5 『便利屋』

「は? なんだって?」

 顔を上げ、目を見開いて声を上げる。ロトは、取り落としそうになった星形の焼き菓子を、すんでのところで手にとどめた。

 彼が呆然としたままでいると、卓のむかいでお茶をすすっていた幼馴染が、呆れたように目をすがめた。

「聞こえなかった? 王都で、あんたのことが噂になってるのよ」

「え、それって俺のことなのか」

「この部屋に、ほかに誰かいる?」

 マリオンに鋭い口調でそう言われると、ロトはとうとう絶句した。

 

 王宮の敷地の一角には、ひとけの少ない豪奢ごうしゃな建物がある。そこはかつて、この王国がさる帝国の一部だったころ、時の皇族が別荘として使っていたとされる場所だ。現在は、保護されたシェルバ人の家となっている。その家の休憩室で、ロトはマリオンとともにお茶の時間を過ごしていた。マリオンから爆弾を落とされたのは、そのさなかのことである。


「俺の噂って、なんだよ」

「なんでも親切なシェルバ人の子どもがいたらしいわねえ。飼い主の手を離れてしまったわがまま子犬をあっという間に手なずけたり、見ず知らずの女の子の人形を手ずから直したり?」

 ごまかすように焼き菓子をかじっていたロトは、マリオンの言葉にひるんだ。そのままむせてしまい、慌ててカップを手にとる。のみこんだ菓子の欠片が変なところに入ってしまったのかもしれない。なんとか自分の喉を落ちつかせたロトは、うらみがましくマリオンを見上げる。彼女を恨んだところでどうしようもないことは、わかっていても、だ。

「なんっ、だよそれ……。まだ今日のことじゃねえか……」

「小さい子とか、おのぼりさんとかって、見聞きしたことなんでも人に話したがるのよ。うちの奴らの中にも、そういう人いたでしょ? ティルとか」

「にしたって、噂になんの早すぎねえか!」

「犬の飼い主は王立大学に赴任してきたばかりの博士。女の子の両親はそこそこ名のある商人。そりゃ、情報も早く伝わるでしょうね」

 他人事のように――事実他人事なのだが――言ってのけるマリオンを前にして、ロトは卓に突っ伏した。運がいいのか悪いのかわからない。「ちなみにこれ、ルドル少尉情報」と続けられると、ロトは一転、青ざめた。

「待て。ひょっとして、貴族院にも話がいってるか?」

「そこはわからない。あの人たちって、街の噂に興味がないのがほとんどだし」

 マリオンがカップを置く。瑠璃色の瞳は、それまでよりいくぶんか、真剣な光を帯びていた。

「まあ、いつかは伝わるでしょうね」

 彫像のように凍りついたロトを見ると、彼女の視線が少しやわらいだ。

「そんな怖がることはないでしょ。悪いことじゃないわよ、評判になるのって。団長やテッドも、少しはシェルバ人の心象がよくなるかもって言ってたし。そうなれば、貴族のおじさま方も、あんたを閉じ込めろなんて言いにくくなると思わない?」

「うーん……。そうなのか……?」

 少年は、飴色に磨き上げられた天板に顎をくっつける。なにか釈然としないものを感じつつも、今こうしていられるということは、まだ大事にはなっていないのだろうということだけは、わかっていた。

「まあ、ロトはいろいろ器用だしね。もういっそ、お悩み相談室でも作っちゃえば?」

「なんだそりゃ……そういえば、工房のおっさんにも似たようなこと、言われたけど」

 昼間のやり取りを思いだし、ロトは目をすがめる。一方マリオンは、気楽な様子で焼き菓子の皿に手をのばした。やはり一人では食べきれなさそうだった女の子からの贈り物は、少女の加勢によって順調に減っていっている。

「まあでも、やるなら王都以外がいいでしょ? それに、田舎はあんまり人がいない上に、所によっては魔術師に厳しいらしいから、意味ないわね。ポルティエじゃだめか」

「ポルティエ? マリオンが行くつもりの町だっけ」

 ロトが視線だけを上げると、マリオンはうなずいた。順調に去就を決めている同胞たちだが、彼女もまた、自分の職と住む場所が決まりつつあった。……安定した収入には程遠い『職業』のようだが。

