4 職人の手紙

 工房にとって返したロトは、扉を開ける男の後ろについていた。相変わらず、白昼の光だけがさしこむ部屋は雑然としていて。けれど、今度の男はそちらに目もくれず、「ちょっと待ってろ」とロトに椅子をすすめると、みずからは二階にあがっていった。

 単なる客の付き添いでしか来たことがなかったので、二階にはあがったことのないロトである。それでもなんとなく、上は自宅なんだろうなという想像はついた。お行儀悪くも足をぶらつかせながら待っていると、男が足早に階段を下りてきた。手にはなぜか、黄ばんだ封筒がある。壁にもたれていたロトは、上半身を跳ねあげて起こすと、質はよさそうな封筒を見やった。

「それが、俺に見てもらいたいもの?」

「そ。手紙だ」

 工房の主は、封筒をひっくりかえしてロトに渡す。宛名は目の前の男のものだ。ロトが顔を上げると、男はいつになく緊張しているようだった。

「誰からの?」

「昔の恋人」

 さらりと返された答えに、ロトは思わず凍りつく。その姿を見た男は、片手で目を覆った。

「あからさまに引くのやめろよ。先に言っとくが、別れたわけじゃない。……亡くなったんだ」

 指の隙間から見えた瞳は、隠しきれない哀切を帯びて翳る。思いもよらない言葉に息をのんだロトは、気まずさから「ごめん」と呟いた。男は、軽く笑って手を振った。気にするな、ということだろう。

「でも、なんでそんな大事なものを、わざわざ俺に?」

 気を取り直したロトは、封筒をしげしげとながめる。そうしながらも問うと、「開けてみてくれ。封は切ってあるから」と、明るい声が返る。少年は、後ろめたさを感じつつも、言われたとおりに封筒を開けた。中に入っている、三枚に及ぶ便せんを取り出した。考えるより先に文字を追いかけようとして――手を止める。

 便せんには、何も書かれていなかった。

 頭の中がまっしろになる。しばらく固まったロトは、けれどすぐに、違和感に気づいた。変色した紙の表面をなでれば、かすかだが魔力の気配が感じられる。

「これ……術がかかってんの?」

「やっぱりか」

 ため息混じりの男の声に誘われて、ロトはそろりと顔を上げる。どういうことだと目で問うと、肩をすくめた男が、静かに口を開いた。

「俺の恋人、魔術師だったんだよ。それは俺も、付き合い始めた頃から知ってたけど、気にしてなかった。

――で、その手紙は、亡くなる少し前に恋人が実家から送ってきたもんだったんだ。でも、中身はご覧のとおり。もしかして何か魔術をかけたのかも、とは思ってたんだけどな。俺は術を解けるわけじゃねえし、術を解いてくれるような知り合いも、今まではいなかったんだ。まさか軍人に頼むわけにもいかねえだろう? でも」

「でも今は、俺がいる」

 ロトが淡々と後を続けると、男は大きくうなずいた。

 少年は、もう一度便せんに目を落とす。少し変色してはいても、まっさらな紙。だがその内側には、多少なりとも複雑な方陣と式が込められているに違いない。職人の恋人だったという故人は、文章を見られたくなかったわけではないだろう。むしろ、愛した男だけに見てほしいから、文字を隠したのだ。

 異性を愛する気持ちが、ロトにはどうしてもわからない。けれど、もう一度男を見た瞬間に、彼の心は決まった。

「わかった。解いてみるから、ちょっと待ってろ」

 ロトがいつもの調子で言うと、男は目を輝かせた。頭をがばりと下げて、「ありがとう! 助かる!」と大声で言う彼に手を振って――その細い五指を、ざらついた紙の上に置いた。

 息をするように、魔力を便せんに注ぎこむ。すると、紙面が淡く輝いた。透かしのように浮かび上がってきた赤色を見て、魔術師はほほ笑んだ。

「あたりだな」

 誰に向かって呟いたわけでもない。言葉はただ、色あせた術式の上に落ちる。

 男に頼んで、きれいな作業台を借りたロトは、そこに便せん三枚を広げた。表面で煌々と輝く赤色の文字と図形を見た職人が、口を半開きにしたまま固まる。呆然自失の状態の彼をよそに、ロトは方陣の上で指を躍らせた。

 めったに感情を帯びない瞳が、爛々たる光を宿して文字を追う。

 ざっと方陣と式の全体をながめたロトは、その性質を理解した。簡単にいえば、仮の『色』を作りだして、それを文面の上にかぶせたのである。便せんはもれなく黄ばんでいたから、おそらく術はそうとうこの紙に馴染んでいるのだろう。腕のいい魔術師だったのだろうと、顔も知らない女性に思いをはせる。けれどそれも、つかのまのことだ。赤色をながめ、その構成を把握したロトは、いよいよそのひとつひとつを指で弾きはじめた。

