3 少女の人形
不思議な男と白い犬に別れを告げたロトは、静かな細い通りを歩いていた。このあたりは、民家や工房が多く集まっていて、ロトたち船団の若者も、よく足を運ぶ区画だった。
無言で歩いていると、頭が勝手にまわりだす。どうしても、考えてしまうのは、これからのこと――推薦の話だ。
エレノアの表情。声。『しっかり悩め』という言葉。これらからわかるのは、話を持ってきたエレノアも、ロトを情報院に入れることに賛成してはいないということだ。もとより、個人の意志を大事にしたがる人である。ロトの行き先についても、むりやり決めるのは嫌だったのだろう。むりやり決められるのが嫌なのは、ロトも同じだ。ただ――
「だからと言って、やりたいこともなかったんだよなあ……」
ため息混じりの声は、故郷よりもくすんだ青空に消えてゆく。
帰る場所をなくし、幼馴染と身を寄せ合うように生きて。さし出された手をとって、大陸の外に出る活動に参加した。それだけだったのだ。故郷の大陸から、大陸を包む暴風から逃げだすことばかりを考えて。その先のことなど、想像してすらいなかった。考えを巡らす余裕もなかった。
『やりたいことがあったら言うといい』
――ロトたちが、『白翼の隊』に預けられると決まったとき、責任者となったエレノアは、彼に向かってそう言った。けれど、「やりたいこと」がなんなのかは、彼自身にもわからなかった。それまでの、目の前のことに追われる日々が消えうせて、自由にしていいと手を離されて。どこへ行ってよいのか、どう進めばよいのかも、忘れてしまっている。それでもなお、自由でありたいと願うから、ここまで悩んでしまうのだろう。
「ああ、くそっ」
悪態をついたところで、何が変わるわけでもない。かといって、今すぐ結論を出せる気もしなかった。貴族たちは、早く決着をつけることを望んでいるのだろうが。
考えれば考えるほどいらだちが大きくなって、ロトは思わず、石畳を強く蹴りつけた。そんなとき、遠くから怒声が飛んだ。
「ほら、いつまでもそんなとこにいるんじゃねえよ」
ロトは、びくりと肩を震わせる。慌ててあたりを見回したが、彼のまわりに怒鳴りつけてくるような人の姿はなかった。こわばっていた腕から力を抜いて、遠くに視線を投げる。カラカラといって通りすぎる馬車のむこう、反対側の通りに建つ木の家の前で、細い目の男が眉をつり上げていた。しわだらけの顔に浮かぶ渋い怒りの色は、偏屈さをうかがわせるものだ。
「言っただろう。うちじゃ木でできたもんは直せないんだ。それに今は手があいてない。ほかを当たれ」
「ほ、ほかって……どこ……?」
そこではじめて、ロトは男の前に立っている人物を見た。女の子だ。十歳になるかならないか、ということだろう。顔は見えないが、癖のある茶髪を後ろでひとつにまとめていて、あたたかみのある薄紅色の長衣を着ている。中流階級の子どもだろうか。
女の子と男は、しばらく何かを話していた。だが、やがて、女の子の方が建物に背を向けた。男は困ったように眉を下げ、けれどもそれから、そっと扉を閉める。彼の姿が板戸の先へ消えると、女の子はロトのいる方の通りへ駆けてきて、民家の軒先でしゃがみこんだ。大きな両目から涙がこぼれ落ちる。
「どうしよう、どうしよう」
女の子は、そう言いながら泣いていた。自分ではどうにもできないくせに、まわりには泣いていることを知られたくないのか、
「なに泣いてんだよ」
「ないてないもん」
「じゃ、何があったんだ」
涙声で否定をした女の子に対して、ロトが質問の方向を変えると、彼女はこくんとこみあげてきたものをのみこみ、顔を上げた。
「お人形……こわれちゃったの……」
「お人形?」
たどたどしい言葉を反芻したロトは、目を丸くした。そこではじめて、女の子が左手に物をにぎっていたことに気がついたのだ。全体が木でできた、うさぎの人形。しかし、左耳と右の後ろ脚がない。折れた痕を見つけたロトは、事情を察して目を細めた。
「あーあ。折れてんな」
ロトがしゃがみこんで言うと、女の子はうなずいた。長衣のおとし(ポケット)から、耳と脚と思われる木の棒を取り出す。
「折れちゃったの。だから、しょくにんさんに直してもらいたかったの」
「あー。でもおまえ、お金、持ってないだろ」
「持ってないの」
女の子は目を伏せる。「お金持ってないとだめなのはわかってたけど、やっぱり持ってないから、お金じゃないもの持っていったの。けど、だめだったの」ぽつりぽつりと紡がれる言葉を聞きながら、ロトはため息をついた。
以前、『白翼の隊』の隊員から、金属や木像の職人たちについて、話を聞いたことがある。王都のこの区画に住む職人たちは、どういうわけか、非常に誇り高いのだそうだ。仕事をきっちりこなす代わりに、愛想がなく融通がきかない。ついでに子どもの扱いに慣れていない。
