3 女の宴と文化の違い

「――それで、ロトとはどこまでいったのさ」

「はっ?」

 はつらつとした声が、訊いてくる。それは、ひもで輪をつくり、その輪にひもの尻尾を通そうとしていたときのことだった。驚いたマリオンは手を止める。指先からひもの尻尾がするりと落ちたが、それに構っている余裕はなかった。

「どこまでって、何が?」

 マリオンは、呆けた声で言った。彼女のそばで同じ作業をしている女性たちが、いっせいに顔を見合わせる。浅黒い肌の娘が、がばりと身を乗り出した。先ほどの声の主だ。

「え……あんたら、今も幼馴染継続中!?」

「何言ってんの。こっちに渡ってきたときから、ずっと幼馴染だって」

 元・北海の大陸ヴァイシェルの魔術師は首をかしげる。とたん、女性たちの間に、重い落胆の空気が漂った。あからさまなため息まで聞こえてくるありさまで、彼女たちのその反応は、娘といってもよい年頃の女性を、おおいに戸惑わせた。「なに、なんなの?」と彼女があたりを見回せば、ようやく一人が口を開く。

「最近いい感じだから、告白くらいはしてるかなあって思ったんだけどね」

 まだかー残念ーという一言に、瑠璃色の瞳が大きく見開かれた。

「あなたたちねえ……あたしらをなんだと思ってるのよ」

「何って」と言ったきり、女性たちは沈黙する。ただ、手だけが動く。しかし、開かれて爛々らんらんと光る彼女らの目が、無言のうちに答えを教えてくれているようだった。マリオンは、呆れて肩を落とした。

 女性たちはあきらめない。容姿端麗な割に色恋のにおいすら漂わせないこの魔術師が、どこかでぼろを出してはくれないかと食らいつく。恋愛話と噂話は、いつでもどこでも、女性にとって最大の娯楽だ。

「じゃあじゃあ、仕事中にいいなって思う人がいたり、誰かに告白されたりしたこと、ないの?」

 手は止めないまま、次に身を乗り出したのは、グランドル人らしい顔立ちの、金髪の少女だった。マリオンは純真な少女の問いに、苦笑する。

「ああ、なんかあなたが好きですみたいなことは、ときどき言われた」

「言われたの!」

「全部蹴った」

「蹴ったの!?」

 黄色い声が、ざわめく街にこだまする。好奇の目が彼女らに向くが、そのほとんどは男と少年少女のものだ。ほかの女性たちは、似たり寄ったりの会話をしながら自分たちの作業をすることに夢中である。それはともかく、あっさりとしすぎているマリオンをにらんで、浅黒い肌の娘が「もったいない」とささやいた。

「もったいないって……。あたしがどうでもいいって思ったんだから、いいじゃない。だいたい、どいつもこいつも、うるさすぎるんだって。格好いい言葉を並べりゃそれでいいって、勘違いしてるのかしら」

「うわあ、毒吐くね」

 ひとつ、飾り花を作り終えたマリオンは、次のひもに手をのばす。

「そうかーマリオンは静かなのがいいのかー」

「静かというか。無駄に騒がない人がいいわね。なんというか、あっさりしてるっていうの?」

「頭もよくて?」

「まあ、魔術のことがだいたい理解できる人がいいかな。やっぱ、魔術師っていう『人種』である以上は」

「それでいて働き者で」

「そりゃそうでしょ。働いてくれないと困る」

「髪の毛の色は黒、金、茶、どれが好き?」

「どれでもいいけど。強いて言うなら黒かな」

「ぽやっとしたのと、きりっとしたの」

「何それ?……うーん、どっちかというと、きりっとしたの?」

 マリオン対女性たちの図式で、作業がてらの会話は続いた。その流れがふっととぎれ、男たちのかけ声が遠くでこだましたとき、浅黒い肌の娘が呟いた。

「それさ、やっぱりロトだよ」

「……え?」

 断言され、マリオンはぽかんとした。女性たちの視線が泳ぐ。その先には、金髪の少女と一緒になって、薪の束を持ちあげるロトの姿があった。細腕に似合わぬ力持ちだが、今は誰もそこに注目していない。マリオンもまた、女性たちと一緒になって、しばらくその背中をながめ――ややして、慌ててひもを結ぶ作業を再開した。白皙の頬に、ほんのり赤みが差している。「もう告白しちゃえ」と、口ぐちに女性たちは言いたてる。しばらく無視を決め込んでいたが、何度もしつこく言われると、さすがに腹が立つ。とうとう花をわしづかみながら叫んだ。

