまで続けられた。朱色がかった空の下、鐘の音を聞きながら、人々はいそいそと撤収を始めていた。ロトがマリオンと再び顔を合わせたのも、そんなときだった。

「お疲れ。どうだった?」

「お疲れ様。楽しかったわよ」

 定型文のようなやり取りをしたあと、二人は息を揃えて手を打ちあう。それからロトは、巨大な組み木の方に視線を巡らせた。マリオンもその意味に気づき、彼らは揃って、薪や道具を片付けている男たちの方へ歩いた。

「さて、俺たちも何か手伝うか……」

 肩をほぐしながら、呟く。そのとき、彼の声を聞きつけた一人の男が振り向いた。よく、通りでき掃除をしている男だ。

「そこまでしてもらわなくても大丈夫だ。ほれ、さっさと帰った帰った」

「は?」ロトは、目をみはった。

「いや、でも」

「でももしかしもねえよ。おまえらには、もうじゅうぶん、働いてもらったからなあ。いいから、ほれ」

 言葉の終わりに、男は何かを投げてよこす。ロトは両腕を慌てて伸ばし、それを受け取った。両手に収まるほどの小さな袋は、ずしりと重い。動かすと、金属のこすれる音がした。お礼を言うべきか、適当すぎると文句を言うべきか。青年が悩んでいる間に、男は笑顔で手を振った。その手つきはまるで、虫を追い払うかのようだったが。続く声のは明るかった。

「養生しろよー。明日も働いてもらわにゃならんから」

 男は言うだけ言うと、子どもたちが丸太をかついでいるところへと駆けてゆく。それを見送ったロトは、袋の上にため息を落とした。

「気をつかいすぎだ……ここまでくると、さすがに少し気味が悪い」

「まあまあ。そう言わずに。こうはありがたく受け取っておくものよ」

 幼馴染に背中を叩かれた彼は、硬貨の入った袋をにぎりしめたまま、乾いた笑い声をこぼした。ひきつり笑いを間もなくひっこめると、そのまま、機嫌のよさそうな幼馴染を振り返る。

「ところで、マリオン。何かあったか」

 訊いた瞬間、白い頬がひきつった。

「……別に、何もなかったけど。どうして?」

 マリオンは小首をかしげる。そのが怪しいんだ、とロトは思ったものの、口に出したのは別の言葉だった。

「なんとなく……様子が変な気がしたから」

 すぐには答えが返らなかった。ロトが目を見開いて待っていると、彼女は突然、青年の頭をぐしゃぐしゃとなでまわす。

「うわっ、何すんだよ!」

「様子が変って、何よそれー。気のせい気のせい」

「わかったからやめろ! ガキじゃねえんだから!」

 ロトが叫ぶと、マリオンはようやく手を離して体をひるがえす。夕日のなかで揺れる黒衣をにらんだロトは、「やっぱり変だ」とささやいた。



「ん? 飾りつけ?」

 ロトは、首をかしげた。彼に話しかけた赤毛の女性が、縮こまって両手を合わせる。

「ごめんなさい、急にこんなこと頼んで。でも、主力の男の子が怪我しちゃって……!」

「あー。別にいいよ、そのくらい。いくらでもやる」

 今にも土下座をはじめそうな女性に向かって、青年は軽く手を振った。

 ほむら祭の会場準備、二日目。今日もロトはいろいろな仕事をすることになりそうだったが、ひとまずは、薪の調達に行く子どもたちの付き添いをすることになったのだ。子どもたち、と言ってもいつもの四人ではなく、もっと幼い少年二人だ。さらにそこへ、後から少女が一人合流する予定だと聞いていた。さあ出発しよう、というときに、突然、赤毛の女性が走ってきて、今に至る。

「俺は構わねえけど、ガキどもの付き添いをどうするか……」

 呟きつつ、ロトは後ろを見る。二人の少年が、ふしぎそうに視線を交わしている。

「あたしが行こうか?」

 横合よこあいから割りこんできたのは、なじみ深い声だった。たまたま通りかかったマリオンが、ロトの方に顔を突きだす。ロトは少し考えてから、うなずいた。

「そうだな。こいつらが、いいっつったらそうするか」

「おれたち、大丈夫だよ!」

 ロトの言葉を聞いていた少年の一人が、おどけて敬礼をする。

「大丈夫とかいいながら、おまえら、ほんとは『お姉さん』がいいんだろ」

「あ、ばれた?」

 少年は、すぐに顔をほころばせる。彼に追従して、もう一人もげらげらと笑った。ロトは彼の栗毛をぐしゃぐしゃとかき回したのち、改めてマリオンを振りかえった。

「じゃ、よろしく頼む」

うけたまわった!」マリオンは、にこりと笑って敬礼する。少年のそれよりも数段きれいなのは、本物を目にする機会が多いからかもしれない。はしゃぎ、ふざけあいながらも意気揚々と走っていく三人の影を見送って、ロトはそっと苦笑した。

 赤毛の女性に頼まれたとおり、市街地の飾りつけをすることになった。ロトは、頻繁に高いところを手伝わされた。彼は人々の中でも背が高い方だったから、しかたがない。そして、とうとう屋根の上にのぼって旗をつるすという大役を仰せつかった。むこうが見えるほど薄い、紅色の布を窓にひっかけて結んでいると、下から子どもたちの歓声が聞こえてくる。ロトは肩をすくめながらも、はしごをつかって屋根からおりた。ちょうどそのとき、小さな人が駆けてくる。色つきのひもを大量に持っているのは、細身の少年のようだった。少年は、ひものむこうからロトを見てきた。

