2 類は友を呼ぶ

 王都で一口に軍部、と呼ばれるのは、王国軍本部の敷地全般である。王宮に隣接し、司令部から演習場まであらゆる軍事施設が集まるところだ。広大な敷地のなか、魔術師部隊の司令部に割り当てられた建物は、南西の端に建っている。

 本来、部隊を率いるはずのない少将にたばねられているこの隊は、魔術の専門研究機関としての顔も持つ。その特異性からか、軍の中にありながらひとつの独立した軍隊のようでもあった。こと魔術に関わる事件の対処や、立法においては、陸軍の長にも匹敵する権限を持つ。

 そうして、他の軍から切り離されているからだろうか。魔術師部隊は、雰囲気もまた独特だった。端的にいえば、みな自由だ。自由すぎるくらいに。

『白翼の隊』司令部の一角にある休憩室。その扉を開けたアレイシャ・リンフォード少尉は、戸口近くの卓を見て、固まった。そこにはすでにお茶が並べられ、焼き菓子が広げられて、さながらお茶会の席のようになっている。

 支度を整えた張本人は、すぐに見つかった。新たな菓子箱を抱えてひょこひょこと歩いてくる男性。ここ最近顔を合わせることが増えた、ギスラン・ルドル中尉だ。戦場では勇猛な働きと、冷徹かつ的確な指揮で知られる彼だが、ふだんは甘い物が好きな明るい人である。

「ちゅ、中尉? どうなさったんですか」

「ああ。アレイシャか。少し早く仕事が一段落したんで、街におりて買ってきてみた」

「そ、そうですか」

 あっさりと答えを告げられて、続ける言葉を見失う。アレイシャはとりあえず、お茶会の席についた。一番乗りだ。が、嬉しくはない。

 すぐ前に置かれたカップを、見るともなしに見ていると、ルドル中尉が菓子箱を置いてふたを開ける。

「今年の建国記念祭もどうにか終わったしね。打ち上げ――の二次会ということで」

 年に一度、秋に行われる大きなお祭り。今年は特に、波乱に満ちた祭となった。当日にいたるまでの慌ただしさを思いだし、アレイシャは苦笑する。確かに、少しくらいご褒美があってもよいかもしれない。

 ちなみに、本当の打ち上げは、当日の夜に終わっている。

「好きなの食べていいよ」

 いきなり優しい声にそう言われ、アレイシャは戸惑った。

「え? いえ、しかし……」

「一番乗りの記念だと思えばいいさ。ほかの男どもが来たら、あっという間になくなっちゃうよ。さらにそこへ隊長が加わったら、もう、歯止めがきかないよ」

 ルドル中尉の言葉は、まったくもって正しい。いつでも食欲旺盛な同僚や上官の恐ろしさは、アレイシャも日々身をもって感じているところだ。急にひやりとした彼女は、「では、ありがたく頂戴します」と頭を下げて、焼き菓子のひとつに手を伸ばす。彼女がそれをかじろうとしたとき、休憩室の扉が勢いよく開かれた。

「おーっす。今から職務復帰だぜ」

 陽気なかけ声とともに入ってきたのは、ガイ・ジェフリー大尉だった。慌てて立ちあがろうとするアレイシャの横で、ルドル中尉はにこにこしている。

「ジェフリー大尉。お早いですね」

「しかたねえだろ! 娘に追い出されたんだから!」

 彼の言葉に、中尉の微笑が凍りついた。アレイシャも、思わずあわれみの視線を送ってしまう。有給をとって実家に戻っていたはずの大尉が、こんなにも早く軍部に戻ってきた理由を察した。

「リーヴァお嬢さんは、相変わらずの反抗期ですか。まあ、あきらめた方がよいと思いますよ」

「う、うるせー! 知ったふうな口ききやがってー!」

「知ってますからね、実際。甘い物でも食べて落ちつきましょう。おひとつどうです?」

 わざとらしく大声を上げる大尉に、ルドル中尉が菓子箱をさし出す。慣れた様子の先輩の姿に、アレイシャは感心していた。そんなやり取りの間にも、続々と隊士たちが休憩室にやってくる。彼らは、中尉が広げた菓子を前に目を輝かせていた。