「あああうるさいなああ! できるわけないでしょ!」

「何さ。幼馴染だから恥ずかしいとか、初々ういういしいこと言うの? 二十二にもなって」

「二十二にもなって、は余計だ!」

 にやにやとする浅黒い肌の娘に怒声を叩きつける。しかし、女性たちのおせっかいは、やむことを知らない。

「思いきって言っちゃいなって。試しに言ってみる、っていうのもありだと思うわよ」

 別の方向から飛んできた助言に、マリオンは唇をとがらせた。

「試しにって……そりゃないでしょ」

「なんでそこまで消極的なのかなあ。マリオンらしくない」

 かしましい声をかわしながらも、細い指たちは、ひもを順調に結んでいく。騒がしさの中に、冷たい一声が落ちた。

「らしいらしくないの問題じゃないわよ。考えてもみてよ。告白するって、結婚するってことよ。あなたたちは、もっと慎重にならないといけないと思うの」

「……話、飛びすぎじゃない? 告白していきなり結婚、って、そんな男女はなかなかいないよ」――そう言ったのは誰だったか。ともかく、その言葉を期にやり取りが止まった。

 マリオンは、口を半開きにして固まる。今度こそ、ひもを結ぶ手まで固まっていた。

「え?」

「……え?」

 女性たちも、絶句した。マリオンが本当に驚いているのがわかったからだ。彼女の言葉は冗談でも、誇張でもない。ヴェローネルで出会って、およそ六年。街の女と異邦人の女はようやく、互いの常識の違いに思い至った。


 そもそも、この輪の中ではマリオンただ一人が、遠く離れた大陸の出身なのだ。同じ大陸でも民族によって文化や風習が違うのだから、違う大陸ならなおのこと、異なるところが出てくる。気づいた一人が、おそるおそる尋ねた。

「えーっと。もしかして、マリオンの故郷では、『付きあう』っていうことはないの?」

 マリオンは、うなずいてから首を横に振った。

「ないない。恋人っていう概念もない。どっちも、この大陸に来てはじめて知ったのよ。……そういえば、最初、付き合ってください、って言われたとき、何に付き合うのかなって本気で悩んだわ」


 ヴァイシェル大陸のほとんどの村では、氏族間の取り決めによって、結婚相手が幼いうちから定められている。ロトやマリオンの村は魔術師が多かったこともあり、そこまで厳格な取り決めはなかった。ただし、ヴァイシェル大陸ならではの風習からは逃れられない。告白するということはすなわち求婚だった。求婚が相手に受け入れられると、早いうちに両家の親の元へ挨拶に行くことになり、親が二人を認めた後に、今度は村のおさが、二人が結婚してもよいかの最終的な判断を下すことになる。二人が違う村の出身だった場合は、両方の長から承認を得なければいけなかった。マリオンの両親も、ロトの両親も、そうして結ばれたのだ。


 恋人という関係も、離婚という言葉も存在しているグランドル王国に住む人々は、シェルバ人の話を唖然として聞いていた。その驚きのせいか、マリオンとロトの関係にかかわる追及は、そこでしぼむように終わってしまったのだった。



 マリオンは、飾り花の山をながめながら、ため息をついた。ほかの女性たちは誰もいない。みんな、水を飲みにいったり町の人と話したり、めいめい好きなように休憩しているところだった。この魔術師だけが、元の場所から動かず、立てた膝の先で頬杖をついている。

「告白、か」

 こぼれた言葉は明確な形を持たずに、落ちて消える。けれどそれは、彼女の頭の中に、ひとつの夢想を生み出した。――告白したら、どうなるのか。考えかけて、けれど、やめた。かぶりを振って、夢想を打ち消す。

「いや、ないない。いくらなんでも、ない」

 マリオンは言い聞かせるように呟いた。それからもう一度、呼吸を整えるように大きく息を吐く。ずっと下を向いていた彼女は、小柄な人影が近づいていることに、気づいていなかった。

「決めつけるには早すぎるのではないかな?」

 歌うような声が降る。マリオンは、はっ、と顔を上げた。いつの間にか、かたわらに女性が一人、立っていた。風に遊ぶ髪は陽の光を受けてきらきらと輝いている。軽やかなきんの髪と対照的に厚いコートは見慣れぬもので、けれど彼女にしっくりなじんでいた。彼女は、エレノア・ユーゼスは、視線を受けとめあどけなく笑った。

「やあ、マリオン。『あの日』以来だな。元気そうで、何よりだ」

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