4 心の奥底

 エレノアは、驚いているマリオンをよそに、隣へ腰掛けて飾り花をながめた。

「ほう、見事だな。これが街を彩るわけだ」

 堅苦しい口調の彼女はしかし、子どものように瞳を輝かせている。その姿を見て、マリオンはようやく我に返った。

「えー……と。どうしたの?」

「うん? ああ」エレノアは心底不思議そうに首をかしげたが、ややして手を叩いた。

「警備のために来たんだよ。ついでに、祭の準備にも参加させていただくことになった。ちなみに、さっき、ロトにも会ってきた」

 マリオンは、そう、とほほ笑んだ。彼が意識を取り戻したことは、すでに王都へ連絡がいっているはずだが、直接顔を合わせるのは今日がはじめてだ。改めて知らせなければと思っていたところだったが、すでに会っているのなら話が早い。

 それよりも――マリオンは、むっと目を細めて、軍人を見上げた。

「どこから聞いてたの」

「『付き合ってください、って言われたとき、何に付き合うのかなって本気で悩んだ』あたりからかな」

「結構前からじゃない。盗み聞きしないで出てきてよ」

 非難の声を上げれば、エレノアは花を持ったまま吹き出した。

「すまない。でも、私が出てきたら君は話をやめてしまうだろう」

「それは……」

 顔をそらして、うつむく。図星だった。穴があったら入りたいと思った。ありがたかったのは、エレノアが問い詰めたりからかったりせずに、その場でしばらく飾り花をながめていたことだった。だが、マリオンの心が落ち着いたのを見計らったかのように、声が飛んでくる。

「君はいつも、彼のことを弟のようなものだと言っていたが。いつから気持ちが変わったのかな」

「そんなの、わからないし、知らないわよ」

「ふむ、そうか」答える声はそっけないようでいて、妙に弾んでいる。マリオンが眉をひそめて顔を上げると、少将はこれ見よがしに口角を上げた。

「そういうふうに言う人は、本当は答えがわかっているものなんだよ、マリオン」

 虚を突かれて、一瞬、押し黙る。それから喘ぐように言葉をひねり出した。

「なんで言いきれるの」

「私もいろんな人を見てきたからな」

 エレノアの口調に迷いはない。マリオンはとうとう、何も言えなくなった。ひもの方に目を移しても、手は伸びない。悶々としている若者をよそに、エレノアは世間話でもするかのような調子で続けた。

「身にしみついた習慣や常識は、なかなか変えられるものではない。私たちが『恋人』の存在を絶対のものと思いこんでいるように、もっと言えば、食前に天空神ルジーナへの祈りを捧げているように、君たちにとってあたりまえであることはいくつも存在しているだろう。郷にれば郷に従え、という言葉もあるが。人に迷惑をかけない範囲でなら、無理にこちらの常識に合わせる必要はないと、私は思う」

 私自身、シェルバ人の結婚事情を知ったときは、驚いたものだが――おかしそうに言う軍人を魔術師はまじまじと見た。優しいながらも真剣な顔が、見返してくる。

「大事なのは君の気持ちだ。君がどう思っているのか、そして何に悩んでいるのか」

 マリオンは息をのんだ。喉がつまって、暖かい空気すら、入ってこなくなった。何を言っているのかと笑い飛ばしてやりたくとも、言葉も声も、出てこない。鳶色の瞳はひたとこちらを見すえている。偽りを許さない気配があった。

 マリオンはうつむいた。拍子に、驚くほど鮮明に、昔の光景がよぎる。

 王宮にいた頃、成り行きで厨房の中を見せてもらった彼女は、けれど赤々と燃える炎を前にして、取り乱してしまった。うずくまって泣き叫んで、どうにも手がつけられない少女のことを聞きつけ、まっさきに駆けこんできたのはロトだった。