「あーあ。じゃあやっぱり、だめかあ。ロトも誘おうかなって、ちょっと考えてたのに」

「そうなのか?」

「そうよ。……察しろってのー」

 鋭く答えたあとにぼそりと何かを言って、マリオンはむくれたように窓の外へ顔を向けてしまう。ロトは首をひねって「どうしたんだよ」と言ってみたが、幼馴染は答えをくれなかった。

「どこがいいのかな。適度に困ってる人がいて、過ごしやすそうな場所。港町だと外国人がたくさんいるからいいのかしら」

「おい、俺がお悩み相談室やる前提か――」

 妙にはりきっている少女の言葉に、いよいよロトは頭を持ち上げる。けれどその瞬間、目をみはって固まった。

 犬の残像とともに、気弱そうな男の言葉がよみがえる。

 ほどよく便利で、騒がしすぎず、いろんな人がいる、学術都市。

 しかも、地図を見た限りでは、ポルティエとさほど離れていなかったはずだ。

「……あった」

「え?」

 ぼそりと呟いたロトに、マリオンが怪訝そうな目を向ける。しかし、ロトは気づかず、卓の木目をにらんでいた。

 

 その日の夜のことである。ロトは、施錠時間間近の図書室に、エレノアを呼び出した。いつもの軍服のまま顔を出した彼女は、椅子に座って背筋を伸ばす少年を前にして、用件を察したらしい。後ろにくっついていた部下に人払いを頼もうとしていたが、ロトがそれをひきとめた。今、彼女の後ろにいる男は、彼女にもっとも近い部下だ。話を聞いてもらった方がいいと、思った。

「決まったか」

「ああ」

 穏やかな問いかけに、ロトはうなずく。そして、結論を口にした。

「申し訳ないけど、今回の推薦は断らせてくれ」

 言葉が跳ねる。静寂が落ちる。

 緊張の面持ちでいたロトに対し、エレノアは軍帽のつばを下げると、口もとに笑みを刻んだ。

「見つかったのか。やりたいことが」

 問う声は、楽しげであり、嬉しげである。ロトが曖昧にうなずくと、准将は小さく喉を鳴らした。それから、佇んだままの部下を見やる。苦みをまとっている穏やかな巨漢は、上官の視線を受けてかぶりを振った。

「そういうわけだ、フォスター少佐。またじじいどもと一戦交えることになるぞ。覚悟しろ」

「まあ、『彼の意志』ですからね。しかたないでしょう。しかしユーゼス副長、事を荒立てすぎないようになさってください」

「保証はできん」

 エレノアは、爽やかに笑って言った。フォスターは重いため息をつく。その段になって、ロトはようやく、推薦を断るということが何を意味するのかを悟って、青ざめた。しかし、彼が口を開く前にエレノアが手をあげる。

「おっと、遠慮はなしだぞ、ロト。君は君の意志で道を選んだ。それでじゅうぶんだ」

「でも」

「異議は認めん。ここからは我々の仕事だ。君は隊の者と協力して、移住の計画を練っておいてくれ」

 優しく、けれど有無を言わせぬ女軍人を前に、ロトは苦々しく口をつぐむ。なるべく苦労はかけたくないと思っていた。しかし、彼が己の意志を貫いて自由を望む限り、彼らに労苦は降りかかるのだろう。今ようやく、それを知った。

 表情から、少年の胸の内を読みとったのか。エレノア・ユーゼスは、快活な笑みを向けた。

「一戦だろうが百戦だろうが交えてやるさ。そうして君たちと魔術師たちの自由を勝ち取る。――それが、『白翼の隊』の使命なのだよ」


 だから君は、君のしたいようにしろ。

 それが、魔術師たちの希望になる。

 

 この夜、エレノアにかけられた言葉を一生忘れることはない。ロトはのちに、そう語る。



     ※



 涼やかな音色が、まどろみに沈みかけた意識を揺り起こす。家の主は軽くまばたきをしたあとに背中を伸ばすと、そのままはずみをつけて立ちあがった。春も半ばを過ぎ、夏に劣らぬ陽気の日が増えている。今日もそんな日だ。にじんだ汗を軽くぬぐいながら戸口に向かった彼は、少年から青年へと移ろいゆく自らの顔が映る、遠くの硝子を一瞥してから、目の前の扉を押し開けた。