『まあ、おまえみたいな子どもならいいのかもしれんが』隊員はそう言って、笑っていた。どういう意味だといいたいところだが、この女の子はとりあえず『自分みたいな子ども』ではないのだということは、ロトにもなんとなくわかった。お金がないから貝や花、お金以外の物を持って行くという発想は昔のロトにもあった気がするが、職人たちにはその気持ちをくんでやることが難しいのだろう。
ロトが黙りこんでいて不安になったのか、女の子はまたすすり泣く。どうしようかと首をひねった少年は、ある工房の存在を思い出した。この通りの端にある小さな工房で、何度か『白翼の隊』の隊員にくっついて、遊びにいったことがある場所だ。
あそこは確か、木製家具や木像をつくっていたはず。思い立ったロトは、女の子に呼びかける。
「人形、直してもらえそうな場所知ってるからさ。一緒にいってみるか?」
「……ほんとう?」
女の子は、涙でぐちゃぐちゃになってしまった顔を上げる。ロトがうなずくと、ぱあっと顔を輝かせたが――すぐに、目を伏せた。
「また、だめって言われないかな」
「あー、どうだろう。今、ああいう職人たちって忙しいからなあ」
頭をかいたロトは、女の子が口を開く前に、「でも」と続ける。
「そのときはそのときだ。別の手があるから、大丈夫」
果たして、二人は木造の家の前にたどり着いた。民家というには大きな建物。その一階部分はすべて工房になっているのだと、ロトは知っている。扉を叩くと、くすんだ金髪の男が顔を出した。色あせたツナギには、
「よう、誰かと思えばロトか。どうした?」
「うん。今、この人形を直してもらうことって、できるか?」
ロトが女の子の持つ人形を指さすと、男は顔をしかめる。
「直してやりたいのは山々だが、今はちょっとなあ……」
「忙しい?」
「二徹。今日で三徹突入かもな」
指を立てる男に、ロトは「うわ」と同情のこもった呟きを投げる。隣に立つ女の子は、雲行きが怪しいのを感じ取ってか、泣きそうになっていた。彼女が口を出す前にと、少年は言葉を継ぐ。
「じゃあさ。道具と作業台の端っこ貸してくんない? 確か、あんたのじいさんが使ってたので、手に合わなかったっていう道具があったよな?」
「あぁ? まあ、いや、そのとおりなんだが。どうするつもりだよ」
子どもの申し出に、職人としては若手の男は、不審そうに眉を寄せる。対してロトは、不敵な笑みを口もとに刷いた。「いいからいいから」と急かされた男は、しぶしぶロトに道具と作業台を貸し出した。
女の子の人形を借りて作業台の前に立ったロトは、それからしばらく、黙って作業を続けた。女の子が待合用の長椅子の上で居眠りをしそうになった頃、ロトは接着剤の入った小瓶を置いて、作業台から離れる。一足先に仕事を終え、床を掃いていた男が、ぎょっと目を見開いた。
「ほら、できたぞ」
「……ふぇ?」
眠りかかっていた女の子が、むりやり瞼をこじ開けてロトの方を見る。瞬間、一気に眠気が吹き飛んだかのように立ち上がり、ロトの右手を両手でつかんだ。
「わ、お人形! これ、おにいちゃんが直したの!?」
「ああ」
腕と脚がきれいにくっついたうさぎを前に、女の子が目を輝かせる。
「あ、ありがとう! ありがとう!」
人形を受け取り、飛び跳ねる女の子。そのそばに、ツナギをはたいていた男が寄ってきた。
「おお、見事なもんだな。おまえ、狩人じゃなくて職人だったのか?」
「狩人だよ。このくらい、うちの村の人間はできてあたりまえだった」
好奇心に目を見開く男に、ロトはそっけなく答える。はずかしくなって、思わず顔をそむけた。と、そこへ、茶色い紙袋がさし出される。「おっ?」ロトが裏返った声を上げて紙袋を見つめると、それを持っていた女の子と目が合った。
「これ、お礼だよ。しゅうりだい」
「……はあ。どうも」
「おうちでたべてね!」
ぐいっと押しつけられた紙袋からは、甘く芳ばしいにおいが漂ってくる。『お金のかわりに持ってきたもの』の正体を知ったロトは、なんとなしに女の子の頭をなでた。隣でいやらしい笑みを浮かべている工房の主については、無視した。
その後、女の子は工房を駆け抜けるようにして出ていった。家はすぐ近くだというので、とりあえずそこまで見送ったロトは、改めて紙袋を見下ろす。重さからして、ロトひとりでは処理しきれない量のような気がした。ひとまず帰ろうかと考えかけたロトの耳に、おぼえのある声が届く。
「おうい、ロト!」
呼びかけに振り返る。ツナギから上衣とズボンに着替えた工房主が、ちぎれんばかりに手を振っていた。
「なんだよ」
目をすがめて呼びかけると、若き職人は、屈託なく笑う。
「いやさ。こっち寄ったついでに、おまえに見てもらいたいものがあるんだ」
思いがけない言葉に、ロトは思わず首をかしげた。
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