「確かに、あっという間になくなりそう」

 童心に返ったかのごとく菓子にむらがる軍人たち。仕事中とはかけ離れた姿に、新参の少尉はこらえきれず笑い声をこぼした。手にしていた焼き菓子を噛み砕く。小さな刃にもなりうる破片から、優しい甘みが溶けだして、ふわりと舌を包みこんだ。

 何度目になるかわからない、金属の小さな鳴き声。古びたしゅが下に引かれるとともに、また、扉が内側に開いた。そして踏みこんできたのは、彼女たちが敬うべき女性である。

「おお、美味しそうな物があるじゃないか!」

「今日はまた一段と騒がしいな」

 今にも幼子のように飛び跳ねそうな隊長は、臆することなく軍人の群に飛びこむ。そして、彼女とともに入ってきた青年は――喧騒を避け、アレイシャの隣に腰を下ろした。

「ロトさん。まだ王都にいらしたんですね」

 アレイシャが声をかけると、ロトはそっけなくうなずく。

 報告書を提出しに王都へ来たついでに、祝祭前の揉め事に巻きこまれた彼は、まだヴェローネルに戻るつもりはないらしい。「しばらく動くなって言われてる」そうロトは続けた。誰に言われたかは、訊かずともわかる。そうですか、と小さくうなずいたアレイシャは、残った焼き菓子をかじりながら、彼の横顔を盗み見た。

 およそ五年前にこの国に流れ着いたという異国の青年は、確かに特有の面立ちをしている。美しい顔にはいつも、不機嫌さと切なさがまといついていて、それがどうにもアレイシャの意識をひきつけた。隊長がことさら気にするのもわかる気がする、と思う。

 ただし、アレイシャがロトを気にする理由は、それだけではなかった。

「あの、気になっていたことがあるんですが」

「なに」

「どうして、遠くの街で『便利屋』を営んでおられるのですか。あなたほど方陣に精通した魔術師ならば、引く手あまたでしょう」

 言葉にとげが混ざってしまったのは、ねたみの表れなのだろうか。アレイシャは目を伏せる。

 エレノアが『方陣の天才』と呼ぶほどのロトは、確かにアレイシャよりもずっと、方陣に詳しいようだった。それだけでなく、魔術そのものに関しても、非常に深い知識を持っているようだ。彼の博識さは、数日前、行動を共にしたときに垣間見た。

 だからこその疑問を呈したアレイシャに、ロトは冷たい一瞥をくれる。それから「だからだよ」と呟いた。

「だからこそ、王都で働きたくなかった。あんたもご存じのとおり、俺は王宮や軍部じゃ厄介者だ。国の近くで働けば、監視の目と悪意がまとわりついてくる。いつ、危険な若造を亡き者にしようかって、考え巡らせてる奴らばっかりだからな。それが、嫌だったし――正直、怖かった」

「……あ」

 アレイシャは、息をのむ。今さら、彼の過酷な経歴を思いだして青ざめた。

 必死な思いで故郷を捨ててきたというのに、たどり着いた先でさらに苦しむのは、嫌に決まっている。苦しみの理由を聞いていたはずのアレイシャは、己の浅慮を恥じてうつむいた。

「す、すみません」

「いや。あんたの言いたいこともわかる」

 予想に反して、ロトは淡白に答えた。カップを手にし、お茶を一口、すする。

「――実は、情報院に来ないかって、ジルフィードに誘われたこともあるんだ」

「え?」

 さりげなく足された衝撃の事実に、アレイシャは肩を震わせた。ロトは気づいていないのか、気づかぬふりをしているのか、仏頂面でお茶に口をつけている。

「まあ、裏には、情報院に放りこんで、目の届くところで監視しようというお偉いさんの思惑があったんだろうが。それもあって、ジルからの推薦は蹴ったんだ」

 アレイシャはうなずいた。声を出すことができなかった。

 情報院に誘われたにもかかわらず、今、ヴェローネルの便利屋を名乗っているということはそういうことだ。そして、彼は彼の選択をした。誰が正しいわけでも、間違っているわけでもない。わかっていても、いろいろな感情がないまぜになってしまって、落ちついて彼の言葉を拾うことができずにいる。