 今日の客は、見慣れた軍服姿の女。けれど、直接会うのは久しぶりだ。彼は思わず目を見開いて、固まる。その間にも、軍人は、悪戯っぽくほほ笑んだ。

「久しいな。いつの間にか背丈が追い抜かれてしまった」

「会って最初に言うことがそれかよ」

 相変わらず飄々としているエレノア・ユーゼス。意外な訪問者を前に、ロトは軽く肩をすくめた。


「この間は、報告書をありがとう」エレノアのさらりとした第一声に、ロトは軽いうなずきだけを返す。そして言葉の代わりに、お茶の入ったカップをさし出した。

 魔術師部隊と議会の攻防のすえ、現在ロトには直接の監視はついていない。そのかわり、半年に一回、王都に報告書を提出することになった。

「さすがだな。『ヴェローネルの便利屋』、かなりの評判ではないか」

 エレノアは、出された茶を一口すするなりそう言った。真向かいで話を聞いていたロトは、頬杖をつく。

「まだこの街の中だけの話だし、否定的な奴も多いさ。昨日なんて、市庁舎で役人と大げんかだ」

「ははっ! まあ、そのくらい元気があった方がいい。安心したぞ」

 海のむこうから来た野蛮人が役人とけんかなど、貴族たちが聞いたら卒倒するであろう事案だ。けれど、エレノアはいつもの豪胆さで笑い飛ばしてしまう。やれやれと、ロトは手を振った。

「あんた、出世しても変わんねえな。そういうとこ」

「出世したからこそ、自分を強く持たなければいけないんだよ」

 ロトの言葉には、やはり軽口が返ってくる。またため息をつきかけて、けれどもロトは、それをのみこんだ。代わりにすっと背筋を伸ばす。

「そうだ。言っておかないとな。――隊長就任おめでとさん、エレノア・ユーゼス少将」

 新たな肩書。新たな階級。それは、ロトが数日前に知ったばかりのものだった。エレノアは意外そうに目を見開いたが、それから「ありがとう」と敬礼をする。

 気まずさをごまかすつもりで、ロトはカップに口をつけた。

「本当は、祝いの言葉を言っていいのか、悩んだんだけど」

「いや……フォスター副長も、『凶事は凶事、慶事けいじは慶事。割り切りましょう』と言っていたしな。構わんさ」

 軽い口調でありつつも、エレノアの表情は苦い。先代隊長の逝去に伴う隊長就任に、彼女が何も思わないわけもない。ロトもまた、つかのま視線を過去へと向けた。

「あのおっさんには世話になったけど……結局、ちゃんとした礼は言えずじまいだったな」

「葬儀に出てくれただけでもじゅうぶんだよ。先代のことだ、涙を流して喜んでおられただろうさ」

 だといいんだけど、と呟いて、ロトはお茶の残ったカップに視線を落とす。

 漂う哀愁を振り払うように、エレノアの明るい声が空気を叩いた。

「まあ、とりあえず、私は隊長として頑張ってみることにする。君も、少しずつやっていけばいい。幸い、支えてくれる人はいるだろう?」

 口の端を持ち上げる彼女を見、ロトもこわばっていた頬をゆるめる。

「そうだな。……あんたも含めて」

 そよ風にのせたようなささやきは、果たして彼女に届いたのか。わからないが、いつかは伝えたいと思う。あの日道標を見つけられたのは、間違いなくあなたたちのおかげなのだと。


 わずかずつながら、望んだものへと近づいてゆく異邦人たちは、今日もそれぞれの地で歩んでゆく。



――しかしながら。

「そういえば、マリオンとは最近どんな感じだ」

「どんな感じも何も、いつもどおりだぞ。腕輪を見てもらって、怒られて、ときどき家に泊めたり泊まったり」

「その先は?」

「ん? 別に何もないけど」

「そうか、かわいそ……いや、すまん。私が悪かった」

「何が」

 まだまだ、ままならないことも多いようだと、軍人は一人の女性としてため息をついた。


 首をかしげる青年が、彼女の問いの意味に気づくのは、しばらく後のことである。




(Ⅳ みやこで見つけた道しるべ・終)

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