6 奔走する人

 うねりながら続く石畳の小路に、明るい音色が響く。悩みのひとつもないかのような、無垢な笑顔で歩く少年二人が、みずからの歩調に合わせて、わらべ歌を口ずさんでいた。冬の終わりを温かく、少し切なくつづった歌。それを大声で歌っている彼らは、ただ目的地に向かうということを彼らなりに楽しんでいるようにも見える。少年二人を笑顔で見守っていたマリオンは、歌声がとぎれた頃を見計らい、短い金髪の少年に呼びかけた。

「ねえ。薪を取りにいくとは聞いたけど……どこに行くの?」

 まさか、今から森へ出かけて木を切りに行く、というわけではあるまい。少年は振り返って、きれいな碧眼を見開いた。

「南の通りのデムじいさんのところだよ」

「デム……?」

「木こりでもっこーしょくにんのじいさん!」

 木こりで木工職人。そう聞けば合点がいく。「わかったわ、ありがとう」とマリオンはうなずいた。

「どういたしましてー」少年は、得意気に笑う。その彼は、少し顔をそらすと、嬉しそうに笑った。どうしたことか、とマリオンは視線を追う。その先では、ちょうど、紳士然とした雰囲気の男性が、少年たちに笑いかけているところだった。

「クレインおじいさーん、こんにちはー」

「おや、こんにちは。どこに行くのかね」

「デムじいさんのところ! 薪、もらいに行くんだ」

 少年が言うと、男性は笑みを深くした。目尻にやさしいしわが刻まれる。

「そうか。ほむら祭の準備をしてるんだったね」

「うん。クレインさんはなんかしねーの?」

「少し、お手伝いをさせてもらっているよ。力仕事は難しいけどね」

 やりとりは、どこまでも穏やかだ。マリオンはずっとながめていたいと思ったが、そうもいかない。祭の準備は時間に限りがあるのだから。少年たちも幸い、それは心得ているのか、きりのいいところでクレインに別れを告げて、マリオンの背中をつついてきた。彼女は苦笑して、を進める。

 少し歩いて小路を抜けると、街の南門の前へ出る。三人は、そこで揃って足を止めた。鉄の門扉を背にして手を振る、小柄な人影を見つける。合流する、という少女だろう。マリオンは自分たちの居場所を知らせるべく、大きく手を振った。すると、少女は鉄砲玉のように勢いよく駆けてきた。彼女はマリオンの前で立ち止まる。ふわふわ舞っていた色鮮やかな編み目のスカートが、吸いつくように膝下に戻った。マリオンのみならず、少年たちも目をみはった。

 変わった少女だ。日に焼けた肌に、深い黒茶の瞳。顔の彫りは浅いが眉毛は太い。薄くつくられた毛皮の上着をまとっていて、きわめつけに靴は木製でも革製でもなく、草を編んだものだった。

「薪を取りにいく人たち、ですよね。私、サリカです。よろしく、です」

 好奇の視線をものともせず、少女は丁寧に挨拶をした。グランドル語がぎこちないが、決して嫌な感じはしない。昔の自分を思い出しながら、マリオンはなんとか言葉を返す。

「丁寧にありがとう。私はマリオン、よろしくね」

「おれ、ミック」

「ホセです」

 少年たちも、積極的な金髪の子に続いて、茶髪の子がひかえめに名乗った。サリカ、というらしい少女は、黒い瞳を輝かせた。思わず顔がほころぶマリオンだったが、ふと彼女の足もとに目をやって、ぎょっとした。

 最初からいたのだろうか。サリカの後ろから、とことこと、灰色の犬が歩いてきた。いや、犬というよりも狼の子どもだろうか。しかも、小さな体とつぶらな瞳に反し、牙と爪が大きい。立派すぎるくらい立派だ。それは――魔物の特徴である。

