Ⅳ-ⅱ 『白翼の隊』の平和なひととき

1 捨てる神あれば拾う神あり

 この絶望は、どれほど言葉を尽くしても表しきれないだろう。

 神殿を思わせる荘厳な建物を出たアレイシャ・リンフォードは、重いため息をこぼした。石畳に吸いこまれた吐息は、余韻のひとつも残さない。汚泥の中を進むかのような足取りで、軍部の敷地に足を踏み入れた彼女は、再びため息をついた後、手もとの羊皮紙をじっと見つめた。

 特徴ある筆遣いで書かれた『不合格』の文字。軍医であり今回の試験管であった男は、これを書くときどんな顔をしていたのか。ふとそんなことを思ったが、考えたくもない、とアレイシャはかぶりを振る。

 あらゆる情報を扱う場であり、また諜報機関でもある情報院。アレイシャが、その一角、『魔術部』の入部試験を受けたのは、十日ばかり前のことである。無機質に下された不合格の判定は、気合を入れて臨んだだけに、重かった。

「次に受けられるの、いつかなあ……」

 今回、なんとか上官から許しをもらって受けた試験だった。なのに落ちた、という屈辱に似た思いもあったのだろう。知らぬうちに涙がにじんだ両目を閉じたり開いたりしながら、若き軍人は、足早に自分の職場へ戻ってゆく。

 その先で待っていた同僚たちの反応は、予想通りのものだった。だからおまえなんかが受かるはずがないだろ、と、笑われて肩を叩かれる。冗談として受け流したが、そのたびにアレイシャの心には小さな引っかき傷ができてゆく。しぶしぶ受験許可を出した上官が、馬鹿にするでもなく、ただ「お疲れさん」と言ってくれたことだけが、救いだった。

 とはいえ、情報院は、試験のたびに五百以上の候補者がふるいにかけられる場である。当然、アレイシャのような敗者など、情報院前には数えきれないほどいた。彼女が特別不憫だったというわけではない。つまり、ここまではただの若者の失敗談だ。それで終わるはずだった。

 数日後、陸軍の演習場に思いがけない客がやってくるまでは。


「リンフォード軍曹!」

「――はっ」

 野太い声に呼びかけられたアレイシャは、飛び上がりそうになるのをかろうじて堪え、振り返る。上官の姿を見つけると、きまじめに敬礼した。第三中隊隊長である曹長は、彼女の前に大股で歩いてくると、がっしと肩をつかむ。

「客だ」

「小官に、でありますか」

 アレイシャは戸惑いつつも確認をとる。曹長は「そうだ」とうなずく。熊のよう、と言われる巨躯きょくを演習場の出口の方へ向けると、「行ってこい」とアレイシャをうながした。彼女は上官に突き飛ばされたかのような足取りで、示された場所へ向かう。小柄な人影を見いだしたアレイシャの顔に緊張が走る。

 靴についた泥を気にしつつも、遅れたことを詫びながら人影に近づいた彼女は、次の瞬間、凍りついた。

 その人物が振り返ると、結いあげられたくすんだ金髪がふわりと揺れる。鳶色の瞳が、子どもじみた光を宿して輝いた。アレイシャのそれとよく似た意匠いしょうの軍服を着ているが、まったく同じというわけではない。そして、階級章が示すくらいは――少将だ。

「なっ……」

 なぜ、どうして、少将が。それも、少将が。一介の下士官に過ぎない自分に会いに来るのか。意味不明な状況に困り果てるアレイシャをよそに、客は無邪気にほほ笑んだ。

「君か、アレイシャ・リンフォード軍曹は。突然呼び出してすまなかったな」

「い、いえ。それでその……本日は、どのような御用件でしょうか。ユーゼス少将」

 本人と言葉を交わしたことなどない。けれど、その姿と名前だけなら、アレイシャでも知っている。

 エレノア・ユーゼス。王国史上初の女性将官にして、魔術師部隊――通称『白翼はくよくの隊』隊長。本来ならば、かんですらない彼女が関わるはずのない雲上人だ。

 いつものように背筋を伸ばして立つだけで、足もとが震えだす。背中ににじむ嫌な汗を感じながらも、アレイシャはかろうじて、エレノアから目を離さずにいた。エレノアは、くすりと笑う。娘を見つめる親のようなまなざしが、ほんの少し、注がれた。けれど、その視線もすぐに、軍人然としたかたいものに変わる。

「先ほど、第三中隊の隊長殿と話をさせていただいた。彼にしては珍しく渋ったが、最終的には本人の意志に任せると言ってくれたのでな。君に『意志』を確認しにきた」

「は? え、あの、話とは……いったい、なんの?」

 いきなり出てきた言葉をのみこめず、アレイシャは目を泳がせる。エレノアはあくまでも淡々と「引き抜きの話だよ」と、続けた。

 引き抜き。宙を漂った一言は、遅れてアレイシャの中にしみこんでくる。その意味を理解し、彼女が目を見開くと同時に、エレノアが右手を差し出した。

「リンフォード軍曹。我が魔術師部隊に来る気はないか?」


 唐突に過ぎる誘いに、アレイシャはとっさに返答できなかった。

 引き抜きとはいえ急すぎる。そういえば、『白翼の隊』がいつどうやって人員を集めているのか、ひらの軍人は――彼女も含めて――よく知らない。もしかしたら、今までの隊士も、こうして突然、誘われたのかもしれない。それに、心当たりは、ある。