『だいじょうぶ、だいじょうぶ。怖くないよ。俺がいるから、だいじょうぶ』

 彼は少女を抱きしめると、あやすように背中を叩いて、繰り返した。師匠の家に身を寄せていた、暗い夜のように。あるいは、いつもマリオンが彼にそうしているように。

 そのときの彼は、震えていなかった。彼にとって、彼女は家族だったから。そしてまた、彼女にとっても彼は、たった一人の、家族だった。

 血のつながらない家族。そうでありたかった。そうでなければいけなかった。

 ひとたび、異性と思ってしまえば。彼は離れていってしまう。だから――

「女の子だと思われるのが……こわかった……」

 マリオンは、はっ、と顔を上げた。こぼれた声が、自分のものだと思えなくて。けれどエレノアの方を見れば、悪戯っぽい笑みが深くなっている。

「いや、えっと、これは……!」

「ようやく本音が聞けたな」

 慌てて言い繕おうとしたが、遅かったらしい。エレノアが喉を鳴らして笑うのを見、マリオンはうなだれた。

「落ちこむことでも、恥じることでもないぞ? 君の恐れは当然のものだ。ただでさえ、好きな相手によく思われたいという気持ちは付きまとうものだからな。ここだけの話、私も昔はよくそういうことがあった」

 意外な告白に、マリオンは絶句した。そうこうしているうちに、少将の笑みが影を帯びる。

「君たちの場合は事情が特殊だな。君が相手だから、ロトもそのくらいでは逃げださないと思うのだけど」

「そう……かしらね。あの手の恐怖症は、どうなるかわからないもんよ」

 マリオンは嘲笑した。あざけったのは、自分だ。彼女も特定の何かをひどく怖がった経験があるから、わかる。あれは理性ではどうにもならないことだ。体の奥底から縮みあがって、頭の中は混乱して、逃げだすか目を閉じるかしなければ、自我を保つのもままならない。もし、幼馴染に恐怖の視線を向けられたら――考えただけで、泣きたくなる。

 だがエレノアは、マリオンの葛藤かっとうをよそに、幼子のように首をひねった。

「そうかな。最近は、例の夢も見ないのだろう。彼も便利屋としていろいろな人と関わっている。おそらく完全に克服することは難しいだろうが、昔ほど女性を避けはしないと思う。それに」

 彼女は、ふっと口もとをほころばせた。

「今の彼は、強いぞ。一番知っているのは、君じゃないのか」

 マリオンは、息をのんだ。何も返せない。

 温かいような、それでいてはりつめた、奇妙な沈黙をともにする二人の間を風が通り抜けてゆく。飾り花がかさりと音を立てた。そこへ、エレノアの声が重なった。

「――まあ、無理強いをすることではないからな。慎重に考えるといい」

 鳶色の瞳は、ぞっとするほどの透徹をもって、若い魔術師を見つめた。マリオンがひるんでいるうちに、ふい、と視線がそらされる。エレノアはまた飾り花のひとつを手にとって、優しい目でながめた。

「ひとつ、話をさせてくれ。貧しい村に住んでいた一人の娘の話だ」

 穏やかな声が風に溶ける。マリオンは少将に目配せしたが、彼女は飾り花から目を離さなかった。マリオンがうなずくと、彼女はおもむろに口を開いた。

「娘が住んでいた村は、みな、あまり裕福ではなかった。老人が多く若者が少なかったから、働き手もあまりいなくてな。それが拍車をかけたのだろう。今は酪農がさかんになりつつあってましになっているらしいが、当時はその日のかてにも困っている人々ばかりだった。娘の家も、例外ではなかった。さらに、娘の家は魔力持ちの家系でな。村の者たちからは、冷たい目で見られていた。まあ、よくある話だ」