「あの。これ、ここで、いいですか?」

 たどたどしいグランドル語。そのぶん、はっきり言おうという気合が伝わってきて、聞きとりにくくはない。少年の問いにうなずいたロトは、けれども首をかしげた。はきはきとした声が、青年の頭の奥を刺激する。小さな違和感の正体は、少年がひもの山を足もとにおいたところで、知れた。

「シオン?」

「えっ」ロトに名前を呼ばれた少年は、弾かれたように顔を上げ、顎が落ちたかのように口を開いた。「――ロト」

 やりにくそうに名前を呼ぶ『森のたみ』の少年を、ロトはしげしげとながめる。


 ヴェローネル近郊に、森がある。ティスタ森林と名づけられているそこには、ひそかに、魔物や獣と共存する民族が暮らしている。シオンはその一人なのだった。以前、魔物を巡る小さな騒動のなかで出会って以降、ときどき思い出したかのように顔を合わせている。この日もまた、二人は、唐突にやってきた再会の時に、呆然としていた。


 とりあえず、シオンが持ってきたひもを通りがかりの女性たちに配った後。ロトは、ぶすっとしている少年を見おろした。

「どうして、おまえが祭の準備に参加してるんだ。こういうの一番嫌いそうなのに」

 シオンはとりあえず黙っていた。唇がかすかに動いているところを見るに、言葉を探しているらしい。ややして、「この街の」と、切り出した。

「僕たちの村を、見たいっていう人を、ときどき案内してるだろ」

「ああ」

「この前も何人か来てもらったんだけど、そのとき、お祭りのことを少し聞いたんだ」

「ふむ」

「そうしたら、うちの馬鹿姉が『行きたい』って言い出して」

「……なんとなく、わかった」

 今にもうなだれそうなシオンの横で、ロトはため息をついた。

「ということは、サリカも来てるのか」

「ああ。なんか、薪を取りにいくとか、どうとか」

 シオンの双子の姉の名を出したロトは、その後、目を見開いた。薪を取りにいく、という言葉には、すごく覚えがある。ひょっとして、少年たちに後から合流する少女というのは、彼女のことだったのだろうか。危なっかしく、それでいて妙にたくましい娘のことを思い出し、青年はこめかみを押さえた。

「まあ……考えてもしかたねえか。マリオンが一緒にいるし、どうにかなる、はず」

 口の中で呟いて、彼はうんと伸びをする。

「とりあえず、こっちはこっちで仕事しよう。おまえはそのために来てんだろ」

「一応、ね」

 不服そうに呟く少年を一瞥し、ロトは唇をゆがめる。おおかた、勢いのいい姉に引きずられるようにして来てしまったのだろう。だが、来たからには手伝っていただかないと困るのである。自分を呼ぶ声を聞いた便利屋は、動くのをためらっている少年の背中を叩いてうながすと、歩きだした。元気よく手を振る赤毛の女性は、ロトが手を振り返すと、丁寧に頭を下げた。

「ロトさんのおかげでだいぶ作業がはかどったわ。本当に、ありがとうございます」

「いいって、いいって。やることあるなら言えよ。まだ時間はあるし」

 ひまになっちまう、と青年が呟けば、女性は肩をすくめてほほ笑んだ。二人を見比べるシオンだけが、無表情の中にわずかな不満と不安をのぞかせている。

「じゃあ、ちょっと、人を呼んできていただこうかしら」女性が両手をあわせ、嬉しそうに言った。「人?」とロトは反芻はんすうし、目を細める。直後、寄った眉をはねあげて、南西の空をにらみつけた。女性と少年が首をかしげたことには気づいていたが、取り繕っている場合ではない。

 ちりちりと、しびれるような空気が肌の上をすべる。力の火花は、目の裏までをも強烈に焼いてきた。いきなりの衝撃に、ロトはつい、立ちすくむ。

「なんだ」

 うめいて頭をおさえたロトは、心配そうな女性に手を振ってこたえる。かすかな笑みの裏で、めまぐるしく思考した。意識は記憶の濁流をたどり、風景の断片をすくいあげる。しびれるような空気。肌が粟立ち、毛がざわりと逆立つような、嫌な感覚。それを彼は、知っていた。何度かその身で味わっている。この街で、今、その気配を振りまける者は、限られていた。

「……レーシェ?」

 ひゅ、と空気が鳴る。シオンが息をのんだのだった。

「ロト? レーシェが、どうしたんだ」

 静かな声が、尋ねる。レーシェは、シオンの姉サリカが、いつも連れている魔物の仔の名だった。ロトは、軽くかぶりを振る。

「レーシェかどうかはわかんねえ。けど今、魔物の力を感じた」

「えっ!?」叫んだのは、口を両手で覆った、赤毛の女性だった。

「魔物って……大丈夫なの?」

「大丈夫。物が壊れたり人が傷ついたりする感じではなかった」

 青年がきっぱり言いきると、女性は肩の力を抜いた。しかし、残る二人の表情は晴れないどころか、見る間に曇っていく。

「ただ、何かが起きてるのは確実だな」

「レーシェが暴れるとは考えにくいけど」

 シオンが眉をひそめる。ロトもうなずいたが、すぐに言葉を付け加えた。

「サリカに何かあったのかもしれない。どうなんだ、シオン。そういうときはレーシェが自分から、助けを求めたりするのか」

「どうだろう……サリカがお願いして、森の主たちを呼び寄せさせたことは、あったけど」

 ロトは顎に指をかけて、少し考えこむ。まわりがざわざわと騒がしくなった頃に、「行ってみるか」とささやいて、青い目を赤毛の女性の方に向ける。ぼうっとしている彼女に呼びかけると、青年は、口もとに不敵な笑みを刻んだ。

「呼んできてほしい人のこと、教えてくれ」

 女性は何度か目を瞬いたあと、力を抜いてほほ笑んだ。

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