 アレイシャは、胸の内でみっつを数え、息を整えてから相手を見た。

「なぜ……私に、そのようなお誘いを?」

 返答をせず、質問に質問で返すのは無礼かもしれない。アレイシャは肝を冷やしたが、幸いエレノアは怒らなかった。

「君は、方陣に詳しいのだろう。情報院の試験を受けられるほど」

 アレイシャは息をのみ、慎重に「おほめにあずかり光栄です」とだけ言った。その裏で、やっぱりそうだ、と身構える。


 魔術師でもないアレイシャが方陣の勉強を始めたのは、知的好奇心ゆえだ。これがなかなかに楽しくて、気づけば故郷でもっとも魔術に詳しい人ともてはやされるようになっていた。情報院の魔術部に入りたい、と思うようになったのも、軍門を叩いたのも、それがきっかけだったのだ。今回、見事に叩きのめされたわけだが。


 様子をうかがう軍曹に、少将は穏やかな表情を見せる。真意は読めない。ただ彼女は「その知識をぜひ借りたくてな」と、続けた。

「私の知識など、魔術師部隊の方々の、足もとにも及びません」

「そうとも限らんぞ。方陣に特化した人間というのは、案外と少ない。特にうちの隊の魔術師は、外の者らと比べても力馬鹿が多くてな。それに、君の知識の深さは他の者が認めている」

「ほかの方、ですか」

「ジルフィードだよ」

 アレイシャは、頬をひきつらせた。自分をふるい落した人間の名前を出されて、動揺しないわけもない。彼女がおもしろい顔をしていたのか、エレノアはくつくつと喉を鳴らす。それから、丈の長い上着のすそを、鮮やかにひるがえす。

「なにも、すぐに返答しろとはいわない。少し考えてみてくれ。――私は、君が応じてくれると嬉しいがな」

「今日は話をしにきただけだから、この辺で失礼するよ」そう言い残し、エレノアは去ってゆく。悠然とした足取りで演習場を離れ、遠ざかってゆく影を、アレイシャは敬礼も忘れて見送った。それから様子を見にきた曹長に声をかけられるまで、呆然と立ち尽くしていた。



     ※



「なんだかものすごく警戒されてしまったのだが。私は何か悪いことをしたかな」

「隊長は、ご自分が兵士にどう見られているかを自覚なさった方がよろしいかと」

 石の廊下のまんなかで。エレノアが、ふと足を止めて首をひねると、隣を歩いていた副官は呆れ顔で応じた。エレノアが、さらに首の角度を急にすると、コンラッド・フォスター大佐は目をすがめる。

「下士官が将官に声をかけられたら、驚くのも当然でしょう。しかも相手は『グランドル一の魔術師』とすら呼ばれている相手なのですから」

「どうもしっくりこないんだがな。隊を率いているせいか、自分が将官だということを忘れるときがままある」

「ですから、そこを改善していただきたいと申し上げているんですよ」

 冷やかな言葉を浴びせられて、エレノアは肩をすくめた。ひとまず気を取り直して歩き出せば、コンラッドも追随する。

「結局、お誘いになったんですね。反応はいかがでしたか」

「うーん、迷っているように見えた。当然だな。第三中隊にもだいぶ馴染んでいるようだったし。まあ、無理強いはしないさ」

 からりと言ったエレノアの横で、勘のよい副官は短く息を吐く。

「といいつつ、彼女の知識は欲しい、といったところですか」

「……まあな」観念したとばかりに両手を広げ、少将は軍帽のつばをつまんだ。

「リンフォード軍曹本人にも言ったが、方陣に詳しい人間というのは貴重なんだよ。本来、魔術師にとって方陣は道具だ。自分が使いやすいものだけ使えるようにしておけば、問題ない。しかし、我が隊ではそうもいかんだろう」

『白翼の隊』では、さまざまな魔術師、そして魔術と関わりを持つことになる。自分が使いやすいものだけ把握していればよい、というわけにはいかないのだ。魔術師の数を揃えて対応するだけでは、限界がある。古代魔術を悪用する犯罪者がいるからどうにかしろ、などといわれた日には、今のままではお手上げだ。

 コンラッドもそこはじゅうぶんに把握していて、だからこそ苦々しくかぶりを振る。

「おっしゃるとおりです。しかし……ヴェローネルの便利屋に、協力をあおぐだけでは、不足ですか」

 彼らの知る中で、もっとも方陣に詳しい青年の通り名を出され、エレノアはわずかにひるんだ。けれどもかすかな動揺を押し隠して、靴音高く歩を進める。

「頼りきりになってはまずいだろう。彼には彼の生活というものがある。そうほいほいと、家をあけるわけにもいかないだろうしな」

 ただでさえ、半年に一度は王都に赴くことを義務付けられているのだ。あまり王都や軍部に拘束しては、五年前の少年の決意がむだになってしまう。エレノアもコンラッドも、互いの渋面をしばらく見つめた。

「ともかく」

 かつ、とぐんが鳴る。遠くに執務室の扉を見つけ、エレノアは背筋を伸ばした。

「アレイシャ・リンフォードからよい返事がくるのを、期待するしかない。今のところは、な」

「そうですね」

 うなずいた副官を一瞥し、エレノアは薄い笑みを刷く。そして、己が戦場に戻るべく、また一歩を踏み出した。


 それから五日後、若き女性軍曹が、彼女の執務室の扉を叩いた。

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