「ま、魔物……?」

「あっ、忘れるところだった」

 うめくマリオンをよそに、サリカはいそいそと灰色の狼を抱きあげた。小さな体を三人に見せると、笑みを顔いっぱいに広げる。

「森の主でお友達の、レーシェです」

 狼は、高い声で鳴くと、尻尾を振った。サリカが彼を下ろすと、彼は嬉しそうに少女の足にじゃれついている。とても仲がよさそうだった。言葉もなくその光景をながめていたマリオンだが、ややして、森の主、という言葉にひっかかりを覚えた。どこかで聞いたような言葉だ。

「あの、サリカは街の人じゃないわよね」

「です。ティスタ森林から、来た、です」

 サリカはたどたどしく言いながら、門を――正確には、その少し先の森を指さした。マリオンはそこでようやく、先ほどのひっかかりの正体がわかって、ああ、と声を上げる。前にロトを訪ねたとき、彼からティスタ森林に暮らす民族の話を聞いたのだった。確か、魔物や獣とうまくやって、生活しているのだと。サリカがその『森の民』なのだとすれば、魔物の仔を連れているというのもおかしいことではない。

 レーシェというらしい魔物は、少女の足もとでをして、人間たちを見上げている。今のところは大人しくて無害そうだ、と思ったマリオンは、しゃがみこんで、ほほ笑んだ。

「レーシェね。よろしく」

 そう言うと、狼はふさりと尾を振った。少年二人も間近で見る仔狼に興味津々だ。マリオンは、いつまでもその場から動かなくなりそうな子どもたちに向かって手を叩く。すると彼らは、目を丸くして苦笑しあったあと、元気よく歩きだすのだった。

 南門を通りすぎてすぐの角を右に曲がる。しばらく子どもたちの相手をしていたマリオンは、しかし、途中で顔をしかめた。一瞬のことだったので、子どもたちは気づいていない。足を止めそうになったが、なんとか、こらえる。そして、神経を研ぎ澄ませた。

 つけられている。

 気づいたのは、サリカと合流し、歩きだしてすぐだった。心当たりがまるでないから、厄介だ。気づいていないふりをした方がいいのか、どうなのか、わからない。マリオンはとりあえず、そでをひっぱってくる金髪の少年に笑いかけた。

 次の曲がり角が見えてくる。そこを曲がらずまっすぐ進めば、行き止まり――そんな場所で。マリオンの横を歩いていたサリカが、振り返った。

「……誰、ですか?」

 少女のかたい声に誘われて、マリオンも振り向いた。いつの間にか、屈強そうな男四人が立っていた。服はつぎはぎだらけで体も汚れている。学術都市ヴェローネルには、あまりいない風体ふうていの人々だ。マリオンは軽く目を細めた後、意識して、前に出る。

「私たちに、何かご用ですか」

 つとめて穏やかに問う。すると、男たちは顔を見合わせた。

「こいつか? 魔女を殺したっていうのは」

「そうは見えねえな。シェルバ人っつっても、ただの小娘じゃねえか」

「いや、魔術師なんだから、見た目はあてにならないだろう」

 交わされるささやきを聞きとって、マリオンはさらに眉を寄せる。

 魔女など一人も殺していない。一瞬、そう思ったが、すぐに違うとわかった。彼らの言う魔女とは、『しきの魔女』ではない。いずれ新たな魔女になる、と言い、それをあえてなさぬまま散った、一人の女。

 マリオンがあの騒動に関わったことをこの四人がどう突き止めたのかは、わからない。確実なのは、マリオンがルナティアを追いつめたことに対して、彼らが恨みを抱いているということだ。勝手にルナティアを崇めて勝手にマリオンたちを恨んでいるというところなのだろう。迷惑なことこの上ない。実際に、害をなそうとしているのならば、なおのこと。

 内緒話を終えた男たちのうち一人が、笑って手をさしのべてくる。いや、口角は上がっていても、目が笑っていない。

「お嬢さん、少しいいかな?」

「……どのようなご用か、聞かせていただけませんか。私たちにも用事があるので」

 男は答えない。空気が一気に凍りついた。マリオンは、視線だけで背後をうかがう。少年たちは互いに手をつないでいた。そして、サリカと目があった。彼女は、目配せだけでマリオンの視線の意味に気づいたらしい。少しあごを動かすと、茶髪の少年の手を取って、駆けだした。