「おい、なんだこれ、大丈夫か」

「安心しろ」

 はじめて見る複雑な方陣に圧倒されたのか、赤色がまがまがしく見えたのか。男が不安げに呟いた。けれど少年は、一言でそれを一蹴する。珍しく、その声に楽しげな色が混ざっていたことも、それに気づいた男が目を丸くしたことも、彼は知らない。円環の重なる方陣をにらんだまま、言っただけだ。

「――得意分野だ」


 紙面から浮かびあがる赤い文字たちを、淡々と消してゆく少年。その背中を見ながら、職人の男はひとつの噂を思いだしていた。

 王宮で保護されている人々の中に、方陣の解除や組み立てに長けた子どもがいる。庇護者であり、グランドル一の魔術師である女をして、『方陣の天才』といわしめるほどらしい――

「……おまえ……まじかよ」


 一刻と経たぬうちに、工房の中から赤色の輝きが消えうせた。強い光がなくなった部屋は、いつもよりも少しくすんでいる。ロトは、浮かびあがった黒い列を目で追うと、大きく息を吐きだした。そのまま天井をあおぐと、「つっかれたー!」と、思いっきり叫ぶ。

「思ったより手ごわかった。あんた、そうとういい魔術師を落としたな」

「ガキが落としたとか言うな。……って、そんなにすごかったのか、あいつ?」

 耳年増な少年をたしなめた男が、続けて目を瞬く。ロトは視線をおとすと、男に向かって笑いかけた。

「ああ、すごかったよ。こんなにやりごたえのある解除、エウレリア大陸こっちに来てからははじめてだ」

 力強く語るロトは、たいへん珍しいことに、目をきらきらと輝かせていた。好奇心旺盛な子どもと変わらない姿に、職人の男はたじろいだ。しかし、そんなことに気づくはずもないロトは、手早く便せんをまとめて男に突き出した。

「ほら、ありがたく読めよ。言葉通りあんたのためだけの手紙だ」

「お……おう」

 少年のませた物言いにどぎまぎしつつ、男は便せんを受け取った。最初の一枚を手にとって、丁寧に目を通してゆく。そして、ゆっくり、二枚、三枚と読み進めた。

 ロトはただ、黙って彼を見守った。いつも飄々ひょうひょうとしているはずの彼の口もとが笑みでほころんでも、絶望に凍りついても、その頬に透明な雫が伝っても――何も、言わなかった。



「ありがとう」

 工房の戸口で礼を言った男は、悄然しょうぜんとしているようにも見えた。けれどやはり、ロトは何も言わずにうなずいた。男は少しだけ顔をほころばせて、頭をかく。

「すまねえな、ただでこんなこと頼んじまって」

「別にいいよ、楽しかったし。――あと五、六年して似たようなこと頼まれたら、金取るかもしれないけどな」

「うわっ。おまえ本当に十五か? もういっそ、それ仕事にしちまえよ」

 軽口を叩いて、笑いあう。手紙のことはお互い何も言わないまま、二人は別れた。

 紙袋の重みが手に伝わる。さすがにそろそろ帰ろうか、と、ロトは王宮の方角へつま先を向けた。

 たなびく雲がうっすらと、橙色を帯びている。空を泳ぐ雲を見て、ロトはふと、黄ばんだ便せんを思い出した。瞬間、苦みが胸にこみあげてくる。

「……悪いな」

 あれは彼だけに宛てた手紙だ。だからこそ送り主は、封をしたにもかかわらず、さらに魔術で文を隠していた。その思いの強さがわかったからこそ、ロトは、自分は一文も見るまいと思った。

 それでも、目についてしまったのだ。方陣を解いた瞬間に浮かび上がった、不自然に震えた文字と、こびりついた茶色い染み、そして最後の文だけは。


『私はもう、あなたに会えないでしょう。だからこそ、伝えておきたかったのです。たとえそれが、文字による言葉だったとしても。

――あなたを愛しています。これからも、ずっと』


「愛してるって、なんだろうな」

 両親が、自分に抱いていた気持ちは同じだろうか。彼が両親に向けた気持ちはそれだろうか。

 村で最後に目にした隣人も――本当は、そう思ってくれていたのだろうか。

 恐らく、自分が覚えているのと同じ赤色の中で散った女性。彼女が遺した言葉に思いを巡らせても、答えは出ない。

 いつからだろうか。人の気持ちが、わからなくなったのは。

 

 馬蹄ばていの響きが近づいた。ロトは我に返って、顔を上げる。感傷に浸っていた自分に気づき、舌打ちした。

「……帰ろ」

 きっと、エレノアとジルフィードは鬱々とした気分を抱えたままだろう。せめて顔だけは見せておきたい。少しずつ、夜へ向かって落ちつきはじめた王都の通りを、少年は軽やかに駆け抜けた。

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