 おろおろしているアレイシャを見、ロトがはじめて、表情をやわらげた。

「本気で試験にのぞんだあんたからしたら、腹立たしい話だろうと思ってな。なかなか言えなかった。騙すつもりはなかったんだけど、悪い」

「あ、い、いえ。そんなふうに思っているわけでは、ないので……」

 言いつつも、若き少尉はうなだれた。望む者のところに来ず、望まぬ者のところに転がりこんでくる事物というのは、多々あるのだろう。とりあえず、自分もロトにならってお茶を飲んだアレイシャは、ようやく静かな心で青年に向きあった。

「あの、情報院のことは本当に気にしていません。試験に落ちたのは、私の力量不足のせいですし。ですが、その。それでも気になるとおっしゃるのなら……ひとつ、お願いしたいことが」

「ん?」

 ロトの柳眉りゅうびが持ちあがる。アレイシャは、上半身を乗り出して、そっとささやいた。

「私に、あなたの知識を分けていただきたいんです」

 ロトはぽかんとしていたが、ややあって口を開く。

「それは、つまり、あれか? 俺があんたに、魔術についてのあれこれを講釈しろと」

「まあ、そういうことになりますね。でも、無理に、とはいいません」

 ほほ笑みつつも、アレイシャは背筋を伸ばして答えを待つ。笑い声で騒がしい休憩室の中、不自然なほど長い沈黙のあとに、ロトはゆっくりうなずいた。

「……ジルとテッドもいろいろ教えあってるみたいだしな。俺がこいつと方陣の話をしても、別におかしくはないか」

 膝を叩いた青年は、「わかった」と短く言うなり、カップを置く。目を見開くアレイシャに、訊いてきた。

「じゃあ、何が知りたい?」

「え、今ですか」

「今を逃したら、次に話せるのがいつになるかわかんねえよ」

 それもそうかと呟いて、アレイシャはしばし考えこむ。それから、胸の前で両手を叩いた。

「あ、それなら! この前一緒に行動したときに見た方陣について、ひとつ訊きたいことが」

「ん? あの召喚の方陣のことか」

「そうです。確か、あのときロトさん、『召喚の魔術は利益が出ない』ともおっしゃってましたけど、『精霊信仰があるなら別』ともおっしゃいましたよね。あれは――」

 凪いだ水面のように静かだった二人の間に、会話の花が咲く。

 この日を境に二人は『魔術語り仲間』としての絆を深めてゆくのだが、今はまだ、その出発点にいるにすぎない。


「つまり昔は、その方陣で精霊様が呼び出せると信じられていたわけだ。ちゃんとした式も存在してたらしいけど、記録には残ってない」

「本当に『精霊』が呼び出せたんでしょうか」

「さあな。恩恵が得られたって話も、逆に祟られてひどい目にあったっていう話も同じくらい聞いた。ま、手間かけてまで使う術じゃねえと思う。だいたい召喚の方陣は第二周の式が複雑になって面倒くさいんだよな」

「そうですね。ややこしい定義名がたくさんあります。最低でも四種は組み込まれるんでしたっけ」

 意気揚々と話しあう二人に気づき、まわりの軍人たちは顔を見合わせる。それから、誰からともなく額を寄せた。


「なあ、おい。あの二人の言ってること、理解できるか」

「前半はなんとか。今はもう無理です」

「だいたい、二十代の男女がする会話じゃねえよ……」

 軍人たちは、引きつった顔でささやきを交わす。方陣について語りあう若者と、彼らを見比べたエレノアは、ひとり喉を鳴らして笑った。

 今日の『白翼の隊』は、おおむね平和なようである。



(完)

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