「ちょ、ちょっとサリカ」

「いいから、急ぐの!」

「……ガキども!」

 男たちのうち一人が、叫んで足を踏み出しかけた。そこで、マリオンの意図に気づいたのだろう。彼女の前の男が、マリオンを鋭くにらみつけた。

「へーえ。おもしろいお嬢さんじゃねえか」

「あなたたちの用事が、あたしの想像したとおりなら、あの子たちを巻きこむわけにはいかないからね」

 ルナティアの件は、この場ではマリオン一人の問題だ。少年少女には、なんの関係もない話である。だからこちらを見ろ、とばかりに、彼女は自分よりも背の高い男を、きっ、と見上げる。

 そのとき。近くで悲鳴が聞こえた。「ミック!」と少女の叫び声が続く。マリオンが目をやると、金髪の少年が地面にひざをついて、うめいていた。

「騒がれたら面倒だ、とっとと捕まえろ!」

 目前の男の叫びと同時に、もう一人が飛び出していく。マリオンは、はっと目をみはり、走り出した。ありがたいことに、目前の男は虚を突かれたのか、追いかけてはこなかった。少年に手を出そうとしている男めがけて、簡単な発光の方陣を投げつけると、彼女は少年の横に駆け寄った。目に涙をにじませている彼に手を差しだし――直後に、黒衣のえりを強くひっぱられる。反射的に顔を上げて、青ざめた。

 追いかけてこなかったと思っていたもう一人の男が、意地悪な目で彼女を見下ろしている。

「見え見えの手にひっかかってくれたなあ、お嬢さん」

「っ、この……!」

「ちょっと付き合ってもらおうか。安心しろ、あのガキどもも、すぐに連れてきてやる」

 歌うように言った男は、暴れようとするマリオンを押さえつけ、ひきずるようにして仲間の方へ歩き出す。そのとき、立ち止まっている少年たちとサリカの姿が目に入った。

「何してる! 逃げろ!」

 今までになく強い語気で叫ぶ。子どもたちは、つかのますくんで、すぐに走りだした。しかし、四人中二人の男がそれを追いかける。

 今度はよろめいている金髪の少年の手をとっていたサリカが、まっさきに、追いかけてくる男たちに気づいた。森で暮らしているから街の人たちよりは足腰が鍛えられているが、さすがに、大の男にはかなわない。少女が瞳にあせりをにじませた、そのとき、小さな影が男たちに飛びかかった。――レーシェだ。

 男たちは、はじめこそ小さな獣をふりほどこうとしていた。しかし、牙と爪とただならぬ気配から魔物だとわかると、一気に弱腰になった。サリカの目では、彼らの表情はよく見えない。けれど、「来るな!」という情けない悲鳴で、彼らのおびえは読みとれた。

「レーシェ!」

 森の少女は、友の名を呼ぶ。するとレーシェはすぐに反転して、サリカのもとへ戻ってきた。彼が並走を始めると、サリカは正面に目を戻す。

 逃げだしたのはいい。マリオンのことは心配でたまらないが、自分たちが捕まったら、もっとひどいことになる。けれど、逃げだしたとしてこれからどうすればいいのか。大人を呼ぼうにも、その間にマリオンに何かあっては意味がない。かといって、自分たちでは、太刀打ちできない。

 力強い鳴き声が聞こえる。サリカは灰色の狼に目を落とし――気づいた。

 レーシェは魔物だ。魔物ということは、魔力を持っている。そして、その魔力を振りまくことで、同胞を呼ぶことができる。

――同胞が呼べるなら、同じく、魔力がわかる魔術師ならばどうだろう。

 思い立ってすぐ、彼女は、民の言葉で叫んだ。

『レーシェ、お願い……“呼んで”!』

 魔物の仔は、かっと目を見開くと、全身に力をこめた。おぉん! と、強く鳴く。同時に、灰色の体のまわりで火花が散った。サリカには、なんとなくしかわからないが、これで魔力の波がまわりに広がったはずだ。