 女性の声が、訥々とつとつと続ける。文字通り、物語を聞かせるように。そこにいつもの明るさはない。ただ、ただ、静かだった。

「娘はもともと、母親と一緒になって家事や刺繍などをしていた。そのかたわらで、魔術のことも学んだ。ほかの女よりも力持ちだったから、ときどき、農作業や大工仕事にも加わっていた。けれど、村の財政はいっこうによくならない。娘は悩んだ。魔力持ちというだけで村の者にうとまれるなら、せめて村の者の役に立つことをしたい、と思ったんだ。そして、もうすぐ成人する――十五になる――という頃、娘は突然、『軍に入る』と言い出した」

 マリオンは、目をみはる。エレノアは、一瞥してから、わらった。

「珍しい発想ではなかったよ。軍に入ればその者は勤務地での衣食住が保証されるし、戦場で功を立てたり昇級したりすれば、場合によっては実家にお金が入ることもあった。小さな村の男子の多くは、当時、軍に入ることを選んだ。だが、まあ、女子がそれを言い出すのはまれだったな。それでも娘にはやっていける自信があった。自分が魔術師だったからだ。特別な技能があれば、性別関係なく使ってもらえるだろうと思っていて、それはおおむね正しかった。折よく、当時の王国軍では、魔術犯罪への対応策が練られはじめたところだったからな。

ただ――察しているとは思うが――娘の両親は、猛反対した。兄弟や村人はむしろ喜んでいたが、両親と祖父は娘の入隊を許さなかった。というのも、祖父が退役軍人だったんだ。だから、軍の厳しさや戦場の恐ろしさを、よくわかっていたのさ。だが、大人がどれほど言葉を尽くしても、娘は折れなかった。彼女は彼女で、家の役に立ちたい一心だった。そのことで毎日、親子は大げんかをした。そしてついに、成人の儀の直後、娘は家族に、いや村人全員に黙って家を出た。一人で王都へ行き、ほうほうの体で軍部へ乗りこんだ」

「無謀だろう?」とエレノアは笑う。その目もとに、薄い影がさす。

「最初こそ『気でも触れたか』と軍人に言われた娘だったが、結果的に、入隊することはできた。厳しい訓練時代を終えて、小規模ながら紛争も生き抜いた。そして軍隊生活に慣れてきて、ようやく、両親に申し訳ないことをしたと思った。一度戻って謝って、改めて両親の思いを聞きたい。そして自分の思いもちゃんと伝えたい、と思った。そこで、休暇をつかって村に帰った。だがな――帰った娘を出迎えたのは、祖母と兄弟だけだった。

君たちが生まれるずっと前に、グランドル王国全土で、魔術師排斥運動が起きたんだ。ヴェローネルでもひどい虐殺が行われたことがあった、らしいな。運動はこのころすでにおさまっていたが、まだそこかしこに残り火がくすぶっていた。ときどき、魔力持ちが暴力を振るわれて亡くなる事件が起きていた。娘の祖父と両親も、その種の事件に巻き込まれて死んだんだ。ちょうど、娘が入隊した一年後に。娘は両親に謝ることも、二人の思いを聞くことも、自分の思いを伝えることも――二度と、できなくなってしまった」

 ずっと、ずっと、その後悔を抱えて生きてゆかねばならなくなったんだ。その言葉を最後に、二人の間に、静寂が訪れた。マリオンは、うつむいた。その娘がエレノアなのか、そう訊きたかった。けれど、訊けなかった。いや、訊かずともわかってしまったのだった。

「マリオン」かたい声が、名前を呼ぶ。

「慎重になるのはいいことだが、慎重になりすぎないことだ。悩んで迷っているうちに、選択肢そのものが失われてしまうこともある。今の君なら、よくわかると思うがな」

 エレノアは明るく、けれどどこかぎこちなく笑うと、伸びをして立ちあがった。

「しゃべりすぎてしまった。私もそろそろ、手伝いに行くとするよ。――では、健闘を祈る」

 少将は颯爽とコートをひるがえして、去ってゆく。マリオンは、黙って背中を見送ることしかできなかった。

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