 この街に、どれだけの魔術師がいるのか、サリカは知らない。けれど、一人、頼りになる魔術師を知っている。

「ロトさん……気づいて……!」



     ※



 南門が見えてくる。シオンとともに、魔物の仔の力をたどっていたロトは、眉間のしわを少しずつ増やしていた。

「こっち?」

「こっちだな。……ったく、嫌な予感しかしねえ」

 隣から問いかけてくるシオンに、ロトはそのまま渋面を向けた。そのときだ。ほんの、かすかな険しい声をとらえる。ほとんどは少年のものだが、そのなかに、どうにも覚えのある音が混ざっている。ロトの予想を裏付けるかのように、隣の少年が息をのんだ。

「サリカ?」

 彼のささやきとともに、二人は足を速めた。

 すぐに、三人の子どもの姿が見える。そのうちの一人だけが、やけに浮いていた。自分と似た格好をした少女めがけて、少年が名前を呼んだ。すると彼女は顔を上げ、目玉が落ちそうなほどに、瞠目どうもくした。

「ロトさん!……シオンも!?」

「サリカ、何かあったの」

 シオンが、険しい顔で詰め寄った。双子の姉は、ひるむかと思ったが、ただ激しく首を振る。彼女もそうとう余裕のない状態らしい。とりあえず落ちつかせるか、と思ったロトだったが、次の瞬間、それを忘れた。

「私は、大丈夫なの。でも、マリオンさんが……一緒にいた、お姉さんが……!」

「なんだと?」

 ロトがうなると、双子は怪訝そうにして、少年二人は泣きそうに顔をゆがめた。――薪を取りにいったはずの、二人だ。ロトは双子ではなく、ロトとマリオンのことを知っている彼らに目をやった。

「何があったんだ」

「そ、それが……」震える声をしぼりだしたのは、茶髪の少年だった。

「怖いおじさんたちが出てきて。マリオンさんがそいつらをひきつけたときに、逃げだそうとしたんだけど、転んだミックを助けようとしたマリオンさんが、捕まっちゃって……」

 とぎれとぎれの説明を聞いたロトは、頭を押さえる。気が動転しているのか、説明は断片的だったが、だいたいの事情は察せられた。マリオンがひきつけた、というのだからおおかた、最初から自分一人が囮になるつもりだったのだろう。結果として、彼女の作戦は成功しているように見えるが、状況は最悪だ。

「ったく、あの馬鹿。他人ひとのこと、どうこう言える立場かよ」

 毒づいた青年は、不安そうな子どもたちを見やる。

「おい、ガキども。とりあえずおまえらは、人呼んでこい」

「人……」

「ああ。できれば、翼の胸飾りをつけた軍人がいい」

 サリカとシオンは首をかしげていたが、少年二人は『白翼はくよくの隊』のことだとわかったらしい。力強くうなずいた。少年二人とサリカは、さっそく行こうとしたが、シオンだけはロトを見上げている。

「おい、おまえも……」

「状況がわからない人が行っても、どうしようもない。それに、ロトの方にも味方は必要だろ」

 少年はきっぱりと言いきった。これは聞く耳を持たない態度だ。日ごろから似たような頑固者を相手にしているロトはすぐに気づいたが、言いあいをしている間も惜しい。しかたがないので、シオンには一緒に来てもらうことにした。それに気づいたサリカが、すばやく振りかえる。

「レーシェはシオンと一緒にいて!」

 命令を受けた仔狼が、少年の足もとにつく。その頃にはすでに、三人の姿は遠くへ消えていた。ロトたち二人も、目を合わせてすぐ、走り出す。すぐに、レーシェが先頭に飛び出した。道案内をしてくれるつもりなのだろう、賢い魔物だ。

 レーシェに導かれながら、二人は走る。ロトは覚えのある魔力が横を通りすぎたことに気づいていたが、今は声をかけているひまもないと、その記憶を頭の隅に追いやってしまった。

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